答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

病院食

2024年03月09日 | 食う(もしくは)呑む

 病院食というと、「不味い」という連想が浮かぶ人は、さほどめずらしくはないのではないか。むしろ、大多数といっても差し支えないかもしれない。思うにその大きな要因となっているのは、その味の薄さゆえだろう。次に思い浮かぶのは、油脂分の少なさゆえか。ましてや、今回のぼくのように、二度の入院時の「胆石食」から三度目の「胆石術後食」に移行した人間ならなおさらだ。
 家ではふだんから「塩分控えめ」を心がけ、揚げ物など脂っこい食事の摂取も、あきらかに他人より少ないと自認しているぼくでさえそうなのだから、健康な若者ならなおさら推して知るべしだ。

 なぜそれがそうなるのか。そうでなければいけないのか。内蔵に負担がかからない食事を指向すればそうなっていると考えるのが妥当だろう。
 身体にやさしいものを食うと不味い。もちろんそれはごく一面的な見方で、手間をかけ、それ相応の技を駆使すれば(既成の出し調味料を使えば手間をかけずともできるという「技」もある)、味が薄く油脂分が少なくても美味しい料理には成り得るが、一般的には、味が薄ければうまくないと感じる。これがふつうだろう。それは、如何に現代日本人が濃く刺激的な味に慣らされているかの証左でもある。

 だがそれは、あくまで一般的な話であって、今回ぼくが3度の絶食後(2度目はなんと4日にも及んだ)に食べたものは、どれも旨いと感じた。さすがに飛び切りとまではいかないにしても、あきらかにうまかった。空腹に勝る美味なし、ということだろう。


 そのときに思い出したことがある。
 子どものころのぼくは、かなりの偏食だった。すべてにおいて厳しい親父が、そのことだけは叱りもせず何にも言わなかったのは、自身が極端な偏食家だったからにちがいない。そのしわ寄せがすべて行き、残飯整理係だと笑いながら残り物を食べてくれていたのがお袋だ。

 長じて今のぼくは、まったくといってよいほど好き嫌いがない。いや、好きと嫌いはあるにはあるが、食べられないものはないといってよい。それが変化したのがいつだったかについては、たしかな記憶がある。学生時代だ。その原因は「飢えた」ことにある。

 ここで両親の名誉のために言っておかなければならないが、「飢え」といっても本格的なそれではない。現に、倹しくさえしていれば十分に生きていくほどの仕送りはしてもらっていた。それなのに、毎月の仕送り数日前には、ほぼ絶食状態に追い込まれていたのは、他ならぬぼく自身の浪費のせいである。それは、アルバイトをし始めても同様だった。要するに、あればあるだけ使ってしまう(飲み代に)という癖が、わが身をそういう羽目に追い込む唯一無二の原因だったのである。

 それはそれとして、その数年間で、ぼくの偏食がほぼなくなったのは思いがけない効果だった。それもまた「空腹に勝る美味なし」のあらわれだろう。最後に残った納豆が食えるようになったのは、それから数年経って知り合った女房殿のおかげだが、そのころにはすでに、「なんでも食えば食えるのだ」という確固たる信念が身についていた。偏食家転じて、ゲテモノ食いと言っても差し支えないように変化していたのだから、人というものはわからないものだ。


 術後4日目の今朝。それまでの粥がフツーの白米になった。おかずは豆腐の煮物とほうれん草などのおひたし、それと味噌汁に、ヨーグルトがついている。うまかった。あーうまかった!と独りごちたいほどにうまかった。と同時に、この気持ちをいつまでも忘れないでいたいものだ、と思った。だが、喉元すぎれば熱さ忘れるだ。たぶん、一週間もすれば忘れるのだろう。

 とはいえ、折にふれて思い出せばそれでよいのだ。
 病院食、捨てたものでもない。
 (要らんけどね)


 
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「控える」ということ

2023年11月22日 | 食う(もしくは)呑む

 

「呑んでいいですか?」

という問いに対して

「控えてください」あるいは「控えたほうがいいですね」

という答えが返ってくる。

医者と患者の会話としては、よくあるものだろう。

「いや、そもそもそういう問いかけをする人なぞはそうそういるものではないし」

という反論は、この際却下させていただく。

少なくともぼくの場合はよくあるからだ。

つい先日、この件で知人女性とちょっとした論争になった。

 

「呑んだんですか?」

「呑んだよ。やめろ、って言われてないもん」

「じゃあお医者さんはなんて言ったんですか?」

「控えてくださいって」

「”控える”っていうのは、やめろっていうことですよ。知らなかったんですか?」

「ちゃうって。”控える”っていうのは控えめにすることやんか」

「外出を”控える”っていったら外へ出ないことでしょう?」

「そ、それは・・・」

「お医者さんが言う”控える”も同じです」

「いやいや、アルコールを”控える”は量を控えめにするっていうことやって」

 

こうなると決着をつけるには辞書を引くしかない。

以下、デジタル大辞泉より『控える』の意味であるが、この論争に関係のない「控える」の意味については引用せず、関係箇所のみを引いてみる。

******

ア.度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。「酒を―・える」「塩分を―・える」

イ.自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。「外出を―・える」「発言を―・える」

[補説]ア、イについて、「抜歯後はお酒を控えてください」とあった場合、アの「少なければ飲んでもいい」の意味ではなく、イの「自制して飲まない」の意味ととらえるのが妥当であろう。「アルコールを摂取した場合は運転を控えてください」は、明らかにイの意味である。

******

ナルホド、至極論理的な説明だ。

では今日以降はこうすることとしよう。

「控えてください」と言われれば、その言にしたがって呑まない。だが、あえてコチラからはその是非を問わない。

向こうからの要請がなければ儲けものだ。

「だって言われてないもの」

これで万事上手くいく(たぶん)。

 

 

 

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酒あり飲むべし

2023年11月20日 | 食う(もしくは)呑む

 

比較的きれいな酒呑みだと思う。自分だけではなく、他人からそう評されることも少なくない。自他ともに認めているというやつだ。

といえば、なんだか少し格好をつけすぎなような気もしないではないが、事実そうであるらしいのだからまあよいだろう。

とはいっても、十代後半からの長い酒呑み人生だ。泥酔して前後不覚になったことは何度もあるし(そもそもそんな状態になってしまえばカウントのしようもないが)、九死に一生を得るような体験だってないではない。酒席での失敗なぞは枚挙のいとまもない。

そんなこんなを思い起こせば、齢を重ね歳をとり、ようやっと分別ができたというのが実際のところだろう。

だがそれも、体というハードウェア面から見ると、本当に分別ができたのかどうか怪しくなってくる。齢を重ね歳をとったということは、すなわち、無理が効かなくなってきたということだ。無茶ができなくなったと言ってもいい。

今でも無理をすれば呑めないことはない。さすがに二十代三十代の若いころのようにはいかないが、その6~7割ぐらいは、やってやれないことはない。だが、それはあくまで無理であり無茶である。宴が終わったあと、またその翌日のことを考えれば、とてもではないが、よほどのことがないとリミッターを外す勇気は出てこない。つまるところ、たいていの場合はセーブをする。

要するに自信がないのである。痛飲する覚悟がないのである。

それもまた分別だといえば言えなくもないが、どうもそうではないような気がする。なんとなれば、多くの場合、もう少しならばよいだろう、あとちょっとならよいかもしれない、でズルズル引き伸ばしている自分がいるからだ。スパッと潔く止める。などということは皆無に等しいからだ。

そう考えると、他人が言うほど、そして自分で思うほどにきれいな酒呑みではなく、分別ができたわけでもなく、その内実はもっとだらだらとしてだらしがないようだ。

もっとも、たとえばぼくの妻のようにまったく飲まない人間からすれば「だらしがなくない」酒呑みなどというものは、そもそも存在しないのかもしれない。

だからぼくは、そのだらしなさを受け止めて呑む。

どう足掻いても、いずれそのうち呑めなくなる日がやってくるだろう。

その日までは、「酒あり飲むべし吾酔うべし」だ。

 

 

 

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ワンカップ大関

2023年05月10日 | 食う(もしくは)呑む

 

親父の命日に姪っ子が仏壇に供えてくれたカップ酒は、わたしが買ってきてくれと頼んだものだったが、たしかに「ワンカップ」とは言ったわたしがそのあとに付け加えた言葉が「タカラ焼酎の」だったのに対し、彼女が買ってきたのは「ワンカップ大関」。見るなり「あらま」と思ったが口には出さなかった。焼酎、しかも甲類が好きだった親父だが、だからといって日本酒を飲まないわけではなく、それほど目くじらを立てることでもないと思ったからだ。それにだいいち、そもそも自分で買いに行けばよいものを、人に頼んだ時点で横着である。文句を言う資格はない。

きのう帰ってみると、そのワンカップ大関が食卓にあった。その他のお供物を下げたのといっしょに、どうせわたしが呑むだろうと妻が置いたものらしい。見るなりちょっとひるんでしまった。近ごろのわたしときたら少しばかり口が驕ってしまい、日本酒を独りで呑むとしたら純米。いわゆる普通酒は呑まないひとになっている。しかも大手メーカーのそれときたら、ちょっと思い出すことができないほど長いあいだ呑んでいない。ましてや食卓に置かれたそれは、あのワンカップ大関だ。はてさていかがしたものか。ちょっとばかり悩んでしまったのもムリはない。

考えてみれば贅沢な話だ。若いころにはあれほどお世話になっておきながら、少しばかり余裕ができたからといって、眼前のカップ酒を呑むか呑むまいかについて悩むなどと。ましてこれは親父の仏前に供えられていたものだ。誰がご相伴にあずかるかはわかりきったことだろう。そう考え始めると、置いておくという選択肢はなくなった。

ほどなくして夕餉の支度が整うと、まずはいつもの350ミリリットルの発泡酒をひと缶。それが済むと、やおらワンカップ大関に手を伸ばし、キャップを外してアルミ箔をとり、またキャップをつけてレンジで50秒。手に取ると、よい澗具合だということがすぐわかる。口から迎えにいく。

あれ?

イケる。

こいつぁ美味いじゃないか。

酒肴がトンカツだったというのもあっただろう。フライ系、なかでもトンカツは燗酒の肴としてはピカイチだというのが、予てよりの持論であるわたしだ。

半分ほどなくなって、かたわらの妻にひと言。

「これ、うまいわ」

「あらそう。そういえばいつもよりピッチがはやいもの」

調子に乗ってもう一杯。といきたいところだが、残念ながらワンカップ大関はひとつしかない。ということで、冷蔵庫に入れておいた愛飲する地元産の特別純米酒を出してきて冷たいやつをグラスに注ぐと、これもまた口から迎えにいく。

あれ?

それほどじゃない。

昨夜のわたしの軍配は、あきらかにワンカップ大関の方に上がった。

まこと日本酒とはおもしろいものである。何がよくて何が美味いかの判断は一様ではない。その場その時のふんいき、あるいは酒肴との相性、自からの体調、それらがごちゃまぜになってそれが決まる。少なくともわたしの場合はそういうものだ。たしかにそれは、他のアルコール類にも当てはまることだが、日本酒の場合は特にそれが顕著である。それなのに・・食卓に置かれたワンカップ大関にひるんでしまうとは・・・酒飲みの風上にも置けないやつだとおのれを恥じた。

 

親父殿、おこぼれ美味しくちょうだいいたしました。

来年は「タカラカップ」にいたしますゆえ、どうか今年はこれでお許しください。

では。

 

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思い出の味

2023年02月13日 | 食う(もしくは)呑む

 

週明けの朝は小雨。フェイスブックを開いてみる。

フェイスブックには、その日の過去投稿を知らせてくれる機能があり、それを見ると、時に「ああそうだったのね」とタイムスリップしてしまうことがある。なかには、頻繁にそれをシェアするひともいるが、わたしは滅多なことでないとそうまではしない。なんというかその、過去に引きずり込まれたくないのである。

といっても、あくまでそれは原則としてであり、たまにはそれを外れることもあったりする。今朝がそうだった。

まずそのなかで目を引いたのは、2017年にココへもアップした笑い話だ。

→『2017年のバレンタイン

よほど気に入ったのだろう。翌2018年にも同じネタをアップしている。

当時小学校低学年だったあの娘らも、今年は中学3年生。時の流れの速さを感じるには、子どもの成長をそのモノサシとすればイチバンだとプチ感慨にふけりながらスクロールすると、見覚えのある銀色の鍋が目に飛び込んできた。2012年とあるから、今をさかのぼること11年前だ。

鍋のなかには刻んだ油あげとほうれん草、それに斜め薄切りにした高知名物「すまき」のピンクが彩りをそえ、朝めしを食ったあとだというのに、なんとも食欲がそそられる。画像からはそうと判別できないが、その下にはうどんがある。鍋の横には黒く光る椀がよっつ重ねて置かれている。2012年2月13日、先代社長夫人がこさえてくれた残業食だ。

少食であるわたしは、いつも用意してくれる残業食を、ふだんはめったに口にしなかった。腹がくちると晩酌がうまくないという、ごくごく個人的なワガママ極まりない理由からである。であるがゆえに、わたしひとりの分量は若い者の誰かの胃袋に収まるのが常だったが、そのときは、そのビジュアルに脳がやられ、「食いたい」という衝動を止められなかったことをはっきりと覚えている。そういう事情もあってだろう、11年が経った今だが、その素朴な醤油味を思い出すのは容易かった。

つくってくれたひとのみならず、その連れ合いであったひともまた既に鬼籍にある。窓の外でそぼ降る雨に目をやり、その味の思い出とともに今は亡き、いつも仲睦まじかった夫妻の顔を思い浮かべる月曜の朝。あのうどんが無性に食いたくなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

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令和四年一月四日のオムライス

2023年01月18日 | 食う(もしくは)呑む

 

三が日も終わった翌日、わが家から客人の姿が消えた日のことである。

当日は折しも晴天。妻と帰省中の娘と3人で、海岸線ドライブをたのしみながら県境のまちまでポンカンを買いに行こうと出発したのは昼前だった。

さて、どこかで正月料理にくちくなった腹に負担をかけないぐらいの軽食を、と立ち寄ったのが国道沿いのドライブイン。閑散とした駐車場に車を停め、なかに入ると先客がひと組。その脇を通って道路沿いのテーブルへと腰をおろす。陽光がさんさんと降りそそぐ席だ。メニューを見るなり、わたしのオーダーは決まった。

オムライス。

少食のわたしにとっては、けっして軽食と呼べるほどのものではないが、ドライブインとオムライスが脳内でシンクロナイズしたとたん、それは是が非でも食わなければならないものとなった。

ほどなくして、3人のうちもっとも早くわたしのオーダーが到着。

「あーこの影がえいね」

娘が言う。

あらためて見てみると、プレートの道路側に光が差し込み、もう一方は影。

ん?なぜ?と天井を仰ぎ見ると照明がついていない。

ナルホド。

たしかに、照明の必要がないほどに室内は明るい。が、それにしても、営業中の飲食店の一角のライトが消されているとは・・。

イイじゃないか。

ほくそ笑みながらケータイを取り出し、オムライスを国道の方に少し寄せ、中央部に陽光が当たるようにしてパチリ。完成品を確認し、もう少し位置を変えてまたパチリ。

 

 

 

 

そうこうしているうちに娘が頼んだラーメンがやって来た。

「あー、この湯気がまた、いかにも湯気っぽくてええわ」

 

 

 

 

 

またまたナルホド。

陽光と、その自然の光が生み出すやさしい影があいまって湯気を湯気たらしめているこの光景は、街のおしゃれなレストランでお目にかかれるものではない。

いずれも、気づいたのは娘である。わたしは気づかなかった。

というより気に留めなかったというべきか。

ひとは、目に映るもののすべてを認識できているわけではない。そして、ひとりの人間の感性や能力は、その人「一人きり」のものでしかない。おのれの感性やちからのみに頼っていると、ある光景やある物体が見えているにもかかわらず、その良さやその特性を認識できずに終わってしまうことがある。

1月4日、そんなことなどを考えながら、国道ぶちのドライブインでオムライスを食った。

脳内を流れる歌声は、なぜだかユーミン。

 

カーテンを開いて静かな木漏れ日の

やさしさに包まれたならきっと

目に映る全てのことはメッセージ

 

目に映るものが自らへのメッセージとなる可能性を広げることができるかどうか。

それはたぶん、わたし自身が他人の言葉に耳をかたむけられるかどうかにかかっている。

 

 

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朝めし前の

2023年01月11日 | 食う(もしくは)呑む

 

わたしが会社のインスタグラムを更新するのは、だいたいのところ朝食前だ。もちろん家にいる。

何時、と決めているわけではないが6時前後が多い。朝めし前のインスタグラムである。

ところがその「朝めし前」が、近ごろちょっと困ったことを引き起こしている。

インスタグラムに写真をアップロードするためには、当然のことながらインスタグラムを開かなければならない。すると、否が応でもわたしがフォローしているアカウントの投稿が目に入る。そこでは、自分自身が目を通す頻度が高いアカウントのそれが上位に出てくる。ホントにそうなのかどうかはわからないが、なんとなくそういう仕組みになっているような気がする。

「朝めし前」の困ったこととは、例えばコレである。

 

 

 

 

いや、いわゆるグルメ系の画像は、その手のアカウントをほとんどフォローしていないわたしでも珍しくない。しかしそれらには、ほとんど心を動かされることがない。

なのに、コレには魂をゆさぶられてしまうのである。

 

 

 

 

発信元は奈半利町にある葉牡丹。

高知県で葉牡丹といえば、高知市堺町、電車通り沿いにあるそれを指す。昭和27年創業の老舗居酒屋だ。のんべで知らない人はいない。知らなければモグリだと言ってもいい。しかし安芸郡中芸地区ではそうではない。

市内の葉牡丹とは縁もゆかりもない(たぶん)わが葉牡丹は、昭和46年創業。今年で51年になる。古さではアチラに負けるが、コチラもなかなかのものである。

葉牡丹といえば手羽先。手羽先といえば中芸地方を代表するB級グルメだ。

世に手羽先を揚げたものは多くあるが、ここ中芸のそれが特徴的なのは、衣をつけずに素揚げをしているところである。揚げたばかりの手羽先に塩コショウをふりかけて食す。熱々ならよし。翌朝冷めて塩味が馴染んだのもまたよし。

想像してみてほしい。そのソウルフードが「朝めし前」の眼前に出現するのである。文字どおり「魂」をゆさぶられたとして、誰がわたしを責められようか。

それも毎日手羽先の画像ならば、慣れるということもあろう。しかし、その姿が出てくるのは毎日ではない。

 

こんなのも(せせりの唐揚げ)。

 

こんなのも。

 

食品そのものズバリとも限らない(というかそのものズバリではないことの方が多い)。

いろんな発信パターンがあるなかで、ある日突然コレである。

 

 

 

 

 

 

朝めし前にコレはキツイ。

 

 

 

 

 

奈半利町葉牡丹。

国道55号と国道493号の分岐から北へ向かって約80メートル。

右側にある「手羽先」「焼肉」という幟旗が目印である。

 

 

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飲んだら飲まれる

2023年01月06日 | 食う(もしくは)呑む

 

「酒は飲んでも飲まれるな」

という格言(?)については何度か書いた。

飲酒に際しては「飲まれる=自分を見失う」ことを避けるように心がける。飲み始めた若い時分から五十年近く経った今に至るまで、多くの場面でそう戒めてきた。

といっても、いつもいつでもそれが実現できたかというと、そのようなことがあるはずもなく、それはもう、数多くの失敗を積み重ねてきたことは言うまでもない。

であるからこその「酒は飲んでも飲まれるな」だが、そもそもそう意識しなければならないということは、すなわち「飲んだら飲まれる」の裏返しに他ならない。

そんな至極当たり前のことに、あらためて気づかされたのは昨年末。桂浜水族館の公式Twitterアカウントによってである。

そこにアップロードされていたのは、次のような投稿だった。

 

 

 

 

 

 

「酒は飲んだら飲まれんねん」

食後、飲んでいた茶を思わず吹きかけた。

いやあ~、そうなのである。

酒を飲む「と」酒に飲まれる。

これは極々ふつうのことであって、特段めずらしいことではない。

なんならば、

酒は飲む「が」酒には飲まれない。

こっちの方がめずらしいということを実証するのは、さほど難しいことではない。そこらへんの酒場へ行けば、老若男女にかかわらず、いつもいつでも「飲まれた」人間を目にすることができる。

であれば、「酒は飲んでも飲まれるな」という格言(?)は、それ単体で用いるべきではなく、「酒は飲んだら飲まれんねん」とセットで使われるのが効果的だ。

いやいや、もっと根源的にはこうだろう。

「酒は飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒を飲まなきゃ飲まれない」

これがベストソリューションである。

しかし・・・それではあまりに味気ない。

だからわたしはコッチを採用する。

「酒は飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒は飲んでも飲まれるな」

いやこれでは、言葉が東西ごちゃまぜだ。

どちらかに統一しよう。

関東的には

「酒を飲んだら飲まれるよ」 → ∴「酒は飲んでも飲まれるな」

関西的には

「酒を飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒は飲んでも飲まれたらあかんで」

 

よし、これでイイ。

 

 

 

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酉の刻前から亥の刻過ぎまで

2022年12月31日 | 食う(もしくは)呑む

 

瀧川鯉昇を聴いている。

憑かれたように聴いている。

こういうのを今風には「はまった」というのだろうな、と思いながら聴いている。

きのう今日は、柚子の剪定作業をしながら聴いていた。

そんななかのひとつが「時そば」だった。

言わずと知れた古典落語を代表する演目だ。

噺を理解するには江戸時代の「時」についての知識がなければならない。

いや正しくは、「なければならない」ことはなく、算数、しかも一桁の足し算がわかれば理解できる。

だがそこはそれ、江戸の世の時刻というものがどのような成り立ちであったかを知っているのと知らぬのでは、そのおもしろみがちがってくるだろう。

ということで、鯉昇師匠は江戸時代の「時」についてのレクチャー(らしきもの)をまくらとしている(たぶん)。

以下、そのまくらである。

******

十二支というのが、これがまあ人生の営みもちゃんと表現しているんだそうでございます。

夜中の12時がネズミ、そっから2時間おきにウシ(丑)、トラ(寅)、ウー(卯)、タツ(辰)、ミー(巳)、ウマ(午)。

まあ午(ウマ)ってえのが午前午後を分けますんで、この午という字でございます。

ウマ(午)、ヒツジ(未)、サル(申)、トリ(酉)、イヌ(戌)、イー(亥)という、トリという字がこういう字を書きましてね。これが夕方の6時でございます。

この酉の刻という、つまり暮六つでございますが、この酉の刻の酉の字にサンズイをうつと酒という字になるわけでございます。

つまり、ま、昔は明るいあいだは人間は働いてございまして、暗くなる少し前に仕事を切りあげて片づけをして、暗くなると仕事にはならないんで、それからオマンマを食べて寝ましょうという、お酒の飲めるものはこの酉の刻から飲みなさいという、これがお酒という字の由来なんだそうでございます。

ですからま、お好きな方は飲んでもいいんですが、一時(いっとき)は2時間でございますからね。酉(トリ)から戌(イヌ)になるまでは切り上げなさいということをあらわしていたんだそうでございます。

これがまた懲りないで延々と飲みつづけておりますと、酉の刻から次の戌の刻となってギャンギャン吠えたがるわけでございましてね、それも経過をしてまだ飲みつづけておりますと周りにつっかかっていく、これがつまり亥(イ)の刻限なのでございます。

それでも懲りずに延々と飲みつづけておりますと、まあ家族があきれかえってアタシャ寝るよ、なんてみんなが寝静まって、なんかどっかにツマミはないかと台所をひとりでガサゴサあさり始めるのが夜中の12時、つまり子(ネズミ)の刻限でございましてね、それでも懲りずにずっと飲みつづけておりますと、やがて眠気とともにヨダレが垂れてくるのが夜中の2時、丑(ウシ)の刻でございます。

で、それでも懲りずにずっと飲みつづけておりますと立派なトラ(寅)になるという、これを十二支が表現していた。

ま、こんな歴史もだんだんわからなくなって来ているわけでございましてね・・・

******

てなふうに、ビール片手に昼間聴いたYouTubeの文字起こしをしていたら、酉の刻前から飲みはじた今宵も、いつのまにか亥の刻を過ぎていた。

このまま行くと、どっかにツマミはないかとあさり始めるのは必定、ヨダレが垂れないうちに、そろそろおひらきにするとしよう。

 

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酒はのんでも

2022年12月16日 | 食う(もしくは)呑む

 

あれはたしか、わたしが故郷を離れる直前だったか、いやいやそれとも一年目の帰省だったか、いずれにしても頃は春。それが十八か十九かという歳のちがいは、今となってはどうということもない。

誰の、かは皆目覚えていないが法事の席だった。

「おんしゃあ(おまえ)けっこう呑めるなあ」

とその時わたしに言ったのは祖母の兄。大伯父である。

「けんどにゃあ(けどなあ)」

という逆接を挟んでそのあとにつづいた彼の言葉、顔と口調は、それから四捨五入すれば50年が過ぎようとする今でもはっきりくっきりと覚えている。

「酒はなんぼのんでもえいけんど、酒にのまれたらいかんぞ」

「へーうまいこと言うもんやなあ」

と尊敬の眼差しを向けたであろうわたしは、広く世間一般に流布されたその言葉を、その時までまったく耳にしたことがなかった。

「酒はのんでものまれるな」

爾来それは、酒呑みとしてのわたしが自らを戒める言葉となり、ほとんどわたしの座右の銘のようなものだった。

その時なぜ、その言葉がわたしの心を打ったのか。とりもなおさずそれは、酒というものの魔性と危険性を経験則として肌で感じていたからに他ならない。

もちろん当時も今も、法的に酒を呑んでもよくなるのは満二十歳からである。しかしそれはあくまで日本国の法律であり、酒国土佐の昭和の慣例はそうではない。当時のわたしはすでにはっきりしっかりと、酒の魔性を体感していた。

慣例が法律を上回る。今となってはあり得ない、よいかどうかはわからないが古き昭和のあるあるである。

だからといって、それからのわたしが「のんでものまれるな」を忠実に実践できたかといえば、まことに残念ながらそれはない。

♪のんでのんでのまれてのんで♪

の繰り返しの果てに今がある。

だがあのときの大伯父の忠告は、いつもアタマの片隅にあった。

「酒はなんぼのんでもえいけんど、酒にのまれたらいかんぞ」

と書いてたった今、ひとつの疑念が生まれた。

「のむのはよいがのまれてはならない」という本来の意味を、「のまれない」を実現しさえすれば「なんぼのんでもえい」と曲解したゆえにその後の悪戦苦闘があったのではないか、ということである。

「なんぼでものむ」と「のまれない」は、そもそも両立するはずがないという当たり前に長いあいだ気づかず酒を呑んできた。

とはいえ気づいてからも・・・

まこと酒というやつは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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