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(yottin blog)

光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑲

2021年02月24日 17時09分17秒 | 光秀の本能寺
1583年4月 四国では本能寺の変で織田の攻撃を免れた長宗我部元親があらためて伊予から讃岐へと兵を進めた
讃岐へは元親が兵を率いて進んだ、一方の伊予攻めの大将は明智光秀であった
元親は四国では敵無しの大将であるし、光秀は言わずと知れた織田家の大将軍だったからたちまち四国は長宗我部が征服してしまった
こうなると織田家は未だ安定していないので長宗我部元親にも欲が出て来た
もしかしたら織田にも勝てるのではないかという身の程知らずの思いあがりが生まれてきたのだ
それというのも光秀という希代の策士が懐に飛び込んできたからに他ならない
一方、光秀は元親の妄想が危険な賭であることを知っている。 ここに来てみてあらためて四国の貧しさを実感した
元親は井の中の蛙だと思う、土佐兵は勇敢で忠義心溢れているが、一領具足の農、武兼任の前近代的な兵制ではとても織田の敵ではない
まずは秀吉の軍だけでも負けてしまう危うさだと思う、これが長宗我部の限界だと思う
それは越後の限界を知った直江兼続と同じ感覚であった、兼続と光秀は似たようなところがある
(せっかくだが、わしが長宗我部元親殿の元を去る日は近いようだ、わしが仕えるのは長宗我部殿ではない)と光秀は思った
四国統一を置き土産にして光秀は元親に暇乞いを申し出た
元親は残念がったけれど快く承諾してくれた
結局、光秀は自分以上に大きな者に従って力を発揮する人間だと思う
もはや自分の力を発揮する場所は東海の覇王、徳川家康の元しか無いと思った
5月光秀は伝吾や利光ら股肱の家臣数人と共に早舟で伊勢南部の九鬼氏を頼って四国を発ち去った

越中では勝家が高岡について二上山に6000で本陣を置き、島尾と雨晴に1000ずつそして庄川の西に佐久間2000と柴田前衛1000
上流には佐々の残兵部隊1000、高岡城に前田勢2000が入った
井波の山際にも伏兵として1000を配置した
上杉軍は呉羽山に直江兼続が5000本陣を置き、伏木湊と南の丘に合計3000の部隊を配置し高岡城と庄川渡河の敵に備えた
富山城2000と魚津城の河田3000を後ろ備えとして、宮崎城に後詰め500を配置して越後への連絡と海の監視をさせた
そのまま睨み合ってどちらも数日動かなかったが、しびれを切らした佐久間軍が勝家の命令を待たずに早暁浅瀬を渡って伏木の上杉軍に背後から攻めかかった
不意を突かれて上杉軍は混乱した、たちまち崩れて富山を目指して退却をした
勢いのまま佐久間勢は平野を追いかけてきたが呉羽山の直江兼続勢を見つけて2kmほど手前で追撃をやめた
数では圧倒的に直江勢が多い、その一部が出撃してくるのが見えたので佐久間盛政は引き上げを命じた
ところが行き先を塞ぐように山手から上杉軍が駆け下りてきて退路を遮った、その数、約2000ほどで鉄砲を撃ちかけてきたので佐久間兵はたちまち数騎が打ち落とされた
そこに直江の先鋒も追いついてきて佐久間勢は挟み撃ちになった
「バカ者が!」柴田勝家は甥の軽率さを嘆いたが、ただちに3000の兵を引き連れて山を駆け下りた、前田勢には高岡城から出るなと命じた
庄川を渡ろうとしたが、焦っていたため幅が広い所で深みにはまって動けない兵が続出した
それを直江隊の後続が川岸から鉄砲を撃ちかけたので、次々と柴田隊は打ち倒された
挟み撃ちに遭った佐久間隊もどんどん討ち取られて、佐久間盛政も奮戦して10数騎を撃ち殺したが鉄砲が肩に当たって落馬した
直江の武士が組み付いて満身創痍の佐久間盛政を組み敷いて首を挙げた
勝ちどきを聞いて川で苦戦していた柴田勢は慌てて退却を始めた
それを上杉軍が追いかけてまた柴田勢に打撃を与えた、前田勢と二上山に残った兵が防御線を築いて敗残兵を収容したので
上杉軍は追撃をやめて高岡城を5000ほどで包囲した、翌朝直江兼続は使者を送り前田利家に佐久間盛政の首を返して退城を促した
利家は兼継の礼をわきまえた処置に感動して城を明け渡して加賀を目指して退却を始めた
上杉方は高岡城を占領してほぼ越中全域を支配した、柴田勢は能登と加賀まで下がった
能登七尾城も上杉に寝返った、こうして佐久間が滅びた能登も上杉に属した

このようなことがあって信忠の憂鬱はますます加速した、それを一番感じたのは織田信孝であった
(信忠め、そんなことで織田家をまとめることが出来るのか)
俄に織田家簒奪の気持ちがわき上がってきた、ところが自分は徳川とのにらみ合いの最前線にいて動きがとれないもどかしさがある
(なにかいい方法はないだろうか)信孝に迷いが生じて居る

羽柴秀吉はどうしているのか?
今の織田軍団の中で動きがないのは羽柴勢だけである
秀吉も算段している。 播磨、河内、山城を手中にし 和泉、丹波は秀吉の一族が固めている
また備前の宇喜多秀家を後見してまもなく養子縁組をする話しもできあがっているのだ
それら全てを合わせるとざ200万石ほどになる、それに堺からの余録が大きい、織田宗家にはかなり目減りさせて税を上納している
もはや秀吉は信忠如きの坊ちゃんは眼中にない、いずれ「主殺し」と言われぬ方法で取り除こうと考えている
「官兵衛、丹羽様を取り込みながら、勝家を誘い出す方法を考えて見てくれ」
「承知いたしました」