草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守が継体王朝説を唱えるのには違和感がある

2024年04月02日 | 歴史
 百田尚樹氏が継体王朝が誕生したかのような言い方をしたのには違和感がある。それでは万世一系の天皇ではなくなるからだ。神話についても否定し、崇神天皇の実在を疑うのは、これまた驚きであった。もしそうであれば、あえて国体を口にすべきではないのである。
 継体王朝という言い方をするようになったのは戦後である。肥後和男は「なかなか面白い説ではあるが私は簡単に賛成し得ない。徳川幕府でも二代秀忠の世系は七代家継で絶え、奇襲家から吉宗が入って八代になった。しかしともに家康の子孫である。それと同じように日本の神代でも仁徳天皇の世系は武烈天皇で絶えたが、変わって応神天皇の末孫が入り、しかもそれは武烈天皇の姉か妹を娶って皇后としたので、それは分家からはいって本家の婿になったわけであり、王朝の交代ではなかった」(『歴代天皇紀』)と書いている。
 大伴金村が越前三国にいた男大迹王(おおどのおおきみ)を迎えようとした。応神天皇の五世の孫彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子で、母は垂仁天皇七世の孫の振媛(ふるひめ)であったという。かなり縁の遠くなった皇孫ではあるが、肥後は「氏族性を基本とした上代社会においては、そうした家系はほぼたしかに伝えられたものと私は信ずる」と言い切っている。
 万世一系を維持するために、日本の先人は英知を結集したのであり、継体王朝を主張する人たちは、そうした事実をも否定するのである。皇室を論ずるのならが、最低でも肥後の『歴代天皇紀』に目を通すべきなのである。

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