フェミニズムや多様性を口にすれば、何をしても許されるという風潮は異常である。世界が混乱しているときこそ、私たちの日本国民は自分たちの足元を固めるべきではないだろうか▼今野元の『マックス・ヴェーバー―主体的人間の悲喜劇』(岩波新書)は、それを考える上で多くの示唆を与えてくれる。知の巨人として偶像化されているヴェーバーについて、悪戦苦闘した思想家として、これまで取り上げられなかった負の部分に言及することで、この世界は一筋縄でいかないことを再確認することになるからだ▼とくに興味をそそられたのは、ヴェーバーがプロセイン・ユンカーを批判したことだ。ドイツ東部で農業経営改善のためにポーランド人労働者を雇用していたことを問題視したのである。今野によれば、ヴェーバーは「ポーランド人雇用が、旧来のドイツ人農村共同体を崩壊させ、ドイツ人労働者流出を惹き起こしてドイツ東部の『ポーランド化』を招き、『ドイツ国民』の利益を損ねている」と論陣を張ったのだ▼異民族を蔑視するといわれても仕方がない議論である。しかし、ヴェーバーですらそう考えたのである。グローバリズムに多くの日本国民が違和感を抱いていることは確かであり、それを上から目線で嘲笑することは誰にもできないのである。