京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

コロナ騒ぎの今だから静かに神社にお参りが出来ます。

2021年09月12日 | 日本人が幸せになるには

九頭神社正面

タクシー会社の京北パワースポット巡りの二回目がありました。
京都駅に九時出発でタクシーに乗って京都北山の三社のお宮さんを巡る旅です。
前回(初回)は最初の私の本務社九頭神社は二十分の滞在予定が張り切って説明して一時間も喋ってしまった。今日も三十分以上喋ってしまったが、

神道は教えがないので説明しにくいですが、幸い神道とは雰囲気の宗教(私は神道は宗教とは思いませんが)とも言われます。

敢えて言挙げせず、言葉でナンやカンや説明するものではないのです。

参拝者と神さまが直接対峙出来るのが特徴です。神さまと対峙できるように仲を取り持つのが神主の本来の役目とされてきました。
玉串料を払って神さまに感謝や願いを神主に読んでもらうだけが神社信仰ではないということを知ってもらいたいと思います。(それも一つの方法ではありますが)
私は神社信仰とは究極的には自分と神さまが直接対峙して意思の疎通をはかれる様になることだと思っています。
決してカリスマ的な特別な作法や能力ではなく古代からの日本人の持つ神に対する信仰心を理解することが一番大切だと思います
簡単なことですが、イザやるとなると難しいことです。戦後、神代の昔から連綿と続いてきた神社信仰は占領軍によって途絶えさせられてしまいましたから。

観光ブームに便乗した神社ブーム、神道ブームが起こり、波に乗ったように見えましたが、信仰のための参拝ではなく、観光のための拝観でしかありませんでした。
コロナ騒ぎで拝観者は居なくなり、心静かに参拝できるようになった今、改めて平穏な神社信仰を始めてください。

神さまと貴方の仲を取り持つのが神主としての私の役目ですから。(何か?こんなことを私が言うとインチキ臭く感じますが)
実際、信じ敬う対象を持ち随神の道(かんながらのみち)を歩めば心はやすらぎます。人が幸福と感じるときは心が安らいでいることが一番です。

お金や地位を得るために頑張っても心の安らぎは得ることが出来ないのは周囲の人や自分を反省したらわかることです。
お金で幸せは買えないように信仰もお金では買えません。
ただ手を合わすことで幸せがやってくるのが神社信仰なのです。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿