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小泉文雄『日本の音』を読む 8  伝統音楽(邦楽)の現代化(続) 清和な福田?

2024-03-02 17:50:11 | 日記
A.「邦楽」への視線と熱意
 先にも書いたが、この小泉文夫氏の「日本の音――伝統音楽への入門」という文章は、はじめ1966年1月から12月までの一年間、雑誌『音楽の友』に連載されたものである。ここで日本の伝統音楽「邦楽」の現状について述べられていたことは、1966年という日本が高度経済成長の進行によって、それまでの日本社会でさまざまな形で維持されていた文化と人々の生活が大きく変化していく時点で考えられている、ということは注意した方がいい。それから半世紀以上が経過した現在の日本で、音楽がどのような形で鑑賞され享受され、そして演奏され創作されているかを考えると、この本で小泉氏が見ていた「邦楽」は少なくとも「洋楽」と対峙し二分する勢力として存在していたという事実が、もはや大衆文化レベルでは衰弱している、ように思われる。
 雅楽、能楽、三味線音楽、等々はいまも存在してはいるが、日本人の大多数がそれに触れて日常的に楽しむ音楽文化といえるのだろうか。ぼくの実感としては、すでに「邦楽」という言葉自体が、まったく別の意味に変化してしまった。若者をはじめ多くの人々に、戦後レコード業界が作りあげた欧米ミュージシャン、とくにロックやポップスの大スターのヒット曲が「洋楽」(19世紀クラシックはもはや欧米でもマイナーな音楽になりつつある)であって、これに対し日本の歌謡曲やJポップ(これは日本人の作曲家や歌手が提供し日本の音楽産業が配信し販売する楽曲、という意味しかない)を「邦楽」と呼ぶという妙な慣習が定着している。
 昭和の演歌・歌謡曲までは、西洋の楽器と五線譜の楽譜を使うにしても、ベースの音楽の成り立ちには江戸以来の“邦楽”の名残を留めていたと思う。しかし、戦後流れ込んだアメリカ製ポップスとジャズ、そしてロックの影響を受けてからは、大衆音楽の主流にはもはや「邦楽」との縁は少しも感じられない。これはたぶん音楽など無縁だった若者が、ビートルズに憧れてギターを手にしてコードを覚え、歌に乗せて曲を作れるようになった60年代後半から、たぶん「邦楽」は生き延びるのが難しくなった過去の音楽になってしまった。
 前回とりあげた小泉氏のまとめている現代の邦楽の五つの問題点の続き。三番目は…。

「また三番目には、よい作品を生む社会的条件としての、民衆の支持の不足という点も、やはり大きな問題点として考えて見なければならないでしょう。芸術祭における作品発表へのエンカレッジメントは、その運営の方法に全く問題がないとはいいきれないかもしれませんが、こうした社会的支持の不足している現代邦楽にとって、大きな、そうしてむしろ唯一の原動力となっているということができます。ただこれが全く社会的要求から遊離したものであるとすれば、いくら文化庁が力を入れたにしても、それ自身は結果として大きな成果をもたらさないかもしれませんが、近年において会員組織による音楽愛好団体などの働きかけもあり、これが実質的な要求として大きな動きになる可能性を見せてきました。こうした社会的要求と文化庁の芸術祭という企画とが一致するようになったとき、ほんとうの意味で作曲家を盛りたて、現代邦楽作品を質の高い成果に高めていく原動力となるでしょう。第四番目の問題として取りあげたいことは、すでによい作品を生み出すための作曲家の条件として述べた点にふくめられている問題ですが、聴衆もふくめた上で、現代邦楽が従来のような閉ざされたサークルの中での極端にデリケートな表現を賞翫するという雰囲気を根拠とするものでなく、広く一般大衆から高度に洗練された芸術家の美意識にまで幅広く答えうるものでなければならないということです。
 幸いにして洋楽畑の作曲家が邦楽に興味を示し、邦楽器のために優れた作品を書くといった傾向や、伝統的邦楽を従来ではみられなかったような体系的方法で学び、さらに邦楽の他のジャンルや洋楽の理論的な基礎をも同時に習得しつつ、専門の音楽家になっていくという教育の理念や方法が具体化されて、この両者の結びつきが深まっていくという傾向は、大いにこうした作品自体の表現の豊かさを助ける現実的な条件となりつつあると思います。
 しかし、ここに全く問題がないけれではありません。どれか一つに精通し、他は広く浅くという知識や経験から、何でもまぜ合わせて、それぞれのジャンルが持っていた独自の美しさを失ってしまうという、第一番目の問題点においてすでに指摘した危険をはらんでいるということです。いろいろな音楽の要素を持ってはいるが、結局はなにも表現していないという現代邦楽一般によく見られる傾向に対する批判に充分に答えるためには、たんなるそうした幅の広さというものでは解決できない問題がそこにあるからです。
 最後に第五番目の問題点として、私は過去の日本と現代のわれわれの置かれている社会との間の根本的違いを指摘しておきたいと思います。確かに過去において邦楽が、狭いサークルの中で美の極限にまで追求された、動かしがたい、そうして他のいかなるものによっても変えることのできない独自の境地を開いたといえます。こうしたものを失うまいとすれば、やはり学問的な研究や、音楽家ならびに聴衆のきわめて積極的な心構えが必要になります。しかし現代においては、かつての社会のように、たとえ邦楽畑といっても、その中で雅楽、琵琶、能楽、筝曲、三味線音楽といった種目のそれぞれの身分や階級によって分断された音楽の表現形式として、われわれはそれを守り育てていくのではなく、かつての日本では考えられなかったような、一人の人間が個人として直接に自分が所属する階級や身分の音楽だけでなく、ありとあらゆる種類の音楽を同時に享受し、それを生み出すという社会的要求に変わってきているということです。
 かつての邦楽は種類や種目、流派が多く、一見きわめて豊富に見えますが、江戸時代の人たちは、個人個人についていえば、その中の結局は一種目、極端な場合には一流派の音楽だけにしか結びついていなかったわけです。音楽の種類が豊富だというのとはまさに正反対に、それぞれの個人はただ一種類の音楽的表現しか持っていなかったわけです。
 ところが現代の日本人は、あたかも自分たちの音楽表現であるかのように、西洋の古典音楽を愛好し、また現代的手法に期待の胸をふくらませ、同時に軽音楽やジャズに親しみを覚えつつも、日本の古典音楽の美しさを鑑賞します。そしてこの古典音楽の中には、雅楽や能楽や三味線や筝曲といった、あらゆるタイプの伝統的傑作がふくまれているといった状況です。
 一番はじめに問題になりました今日の若い世代における、西洋の古典こそ、その感覚と直接に結びつくものであり、日本の古典においてはその独自の価値を認めることができるが、現代邦楽は意味がないという立場も、実のところは若い世代が現代人であるということの証拠にほかなりません。つまり若い世代においては、悲観的な見方とは逆に、あらゆるものを逞ましく吸収し、すべてのものを自分たちのものとして受けとめ、新しい表現に期待するという積極的な姿勢があります。しかし、それに対して現代邦楽が充分に答えていないと見られるからです。
 ただ、日本人がいくら努力して西洋音楽を身につけても、言葉や環境の制約がありますから、生活との結びつきにおいてヨーロッパ人と同じにはならないという限度もあり、また程度のちがいはありますが、伝統的邦楽を理解するという面でも、風俗や生活様式の違ってしまった今日では、よくわからない点も多くあります。こうした点を考えますと、現代人は、ひとりずつが強い個性を持ちながらも、「幅の広さとともに、個々の分野での深さの限度」という点で極めて共通した性格を持っていると言えます。
 この共通の性格こそ、「現代の要求」という、漠然としてはいますが、やはり動かし難い方向であって、その前で、音楽家の個性がそれをどのようにつかみ、多様の中にも一貫した表現としてまとめるかという問題が、特に日本のようにあらゆる側面で複雑な内容を持つ環境においては決定的になります。
 そして、こうした情況の下で生まれた傑作は、単に日本人の中の限られた人々だけのものでなく、すべての日本人、さらに世界の人類に広く通用するはずです。逆にいえば、こうした普遍的価値を持つものこそ、実は現代の日本人が要求している表現なのだといえそうです。」小泉文夫『日本の音 世界のなかの日本音楽』平凡社ライブラリー、1994年、pp.267-271.

 そこではじめに帰って、1960年代半ばの時点では、日本の音楽「邦楽」については、明治以来の西洋音楽を基本とする「洋楽畑」の音楽家たちに対して、伝統音楽の立場に立つ「邦楽畑」の音楽家が並立二分して交わらない形だったものが、この時代には交流し交雑するような作品が現れたという指摘がなされるが、それは必ずしも望ましい発展形態とは言えなかったように、小泉氏は認識している。

「古典邦楽と現代邦楽:
 NHKのラジオや芸術祭の参加作品ということになりますと、近年は盛んに新しい邦楽作品が発表されています。邦楽というものはすでに江戸時代までの古い日本音楽であるという考え方からすると、新しい邦楽とか現代邦楽というのは、何か言葉の矛盾のような感じもします。しかし実際には日本の音楽家の層は、今日でも判然と洋楽畑と邦楽畑とに二分されています。最近は洋楽畑の作曲家や演奏家が邦楽に興味を持ったり、逆に邦楽畑の音楽家たちが洋楽を熱心に勉強するという傾向が顕著になってきました。しかしそのいずれかの畑が、それぞれの音楽家における戸籍上の分野であるという点は、多くの場合疑いもなく明確です。したがってそれぞれの畑の作曲家たちが新しい作品を書いたとすれば、それは洋楽畑の作品、また邦楽畑の作品のどちらかになってしまうのが現状です。
 たしかに作品の上でも相互の交流が激しくなり、洋楽畑の作曲家の作品が邦楽器ばかりによるアンサンブルであったり、逆に邦楽畑の作曲家の作品のなかにオルガンやティンパニ、ハープシコードという楽器が現れてくることも、決してまれではありません。にもかからわず、そこにやはり、作風のちがいがはっきりと現れています。
 いずれにしても現状では、邦楽畑の作曲家が単に古典の名曲を演奏し、それと全く同じスタイルで新しい作品を書くということに満足せず、現代日本人の感覚の表現として、これまでの伝統的な楽器、理論、技法などに依存しながらも、さらに新しい分野を開拓しようと努力して、多くの作品を生み出しつつあることは事実です。こうした作品をわれわれは一括して、新邦楽、現代邦楽、さらに場合によっては現代日本音楽と呼ぶこともあります。この最後の場合には、広い意味では洋楽畑の作品もふくまれるわけですが、常識的にはこの三つの言葉は、多少のニュアンスごそ違えほとんど同じ意味に用いられています。
 さて、音楽を受け取る側、つまり現代の聴衆からしますと、こうした新邦楽ないし現代邦楽に大きな期待をかけ、これこそ自分たちの、真の音楽的表現であると、熱心にその成り行きを見守っている人々は、案外少ないといえるでしょう。芸術祭の作品の多くは、審査員のためであり、またラジオの放送における新作の発表は、ごく限られた専門的サークルの中で話題になるに過ぎないというのがいつわらざる現状かもしれません。
 最も多くの会員組織を持つ労音などにおいて、新しい現代邦楽が聴衆の立場から大きく期待され、熱心に見守られているという事実はありますが、日本の音楽の創造面を取りまく全体的な状況からみると、やはり現代邦楽はどちらかというと、一部の人々の間での努力として、社会の一隅における現象以上のものになりにくい状況です。
 こうした今日の社会的現状を、音楽を受け取る側の感覚から、最もはっきりいえることは、「日本音楽の古典はよいが新しい邦楽は意味がない」という考えで、これが案外に広く今日の世代を代表した意見であるとみられます。日本音楽の新しい作品ばかりか、古典作品についても全く関心を示さないという、いわば「縁なき衆生」については、ここでは問題にしないことにしましょう。少しでも日本音楽に関心を持ち、それを感覚的に要求しないまでも、それについて知りたいと考え、学びたいと思っている人たちの多くは『六段』や『越後獅子』、また古い能楽や雅楽には共感を示し、その芸術的な高さに感服しながらも、新しい現代邦楽ということになると全く関心を示さない人がたくさんいます。
 一般に洋楽畑の音楽家およびその愛好家たちの間で、そうした考えが多いと思います。この考え方は、われわれとしても一概に排斥することはできません。なぜならば、こうした考え方の基礎にだいたい次の三つの根拠があると思われるからです。
(一) 日本の古典音楽の中には、他のどの民族の芸術音楽の中にも見られないような独特の美しさというものがある。ところがそれは過去の日本の歴史や文化の持っていた独自性であって、そうしたものに基づいて人々の生活や感覚が養われていた時代には新しくそうした芸術が生まれてくる理由があった。またそれは同時に、現在でもわれわれの芸術的意識を高め感動させるに充分な意味を持っている。しかしそれはあくまで日本の過去の歴史と文化につながった産物である。 
(二)  ところが新しくつくられる新邦楽や現代邦楽は、日本民族の独自の美意識や古来の芸術的感覚というものを充分に持っていないばかりか、いたずらに西洋音楽の技法を取り入れることによって、本来の美しさを失い、同時に西洋音楽が持っている、構成的な表現や、合理的体系を生かしていない。簡単にいえば「日本の良さ」も「西洋の良さ」も、それをまぜ合わせることによって失ってしまったような作品が多い。
(三)  現代の日本人は、日本の古典音楽を生み出した時代の人々と、すでに感覚が違っている。現代の若い世代においては、むしろ西洋音楽の古典こそ彼らにとっても直接的にその感覚につながるものであり、日本の古典音楽においては、まだそのつながりが認められるにしても、現代邦楽においては全くその意味が薄らいでしまう。
 以上の三点を根拠として、現代邦楽に対するマイナスの味方というものが出てきます。この三つの点は、かりに今、私がまとめたものですから、これに対してもっといろいろな要素や理由をつけ加えることもできるでしょう。しかし、以上の三点は、単に間違った考えとか、極端な意見というふうに排斥してしまうことができないほどの、、実際的な根拠を持っているとみることができます。」小泉文夫『日本の音 世界のなかの日本音楽』平凡社ライブラリー、1994年、pp.256-260.

 こうして読んでくると、その後半世紀後の日本の音楽ということを考えるうえで、なかなか複雑な問題が浮かんでくる。それは固有の民族性とか伝統とかいうものと、いわば世界化する音楽、民族性や固有の伝統というものを超越して広がっていく文化との関係をどう見るか、どちらかがより美しく魅力的なものだと判定することはできないし、その必要もない。だけれども、音楽のモードや影響力は時間と空間で常に変化していくことは、この半世紀の音楽状況を見ても明らかだ。小泉氏は1983年に亡くなられてしまったから、その考察はぼくたち自身がやっていかなければならない。


B.福田赳夫の理想?
毎日新聞の2023年12月21日の特集記事「「安倍派」なぜゆがんだ? 福田赳夫氏の清く正しい理念どこへ」によれば、自民党の派閥安倍派「清和政策研究会」の元になった福田赳夫元首相の、理念についてそれは「清廉な政治は人民を穏やかにする」というものだったという。
「清和政策研究会が1979年に創設された当初の名称は「清和会」だった。永田町では今もルーツに倣って「清和会」、または「清和研」の略称で呼ばれる。 清和会のホームページ(HP)によると、派閥創設者の福田赳夫元首相が中国の史書に記された「政清人和(せいせいじんわ)」から「清和」と命名した。「まつりごと清ければ人おのずから和す」。清廉な政治は人民を穏やかにするという意味だという。HPには「自民党を良くするため、派閥のための派閥ではなく、清く・正しく・たくましい活動をしてゆこうとする福田赳夫先生の精神が、発足当時から受け継がれている」とも記されている。
福田氏は1972年の自民党総裁選で田中角栄と争い、有力と言われながら敗れ田中政権を許した。角福戦争などともいわれたが、金権政治と言われた田中派に対して、違いを出そうと福田は清廉な政治を打ち出して「清和会」という派閥を作ったという。それがなぜ裏金にまみれる最大の汚染派閥になってしまったのか?

「ロッキード事件を機に国会議員に疑惑をただす政治倫理審査会(政倫審)が国会に置かれたのは1985年。新聞の縮刷版を繰ると4月5日に設置決定の記事がある▼これと直接の因果はなかろうが、前日の紙面に自民党福田派に『同志の歌』ができた、とあった。福田赳夫元首相に頼まれた作家川内康範氏の作詞作曲▼詞に「明日の日本に思いを走せて、援け合いつつ結ばれた」とある。安倍派に連なる後継派閥を近年取材した同僚らは「聞いたことがない」と言い、長く歌い継がれた形跡は確認できないが。85年の記事で中堅議員は「派の結束の固さを表す」と誇った▼自民党派閥の裏金問題をめぐる昨日の政倫審に安倍派歴代幹部の4人が出た。派閥から議員に還流する金を収支報告書に記さず裏金にするしくみができた経緯など質問が核心に及ぶと知らぬ、存ぜぬ…▼知らぬなら、派に長く君臨した森喜朗元首相らに事前に聞けばいいのに「森元総理が関与したという話は聞いていない」(西村康稔氏)などとして、やっていないよう。裏金問題で解散を決めた派閥だが、歌詞のごとく助けあいつつ、嵐の通過を待っているようにも見える。明日の日本に思いはせ、悪習を詳らかにする政治家はいないのか▼詞に「悪しきをいましめ、清らかな花をすべての人にちりばめる」ともある。その志を思い、切なさ増す39年後の春である。」東京新聞2024年3月2日朝刊一面、筆洗。
 川内康範といえば、「お袋さん」などのヒット作を書いた作詞家で、ぼくには「月光仮面」の作者として記憶される名だが、この人は頑固な右翼思想を打ち出していたはずで、自民党右派として岸信介路線を受け継ぐ福田赳夫とは気が合ったのだろうか。
コメント (1)
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