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ケネス・クラーク「ザ・ヌード」を読む 8  バイロイト音楽祭

2017-09-19 14:41:47 | 日記
A.「エナジー」と身体
 ギリシャ語に由来するエネルゲイア、英語でエネルギーは辞書によれば、Energy:1.力、勢い、勢力;《ことば・文体などの》表現力;精力、気力、根気、活気、元気;《個人の》活動力、行動力;《古》能力。2.《理》エネルギー;エネルギー《熱・電気など》エネルギー源となっている。人間の生命力の発露、東洋なら「気」(あの合気道の気)に近いが、「気」は精神的なニュアンスがあり形になりにくいが、エネルギーは肉体において形になる。

「ギリシャ人は、力(エナジー)の具現に適した二つの典型を裸体像に発見した。それらはほぼ今日に至るまで、ヨーロッパ芸術に存続している。競技者と英雄がこれであって、しかも両者は当初から相互に密接なつながりをもっていた。ギリシャ以外の古代宗教の場合、神々は静止的な形姿をとっていたし、その礼拝に関連したいっさいの行為もしゃちほこばって動きがなかった。これに対してギリシャの神々と英雄は、ホメロス時代このかた、自らの肉体的エネルギーを誇らかに顕示し、信者に対しても同じ態度をとるよう要求していた。これと共通の現象はすでにミノア時代のクレタの神秘な文化にも現われていて、アクロバット・ダンスを暗示するものや有名な牛跳びの表現が今日に伝えられている。しかしこの儀式的な競技の伝統がギリシャ世界にどの程度まで浸透していったかは明らかでない。ただ、ギリシャの伝説的な建国時代にヘラクレスがオリンピアの競技を創設したと言われ、また歴史的オリンピアードは前七世紀に始まっている。地方の祭礼もこれに同調して前六世紀の半ばには、アテネで四年ごとに試合が行われるようになっていた。そしてアテネがギリシャの政治の中心として確固たる地位を占めるに準じて、この町の競技は有名になっていった。これらの競技では優勝者に大きな壺を贈るのが慣わしで、壺には優勝した種目のスポーツの場面が描かれていた。
 運動中の裸体像の長い歴史はこの壺絵に端を発し、それがドガの踊り子までひろがってゆくわけである。この最初の運動中の裸体像には優美な動作が見られない。初期において活動的な肉体を表わすには、尻やふくらはぎを大きな弧線でなぞる遣り方が一般で、ふつう言うところの肉体美とは関係がなかった。その上アテネの体技場で競争や格闘をしていた競技者の体格といったら、前六世紀にはまだぶざまであった。レスラーとは猛々しい男であり、熊のように取っ組み合いをするホメロスの英雄たちと変りがなく、ランナーは盛り上がった肩、細い腰、ふくれた腿の持主であった。しかし彼らは弾力的なリズムでもって跳ねまわり、次の世紀に出て来る正確な比例の人物よりも溌溂としていた。そしてわれわれはここで初めて、本章のいたるところで繰り返し出てくる問題、つまり芸術において運動はある程度かたちを誇張歪曲せずには実現され得ないという問題の、例証に出会うわけである。
 これら優勝者の壺、公的な名称で言えばパナテーナイアのアンフォラは、その率直で生気に富む表現にもかかわらず、大量生産的作品の要素をそなえている。しかし前六世紀も末になると、かつてはある彫像の台座となっていて競技する人びとを表わした優美な浮彫(アテネ国立考古博物館)に、ひとりの個性的な芸術家の手が見出されるようになる。そこでは粗野な逞しさが消えうせ、若者たちはいまだ著しく筋肉質であるが、整った緊密な体格を示している。それがどれほど整然として緊密であるかは、アントニオ・ポライウォーロが描いた戦う裸体の男たちン版画と比べれば、明らかであろう。フィレンツェの裸体像はいかにも活力に溢れてはいるものの、緊密に様式化されたギリシャの競技者と並べれば、節くれ立ってぶざまである。ここで私の脳裏にまずポライウォーロが比較の相手として思い浮かんだのは、彼が肉体でもって運動感を伝達するために、同じ手段を非常に多く用いているからである。ポライウォーロはギリシャの陶器の研究者であったし、トㇽレ・デル・ガㇽロにある彼の舞踏する人びとの絵はエトルリアの赤絵式壺に想を得ている。しかし両者の共通性は、単なる模倣を越えた、より深い点にまで達していて、人物間に同じリズミックな間合いの感覚があり、同じ緊張した輪郭線や浅い内部の肉付けがある。浅浮彫という、デッサンと彫刻とを結ぶこの美しい仲介者は、いつの時代にも運動の表現に適していた。なぜならそれは、あからさまな叙述によるよりも暗示作用をもって働きかけるからである。さて運動中のはだかの肉体が、浮彫ではなく堅固な丸みのある全体としてわれわれの前に置かれるとき、知的な観点から近づいてはまず解決できそうもない問題が幾つか出て来る。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』高階秀爾・佐々木英也訳、ちくま学芸文庫、2004.pp.277-281.

 ケネス・クラーク「ザ・ヌード」は、西洋美術における理想的形態のありようをめぐって、アポロン、ヴィーナスと考察を進め、次の第五章は「力」がテーマである。オリンピックは古代ギリシャのアテネに始まるスポーツの祭典だが、身体能力を競う競技の登場人物は男性だけであった。身体の動勢を描く図像は、古代ギリシャの壺絵の躍動によく現れている。



B.バイロイト音楽祭の新演出
 日本ではワグネル・ソサエティという音楽サークルがたくさんあるが、リヒャルト・ヴァーグナーといえば楽劇Musikdrama(オペラみたいなものだが、軽薄なイタリア・オペラとは違うのだと、あえて楽劇と)の創始者であり、その本拠がドイツのバイロイトにある歌劇場である。朝日新聞に、今年の夏に開かれたバイロイト音楽祭を訪れた記者の報告があった。

「ワーグナーと帝国市民の亡霊:風 バイロイト、ニュルンベルクから 石合 力
 ドイツのメルケル首相は、ワーグナー愛好家の聖地バイロイト音楽祭の常連だ。今年は7月末の開幕公演で新しい演出の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を楽しんだ。
 靴屋や金細工師など伝統職人の親方(マイスター)たちが歌手としての腕を競い、歌合戦の勝者が若い娘に求婚する物語は、ドイツの文化と芸術のすばらしさを歌い上げた名曲だ。半面、ワーグナー自身の反ユダヤ主義的な思想が登場人物などに反映されているといわれる。
 バイロイト音楽祭は、ヒトラーが足しげく通い、ナチスと一体化した負の歴史を持つ。今回演出を手がけたのは、ベルリンの歌劇場で活躍するオーストラリア人のバリー・コスキーさん(50)。ユダヤ系演出家による公演は音楽祭で初めての試みだった。コスキーさんが熟考したのは、ニュルンベルクという街が持つ多様な顔だったという。
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楽劇で中世の理想郷として描かれたこの町は1933年以来、毎年ナチス党大会の会場になった。35年に制定された「帝国市民法」は、ユダヤ人から公民権を奪い、人種差別を合法化した。党大会のさなか、オペラハウスでヒトラーが楽しんだのが今回と同じ「マイスタージンガー」だった。
コスキーさんの演出では、終盤の歌合戦の場面が一転して「ニュルンベルク裁判」の軍事法廷になる。第2次大戦後、米英仏ソ連の連合国がナチスの戦争犯罪を裁いた場だ。主役の親方のハンス・ザックスは証人席に立ち、マイスターの栄光を引き継ぐことで「神聖なるドイツ芸術は変わらず残るだろう!」(北川千香子訳)と訴える。
ドイツのすばらしさ、ドイツ人らしさにこだわる主張こそが、他者を迫害する理由にもなった。「劇中であなたが誰を演じるか、観客のあなたが誰なのかによって、心を乱し、乱されるものになる」。コスキーさんは演出の試みをそう解説する。
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軍事法廷は記念館として保存される一方、重大事件の裁判所として今も使われている。8月末、法廷を訪ねて驚いた。その日、被告席に現われたのは、「帝国市民」を名乗る極右組織の男(49)だったからだ。
この組織は戦前のドイツの存続を信じ、現ドイツ政府の存在を認めない。武装して納税を拒否するなど過激な行動を取ることで知られる。共鳴者は専門家の推計で約3万人にのぼるという。被告の男は、ニュルンベルク近郊の自宅の周りをペンキで線引きして一方的に「主権国家」だと宣言。昨年10月、自宅に踏み込んだ警官隊を銃で殺傷した罪に問われていた。
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「ドイツ文化と芸術」を礼賛するワーグナーの楽劇を軍事法廷にかけ、その功罪を浮き彫りにする演出を認めたバイロイト音楽祭の度量の広さ。その法廷で、民主ドイツを拒み、「自分ファースト」を掲げる帝国市民の末裔の偏狭さ。どちらも今のドイツの一面なのだろう。現実と虚構が入り交じり、劇中劇に迷い込んだ錯覚を覚えた。(ヨーロッパ総局長)」朝日新聞2017年9月18日朝刊9面、国際欄。

 第2次世界大戦の終結以来、ワーグナーを語ることにはヒトラーの反ユダヤ主義の暗い影がつきまとう。長大な「ニーベルングの指輪」をはじめ数々のワーグナーの楽劇には、ゲルマン神話やドイツ的な精神の讃美とともに、民族差別やエスノセントリズムの匂いが芬々としている。日本人はかつて枢軸国としてナチ・ドイツ帝国と手を組んだ過去があり、いまでもドイツに愛着をもつ人がいて、たいていワーグナーを尊崇している。ヒトラーを褒めるわけにはいかないが、偉大な音楽家ワーグナーなら問題ない、というわけにはいかない。しかし、ドイツにも「帝国市民」のような時代錯誤な人たちがいるように、日本にも大日本帝国臣民に憧れる極右な人たちがいる。ドイツではこういう人は法的に処罰されるのかもしれないが、日本では一般市民は関心がなく、無視しているだけなのが気になる。
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