第2558号 27.12.29(火)
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断に当たって断ぜられば、反って其の乱を受く。『史記』
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処断すべきときに躊躇して処断しなければ、後にかえってその災害を招くに至る。642
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【コメント】その「断」も大小さまざまであると思いますが、組織にしても自分にしても、今までの知識経験を活かして事に臨むのが良いと思います。
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30歳になったばかりの亭主が晩酌をして酔っ払い、妻にクダを巻き、脅迫して誓約書を書かせ、気に食わないとして殴るようなことがあってはならないと思います。そういう理不尽な亭主に、妻は包丁を握りしめ、殺すといいだしたのでした。
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自らの修養も出来ていない人間が、人様の子供に、人格を養成する空手道を教えることは出来ないと思います。人間、道を踏み外さない人はいないと思います。そういう局面に遭遇したら、罵倒されようが、殴られようが、自分を磨くという視点に立って腰を据え、聞くべきは聞くという謙虚さがなくては、伸びないと思います。
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その昔15年位前、薩摩詩吟会でのこと。長老で詩吟がうまい先生がいました。酒癖が悪く、誰彼となく、当たり散らすのです。私は、酒を飲んでも謙虚さは失わない性格なのですが、何かと文句を言われたのでした。
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そこで翌朝、正装して自宅へ乗り込んだことがありました。「どういう礼を失することがあったのでしようか」、と。ところが、酔いが覚めた本人は、何を言いましたかねと、しどろもどろでした。
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この種の性格は直らないのですが、誰かが教えてあげなければならないのです。
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『臥牛菅実秀』(第96回)
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それに対して老公忠発はつぎの裁断を下した。
「国家多難の際に、あたら有為の人材を、常法にこだわって処置すべきではない。」
そしてその過失を許し、職は従前のままとしたのである。
忠発の側用人山口三郎兵衛(将順)は、忠発のこの裁断と、それにそえた懇篤な言葉を実秀に伝えるために急ぎ江戸に上った。実秀の収容されているお長屋につくと、従僕を見つけたので、早速、実秀の安否を聞いた。従僕は、
「主人は今、お部屋で眠っております。」
といったのでホッとした。三郎兵エは実秀の気性から考えて再び自決をはかるのではないかと、ひそかに心配していたのである。
づかづかと座敷に入った三郎兵エは実秀の枕頭に座った。
「おう、三郎兵エはん----」
思いもかけない長老の出現に実秀は驚いた。
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『論語』(第487)
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曾子曰はく、吾諸(これ)を夫子に聞く、孟荘子の孝や、其の他は能くすべし、其の父の臣と父の政(まつりごと)とを改めざる、是れ能くし難し。
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曾子が言うには、『私が孔子先生から伺ったことだが、孟荘子の親孝行も、外の事は未だ真似もできるが、父の死後其の旧臣をそのまま召使ひ、其の政治ぶりも改めずにそのまま受け継いだことは余人にはまねの出来ないことだ。』
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『農士道』(第373回)
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どうしても何とか答へねばならぬことになった。
「母親というものは、其子を産み育ててあらゆる苦労をして、それで何等の報酬を要求しません。其処が金で雇われて、金だけにしか働かぬ雇人と違う處です。士は正しく自然の母でしょうね。」
沈黙が続く。
「明治天皇の御製にかういふ御歌があります。
産みなさぬものなしといふあらがねの
士はこの世の母にぞありける
この御歌こそ、あなたの疑問に対する最もよき教でありませう。」
此処は秋田県由利郡小出村東畑といふ一山村である。
私は凶作といはるる東北地方の農村の様子を視て秋田の由利郡に行ったのだが、此の郡は他地方に比して凶作だとは思われぬほどの出来栄えである。
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断に当たって断ぜられば、反って其の乱を受く。『史記』
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処断すべきときに躊躇して処断しなければ、後にかえってその災害を招くに至る。642
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【コメント】その「断」も大小さまざまであると思いますが、組織にしても自分にしても、今までの知識経験を活かして事に臨むのが良いと思います。
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30歳になったばかりの亭主が晩酌をして酔っ払い、妻にクダを巻き、脅迫して誓約書を書かせ、気に食わないとして殴るようなことがあってはならないと思います。そういう理不尽な亭主に、妻は包丁を握りしめ、殺すといいだしたのでした。
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自らの修養も出来ていない人間が、人様の子供に、人格を養成する空手道を教えることは出来ないと思います。人間、道を踏み外さない人はいないと思います。そういう局面に遭遇したら、罵倒されようが、殴られようが、自分を磨くという視点に立って腰を据え、聞くべきは聞くという謙虚さがなくては、伸びないと思います。
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その昔15年位前、薩摩詩吟会でのこと。長老で詩吟がうまい先生がいました。酒癖が悪く、誰彼となく、当たり散らすのです。私は、酒を飲んでも謙虚さは失わない性格なのですが、何かと文句を言われたのでした。
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そこで翌朝、正装して自宅へ乗り込んだことがありました。「どういう礼を失することがあったのでしようか」、と。ところが、酔いが覚めた本人は、何を言いましたかねと、しどろもどろでした。
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この種の性格は直らないのですが、誰かが教えてあげなければならないのです。
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『臥牛菅実秀』(第96回)
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それに対して老公忠発はつぎの裁断を下した。
「国家多難の際に、あたら有為の人材を、常法にこだわって処置すべきではない。」
そしてその過失を許し、職は従前のままとしたのである。
忠発の側用人山口三郎兵衛(将順)は、忠発のこの裁断と、それにそえた懇篤な言葉を実秀に伝えるために急ぎ江戸に上った。実秀の収容されているお長屋につくと、従僕を見つけたので、早速、実秀の安否を聞いた。従僕は、
「主人は今、お部屋で眠っております。」
といったのでホッとした。三郎兵エは実秀の気性から考えて再び自決をはかるのではないかと、ひそかに心配していたのである。
づかづかと座敷に入った三郎兵エは実秀の枕頭に座った。
「おう、三郎兵エはん----」
思いもかけない長老の出現に実秀は驚いた。
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『論語』(第487)
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曾子曰はく、吾諸(これ)を夫子に聞く、孟荘子の孝や、其の他は能くすべし、其の父の臣と父の政(まつりごと)とを改めざる、是れ能くし難し。
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曾子が言うには、『私が孔子先生から伺ったことだが、孟荘子の親孝行も、外の事は未だ真似もできるが、父の死後其の旧臣をそのまま召使ひ、其の政治ぶりも改めずにそのまま受け継いだことは余人にはまねの出来ないことだ。』
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『農士道』(第373回)
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どうしても何とか答へねばならぬことになった。
「母親というものは、其子を産み育ててあらゆる苦労をして、それで何等の報酬を要求しません。其処が金で雇われて、金だけにしか働かぬ雇人と違う處です。士は正しく自然の母でしょうね。」
沈黙が続く。
「明治天皇の御製にかういふ御歌があります。
産みなさぬものなしといふあらがねの
士はこの世の母にぞありける
この御歌こそ、あなたの疑問に対する最もよき教でありませう。」
此処は秋田県由利郡小出村東畑といふ一山村である。
私は凶作といはるる東北地方の農村の様子を視て秋田の由利郡に行ったのだが、此の郡は他地方に比して凶作だとは思われぬほどの出来栄えである。
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