Wada Post Town, Nagawa Town, Nagano Pref.
さてさて、美味しい蕎麦をいただいてこの日の宿泊地である小諸に向かって車を走らせていると
「旧中山道 和田宿」と書かれた看板をワタクシ達は目にしました。
ちょうどワタクシ達が通っている国道と並行して旧中山道があり、歴史に興味があるワタクシ達はせっかくですので
長野県長和町の和田宿に立ち寄ることにいたしました。
和田宿は中山道六十九次のうち、江戸から数えると二十八番目の宿場町になるんです。
和田宿と次の下諏訪宿の間には、中山道で碓氷峠と並ぶ最大の難所である和田峠があるために
峠越えのために多くの旅人が宿を取ったので大いに賑わったそうなんですよ。
中山道の宿場町というと、関西に住むワタクシなどはすぐに妻籠や奈良井といった木曽路の宿場町を思い浮かべます。
初めて訪れた和田宿は風情のあるいい雰囲気の町でありました。
宿場の中に旧本陣の建物がありましたので、せっかですので中を見学することにいたしました。
本陣のボランティアの方にいろいろお話をしていただいたり、資料の説明をしていただいたのですが、これがなかなか興味深かったのです。
みなさんもよくご存知だとは思いますが、江戸時代の末期、いわゆる尊王攘夷運動が高まりを見せ、幕府への批判・不満が高まります。
幕府は尊王攘夷派の不満をそらせようと、朝廷との関係を強めようとするのです。これが公武合体政策ですな。
その時に白羽の矢を立てられたのが和宮親王でありました。彼女は十四代将軍、家茂の嫁となることを画策されてしまいます。
周囲からの説得、圧力もあり和宮親王はこの婚姻を認めざるを得なくなります。
そして江戸に嫁ぐ和宮親王一行は京都を出発した後、東海道ではなく中山道を通って江戸に向かいます。
この和田宿にも和宮親王たちは宿泊しているんですよ。
東海道を通らず、わざわざ距離が長くて険しい峠道も多い中山道を通ったのには理由があったのですね。
一つは東海道は富士川や大井川などの橋が無い川があり、大雨が降ると何日も足止めをくってしまいかねないこと。
もう一つは東海道では過激派の活動が活発で、警備が中山道の方が容易であったことだそうです。
この時の行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員されたそうです。
愛する京都を離れねばならず、江戸に嫁がねばからなかった和宮親王はどんな思いで江戸に向かったのでしょう。
「住み慣れし 都路出でて けふいく日 いそぐもつらき 東路の旅」
「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」
こんな和歌を見ると切なくなりますね。
使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-E1、他はFUJIFILM X-T1
旅というのは入念に計画をたて、用意周到に行程を進めていくのも楽しいのですが
この時のように偶然面白そうな場所を見つけ、そこに立ち寄ってみるのも楽しいものです。
旅ではハプニングを楽しむくらいの心の余裕がないと楽しくないですね。
人気ブログランキングへ←ランキングに参加しました。
励みになるので、よかったら「ポチッ」と押してやってください
さてさて、美味しい蕎麦をいただいてこの日の宿泊地である小諸に向かって車を走らせていると
「旧中山道 和田宿」と書かれた看板をワタクシ達は目にしました。
ちょうどワタクシ達が通っている国道と並行して旧中山道があり、歴史に興味があるワタクシ達はせっかくですので
長野県長和町の和田宿に立ち寄ることにいたしました。
和田宿は中山道六十九次のうち、江戸から数えると二十八番目の宿場町になるんです。
和田宿と次の下諏訪宿の間には、中山道で碓氷峠と並ぶ最大の難所である和田峠があるために
峠越えのために多くの旅人が宿を取ったので大いに賑わったそうなんですよ。
中山道の宿場町というと、関西に住むワタクシなどはすぐに妻籠や奈良井といった木曽路の宿場町を思い浮かべます。
初めて訪れた和田宿は風情のあるいい雰囲気の町でありました。
宿場の中に旧本陣の建物がありましたので、せっかですので中を見学することにいたしました。
本陣のボランティアの方にいろいろお話をしていただいたり、資料の説明をしていただいたのですが、これがなかなか興味深かったのです。
みなさんもよくご存知だとは思いますが、江戸時代の末期、いわゆる尊王攘夷運動が高まりを見せ、幕府への批判・不満が高まります。
幕府は尊王攘夷派の不満をそらせようと、朝廷との関係を強めようとするのです。これが公武合体政策ですな。
その時に白羽の矢を立てられたのが和宮親王でありました。彼女は十四代将軍、家茂の嫁となることを画策されてしまいます。
周囲からの説得、圧力もあり和宮親王はこの婚姻を認めざるを得なくなります。
そして江戸に嫁ぐ和宮親王一行は京都を出発した後、東海道ではなく中山道を通って江戸に向かいます。
この和田宿にも和宮親王たちは宿泊しているんですよ。
東海道を通らず、わざわざ距離が長くて険しい峠道も多い中山道を通ったのには理由があったのですね。
一つは東海道は富士川や大井川などの橋が無い川があり、大雨が降ると何日も足止めをくってしまいかねないこと。
もう一つは東海道では過激派の活動が活発で、警備が中山道の方が容易であったことだそうです。
この時の行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員されたそうです。
愛する京都を離れねばならず、江戸に嫁がねばからなかった和宮親王はどんな思いで江戸に向かったのでしょう。
「住み慣れし 都路出でて けふいく日 いそぐもつらき 東路の旅」
「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」
こんな和歌を見ると切なくなりますね。
使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-E1、他はFUJIFILM X-T1
旅というのは入念に計画をたて、用意周到に行程を進めていくのも楽しいのですが
この時のように偶然面白そうな場所を見つけ、そこに立ち寄ってみるのも楽しいものです。
旅ではハプニングを楽しむくらいの心の余裕がないと楽しくないですね。
人気ブログランキングへ←ランキングに参加しました。
励みになるので、よかったら「ポチッ」と押してやってください