よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

キリシタン大名への思い-京都市北区:大徳寺瑞峯院

2014年07月01日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
Daitokuji Temple, Kita Ward, Kyoto City

さてさて、京都市北区の大徳寺にある瑞峯院をワタクシは訪ねたのでありますが、昨日のブログでは「独坐庭」を紹介いたしました。
今日は「閑眠庭」というお庭を紹介いたします。この庭もワタクシが大好きな重森三玲の庭なんですよね


この庭ももちろん枯山水なのですが、この閑眠庭はキリシタン大名であった大友宗麟に対する死後森三玲の思いが込められているんです。
ここでちょっと大友宗麟について触れておきますね


大友宗麟の「宗麟」は法号でして、正式な名前は大友義鎮(よししげ)といいます。
豊後の国(今の大分県)の戦国大名だった宗麟は、一時は九州全体を制圧するほどの勢いを手にします
しかし、島津氏との戦いに敗れた後は勢力を失い、豊臣秀吉の時代には豊後一国だけを領地とする地方大名にまで力を失います。


そんな宗麟は当時の仏教に見切りをつけ、フランシスコ・ザビエルと出会ったことも大きなきっかけとなってキリスト教に帰依します。
当時のキリシタン大名にはポルトガルやスペインとの貿易に有利だという理由で、キリシタンになった大名も少なくないのですが
彼は心からキリスト教の教えに魅せられ、キリシタンになったのでしょうね


そんな大友宗麟に対して、重森三玲はこの庭にキリスト教ならではの工夫をこらしました。
写真ではちょっとわかりにくいかもしれないのですが、縦に四つの石が、横に三つの石が配置されています。
この縦に並んだ石と横に並んだ石が、ちょうど十字架を描くように配置されているんですよ


ワタクシの想像でしかありませんが、重森三玲は宗麟への敬意の念をこの庭に込めたように思えるのです。
宗麟が死んでから約350年という時を経てこの庭が作られました。
きっと宗麟も、ワタクシ以上にこの庭のことを気に入ってくれていると思うんですよ


大徳寺瑞峯院…派手さはありませんが、落ち着いた素敵なお寺です


ではでは、そろそろ瑞峯院を後にするとしましょうかねぇ。


広い広い大徳寺の境内をワタクシは駐車場の方に向かって歩いて行きました


立派な三門を眺めながら、ワタクシは大徳寺を後にし、次の目的地へ向かうことにいたしました。
曇天なのが残念ですが、やっぱり京都はいいですねぇ。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


歴史というのは勉強すればするほど、また新たな興味が湧いてきます。
私は学生時代は歴史よりも地理の方に興味があったのですが、今は地理と同じくらい歴史が好きです。
学生時代も今も、興味が理数系には全く向かないのは困ったものです



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