劇団ノーヴィレパートリーシアター・スタニスラフスタジオ公演
20170924
ぽかぽか春庭感激観劇日記>2017年9月の演劇(3)バリャガンガーラ再演
昨年、友人のK子さんが熱演した「バリャガンガーラ」が再演されることになりました。
今回はダブルキャストでK子さんが出演するのは4回のみなので、ジャズダンスの仲間、行ける日が限られています。すでに退職しているメンバーもみな、合唱や西洋古典舞踊、登山に油絵教室、朗読サークルなど、さまざまな活動をしているので、空いている曜日が少ないのです。
ミサイルママも「木曜日、絵の教室があるからどうしようかな」と迷っていましたが、「絵の教室は毎月あるけれど、パラちゃんの劇は今週だけだから」と、いっしょに行ってくれることになりました。
「バリャガンガーラ」は、アイルランドの作家トマス・マーフィの戯曲です。
1801年、アイルランドはイギリスに併合され、不作による飢饉とつづく人々の餓死、飢饉を逃れてアメリカにどんどん移民していく時代がありました。100万人が餓死、130万人がアメリカ移住。
現在までに移民となったアイルランド人は7000万人。人々は希望のないアイルランドの地で希望を見いだそうともがいていました。
バリャガンガーラとは、「笑いのない町」という意味のアイルランド語のようです。
笑いを失い、鬱屈して暮らす、認知症の老婆とその介護を続ける孫娘メアリー。結婚して家を出て行ったものの、不実な夫とはうまくいっていないもう一人の孫娘ドリー。女性3人のお芝居です。
おばあさんは、コミュニケーションがとれなくなっていて、ひとりで「笑いのない町がどうして笑いを忘れたか」という昔話を、いつもあるところまでくると、ループして最初にもどってしまい、また繰り返す。
孫娘との会話は「紅茶が熱すぎる」と文句を言い、さましてもらうと「冷たい」と怒り出す、というような、不毛なやりとり。
看護師をしていたメアリーは、人生に疲れて実家に戻り、それまでドリーがやっていたおばあさんの介護を引き受けたのですが、ほとほと疲れ果てています。
妹のドリーは姉の恋人を奪って結婚したのに、その結婚生活はもはや破綻しています。
メアリーが試みようとしたのは、おばあさんの昔話をなんとか最後までハナさせようとすること。もし、最後まで話を聞けたら、この閉塞した家の中に違う光がさすのではないか、、、、
ラストシーン、ミサイルママは涙滂沱の状態でした。涙をぬぐいながらアンケートに感想を書き、劇場(28席というミニミニ劇場)を出ました。
地元に戻り、和食屋で牡蠣フライ定食を食べながらおしゃべりしました。ミサイルママの牡蠣は4個でミニグラスのビール。私は牡蠣6個で中生。
ミサイルママのお母さんは2年ほど前になくなったのですが、亡くなる前数年間は、一男二女の子供の名前もわからなくなった、という状態だったとのこと。
劇の最後に、おばあさんとふたりの孫娘が並んで仲良くベッドに横たわるシーンで、ミサイルママはご自分のお母さんを思い出して、泣けてきたのですって。お母さんは、たまに顔を見せるミサイルママのことはたまに思い出すのに、同居して介護を続けている妹さんのことは、完全にわからなくなったとのこと。
K子さんが難役に挑み、深い人間像を描き出したのも見事ですが、泣きながら劇場を出てきたミサイルママの感受性もいいなあと、思って、私も感激観劇の一日でした。
<おわり> )
私は昔の新劇というイメージで拝読します。
是非一度、良い舞台を観たいと思いました。
以前もそう思いながら、チャンスを見つけられないままです。
役者さんがどう演じるか、そんな興味ももう一度味わいたいと思いました。
音楽も演劇も、充実したひとときをすごせる人生の宝物と思います。
私は、テレビの演劇中継録画もときどき見ます。生の舞台の迫力にはかないませんが、自宅で手軽に観劇できるので、楽しんでいます。
秋のひととき、テレビコンサートやテレビ観劇もいいものです。
アイルランドね・・・
アイリッシュダンスは、そんな閉塞した空気の中で生まれたダンスでしたよね。
くちこも、母に思うことか多いです。
色々と。
親の介護を経験した人には、特別な重いが残りますね。
ああしてやればよかった、こうしなければよかった、という後悔と、親を見送って一仕事終えた感慨と。おくるもおくられるも「じゅんぐりこ」ではありますが、はたして、我々の世代が送られるときにはどういう社会であるのか。
双方心豊かに静かに見送り見送られたい者ですけれど。