こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さんは加藤清正という戦国武将のことはご存知でしょうか? 彼は若いときから豊臣秀吉に仕え、賎ヶ岳七本槍の一人にもなりました。秀吉なきあとの関ヶ原の合戦では家康方の東軍に味方し、こちらの肥後一国を与えられた後に熊本城を築いたのでした。 苗字が同じで、築城術が優れているということもあって、私は戦国大名の中では彼のことが一番好きなのです。 ちなみに地元の熊本では親しみを込めて「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれているそうです。
その清正公の廟所がある本妙寺に、私は朝の5時台に起きて行ってきましたよ。 もちろん箔母さんらは、その頃はまだ夢の中です。 そのお寺の山門は、城の湯のある上熊本からは歩いてすぐのところにあるのですけど、そこから先は緩やかな傾斜の参道が続いていて、とにかく長い しかも、そいつが行き止まったところからは「胸突きガンギ」と呼ばれている長い石段を上らなければなりません。
ハァハァ………こちらを訪れるのは22年ぶりなのですけど、あの頃は若かったとしみじみ感じてしまいました。そして、石段を上り詰めた先には………
清正公が奉られている浄池廟があります。こちらをお参りしたら、一見落着………なんて思ってはいけません。 実はこのお寺にはまだ続きがあるのです。
廟所の裏には、さらに天にも繋がりそうな階段が続いていて、こちらを上っていくと………
ヒィヒィ………ふひぃ、やっと頂上が見えてきました。 そうしたら、しっかりと居ましたよ。
こちらには、長烏帽子型のの兜と鎧を身につけ長槍を片手に持った、加藤清正公の銅像が聳え立っています。 名古屋城や熊本城の近くにも彼が座った姿の銅像があるのですけど、私はこちらの勇ましい立ち姿のほうが好きです。
また、そこからは熊本市街を一望することができます。銅像となった清正公も自ら築いた街の発展を見守っているようです。 ちなみに、中央のやや上側のこんもりと茂っているあたりが熊本城です。
早朝散歩が終わったら、今度は温泉宿泊施設の醍醐味の朝風呂を堪能する番です。 ちなみにこの時点でも、箔母さんとたつぴはまだ眠っています。
さすがに朝食の時間には二人とも起きました。こちらは和食バイキング形式なので、ご飯だけではなく、おかずのほうもおかわり自由なのです。
そしてチェックアウトが済んだら、この旅行の本命ともいうべき熊本城に向かいます。
城の湯から城域までは直線で行けばすぐなのですけど、なかなか侵入路が見付からなくて右往左往してしまいました。 このことから、西南戦争の際に官軍がこのお城に立て篭もったのですけど、圧倒的多数の西郷隆盛軍が攻めても落ちなかったこともうなずけます。 なんとか見つけた狭い石段を上り、塀伝いに道なき道を歩き、さらに二の丸大手門跡の巨大な入口を突破したら………
広大な二の丸広場に出ます。そこを歩き切ったところに熊本城の正門があるのですけど、箔母さんとたつぴはその時点ですでにダウン。 彼らには休息してもらって、その間に私はお城の外周を回りつつ写真を撮りまくりました。
高い石垣の上に、下見板張りの黒壁の建物がたっている感じがいいですね~ ちなみに向かって左が東十八間櫓、右が北十八間櫓といって、ともに現存しています。あ、右端にちょこっと写っている五間櫓のこともお忘れなく。 さらにその先に回ってみましょう。
手前の宇土櫓という建物は、小西行長が築いた宇土城の天守を移してきたという謂れがあります。 西南戦争中に発生した原因不明の火災によって城内の建物の大半が焼失してしまったのですけど、この櫓は無事に残りました。 外から見ると三層なのですけど、内部は五階あり、さらに地下一階も付いているのですよ。さらに、その内部に入ることもできるので、これは見逃せません。
熊本城外周一周1時間ちょっとの旅が終わったら、箔母さんとたつぴの体力も回復したと思われるので、みんなして有料圏内に入ることにしましょう。
そうしたら私たちの視界の中に、お城のシンボル的存在となっている大天守・小天守とともに、今までのお城とはケタ違いの数の観光客の姿が飛び込んできました。 世は現在、お城ブームの真っ只中にあるのですけど、熊本城はその総本山の地位にあるようです。
こちらは一般に二様の石垣と呼ばれているところです。築造年代の違いによって石垣の勾配が違うのですけど、左側はどう見てもあとから増設されたといった感じですね。それらの後方には本丸御殿や大天守が見えます。
では、改めまして………
手始めに前述の宇土櫓をクリアし、その次に大天守・小天守に昇ることにしました。それらの入口のある本丸に回ったら………
謎の忍者とバッタリ行き会ってしまいました。 これは彼に記念撮影を頼むしかありません。いちおう断っておきますけど、この謎忍は決して私が変装したものではありません。 撮影後、彼にお礼を言ってから、さらに入口に進んで行ったら………
今度は謎の鎧武者を見つけてしまいました。 こちらの彼は少々お疲れのご様子で、休憩に入ろうとしていたのですけど、そこを必死に頼み込み、なんとか撮影にこぎつけました。しつこいようですけど、こちらも私ではありませんよ。
大天守・小天守は昭和時代にコンクリート製で復興したもので、それらの内部には歴史資料の他にも、無数の一口城主の名前が書かれた札も並んでいました。それはいいとしても………
こちらには大勢の人が押し寄せていて、階段を上るのにも一苦労でした。 それでも、最上階からの眺望は素晴らしいですよ。もちろん遠方には、私が今朝方行った本妙寺も見えましたよ。
さらにすぐ眼下には、一昨年前に本格的に木造で復元された本丸御殿の全体像が。よぉし、次はそちらに行くことにしましょう 本丸御殿の建物は、限られた敷地の中に大掛かりに造られたということもあって、塁壁いっぱいに張り出して櫓と一体化もしているのですけど………
郭内の通路の上に覆いかぶさる形で建っているので、このような闇(くらが)り通路と呼ばれる地下空間もできてしまいました。
この本丸御殿は熊本築城400年を記念して建てられたもので、この城の目玉となっています。ではお待ちかね、いよいよその内部に迫ってみることにしましょう やはりこちらも、たくさんの見物者でごった返していました。
こちはの梅之間から向こうへはかなり広く開放感があるのですけど、その範囲は立ち入り禁止区域で、そのぶんその部屋を取り囲んでいる廊下等は混雑していました。 その突き当たりには何やらきらびやかなものが。とにかく向かってみましょう。
若松之間と呼ばれるこの部屋はかなり豪華なのですけど、このさらに奥には格式の高い部屋が控えているというではありませんか 気分はいっそう高まります。
これ、これ、これですよ~!観光パンフレット等でよく写真に載っているこの部屋は、昭君の間といいます。 格天井に食い違い棚、一段高い上段の間を持ち、「王昭君」の物語の障壁画を中心としてかなり豪華な造りとなっております。
一説には、豊臣家に恩顧のある清正が、豊臣秀頼が万一の事態に陥ったときには、彼をこちらにかくまって幕府と一戦交えるために造ったともいわれています。
しかしこれだけ見ただけでも、お城の見学時間が残りわずかとなってしまいました。なので、箔母さんとたつぴが売店で土産を選んでいる間に、私は残りの城内を猛ダッシュで廻ることにしました。
内部を公開している数寄屋丸の書院にコンパクトな飯田丸五階櫓、それに、名前に反して開いている不開門や、一緒に現存している田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓、………などなど。
お城を出たあとは大急ぎで駅に向かい、そこで少し遅めの昼食をとり、あちこちに配るお土産を買って電車に乗るという算段なのですけど………
「そこまでの交通手段は、路面電車とタクシーのどちらにしようか?」「路面電車は乗り場まで多少歩かないといけないみたいだから………楽なほうのタクシーがいい」
ということで、城門のすぐ前に控えていたタクシーに乗り込みました。 「現代の籠(※正確な呼び名は御乗物)は便利でいいな~ 」
ところがその車は、たまたまその日に市内各町がこぞっておこなっていた祭りによって行く手を阻まれてしまいました。 ただでさえ迷路のような城下町が行く先々で通行止めをしてくれるものですから、なかなか先には進めず、いたずらに時間だけが過ぎていきました。 「このままじゃあ電車に乗り遅れてしまう………」果たして、白黒茶々家は無事に乗ることができたのでしょうか? つづく
………とやりたいところなのですけど、スケジュールの都合上、家族旅行記は今回で完結させなければならないと編集部にきつ~く言われているので、続きもひっくるめて全部書いちゃいますね。
その後、私たちはわずかな時間を残して熊本駅に到着 お昼は列車の中で食べれるように適当におにぎりと飲み物を購入し、お土産もなんとか確保。 あとは特急列車の指定席券をとるだけなのですけど………
「指定席は全席埋まっております」
「またか~~~ 」足はクタクタ膝はガクガク、おまけに昼御飯を食べる場所も確保しなければならないというのに……… ところが、またしても自由席車両を多く用意してくれたおかげで、こちらでも余裕で座ることができました。 そして一息ついて、おにぎりを平らげたあとは………
ジャ、ジャーン!別腹に熊本名物のいきなり団子の登場です。 こちらはサツマイモ餡と小豆の餡を、小麦粉を練って作った皮で包んで蒸したもので、私は熊本城の売店でこっそりと買っておきました。もっちりとした皮の中から、二つの餡の味が一緒にするのは、なかなかいいですよ~ 熊本では、いきなり来た客に対応するためにこの団子が開発されたらしいです。この美味しさにありつけるのなら、私はいつだって熊本の客になりますよ~
そして私たち一行は博多駅に到着。そちらでは晩御飯の弁当の他にも辛子明太子等のお土産を追加購入し、新幹線のぞみ号に乗り込みました。
さすがにのぞみ称号を得ているだけに、とにかく速い 今まで踏み締めるように来た道をいっきに巻き戻しているみたいだ。
その車内で先ほどの弁当を食べたりしましたが、東海地方で唯一の停車駅となる名古屋までの3時間20分はあっという間でした。 「のぞみって儚いね………」なんか変な表現になってしまいましたけど、今回の私たちの旅も終わってしまえばあっという間のように感じます。
そして、22時過ぎには自宅に到着。白黒茶のワンニャンたちはいい子でお留守番をしていたみたいです。そんな箔にお土産を………と思ったのですけど、買ってきたのは辛子レンコンに辛子明太子などカラいものばかりなので、昨年の鹿せんべいみたいに食べさせることはできません。 それならば………
加藤清正生誕450周年&没後400年祭に備えて作られたキャラクターの清正くんでどうか堪えてくれ~ただし、これはお守りになっているので、噛んだり口に含んだりしてはいけませんことよ~
今回の我が家の家族旅行記は以上で終わりなのですけど、長々とした文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。 旅行の類は、一緒に行ったメンバーとその思い出をいつまでも共有することができるので、可能な限りは毎年続けていきたいと思っています。 それだけではなく、今回は読者の皆さんも一緒にハラハラしたり、いろいろな思いを語ってくれたりしたおかげで、私のほうももう一回皆さんと一緒に旅行に行ったような得した気分になることができました。
これは一石二鳥ならぬ一石三鳥です。そのようなワケで、またお薦めの場所に行くようなことがあったら、レポートさせていただきます。
清正公の大河ドラマ化に賛成の方は、こちらに投票してやってください。
突然ですけど、皆さんは加藤清正という戦国武将のことはご存知でしょうか? 彼は若いときから豊臣秀吉に仕え、賎ヶ岳七本槍の一人にもなりました。秀吉なきあとの関ヶ原の合戦では家康方の東軍に味方し、こちらの肥後一国を与えられた後に熊本城を築いたのでした。 苗字が同じで、築城術が優れているということもあって、私は戦国大名の中では彼のことが一番好きなのです。 ちなみに地元の熊本では親しみを込めて「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれているそうです。
その清正公の廟所がある本妙寺に、私は朝の5時台に起きて行ってきましたよ。 もちろん箔母さんらは、その頃はまだ夢の中です。 そのお寺の山門は、城の湯のある上熊本からは歩いてすぐのところにあるのですけど、そこから先は緩やかな傾斜の参道が続いていて、とにかく長い しかも、そいつが行き止まったところからは「胸突きガンギ」と呼ばれている長い石段を上らなければなりません。
ハァハァ………こちらを訪れるのは22年ぶりなのですけど、あの頃は若かったとしみじみ感じてしまいました。そして、石段を上り詰めた先には………
清正公が奉られている浄池廟があります。こちらをお参りしたら、一見落着………なんて思ってはいけません。 実はこのお寺にはまだ続きがあるのです。
廟所の裏には、さらに天にも繋がりそうな階段が続いていて、こちらを上っていくと………
ヒィヒィ………ふひぃ、やっと頂上が見えてきました。 そうしたら、しっかりと居ましたよ。
こちらには、長烏帽子型のの兜と鎧を身につけ長槍を片手に持った、加藤清正公の銅像が聳え立っています。 名古屋城や熊本城の近くにも彼が座った姿の銅像があるのですけど、私はこちらの勇ましい立ち姿のほうが好きです。
また、そこからは熊本市街を一望することができます。銅像となった清正公も自ら築いた街の発展を見守っているようです。 ちなみに、中央のやや上側のこんもりと茂っているあたりが熊本城です。
早朝散歩が終わったら、今度は温泉宿泊施設の醍醐味の朝風呂を堪能する番です。 ちなみにこの時点でも、箔母さんとたつぴはまだ眠っています。
さすがに朝食の時間には二人とも起きました。こちらは和食バイキング形式なので、ご飯だけではなく、おかずのほうもおかわり自由なのです。
そしてチェックアウトが済んだら、この旅行の本命ともいうべき熊本城に向かいます。
城の湯から城域までは直線で行けばすぐなのですけど、なかなか侵入路が見付からなくて右往左往してしまいました。 このことから、西南戦争の際に官軍がこのお城に立て篭もったのですけど、圧倒的多数の西郷隆盛軍が攻めても落ちなかったこともうなずけます。 なんとか見つけた狭い石段を上り、塀伝いに道なき道を歩き、さらに二の丸大手門跡の巨大な入口を突破したら………
広大な二の丸広場に出ます。そこを歩き切ったところに熊本城の正門があるのですけど、箔母さんとたつぴはその時点ですでにダウン。 彼らには休息してもらって、その間に私はお城の外周を回りつつ写真を撮りまくりました。
高い石垣の上に、下見板張りの黒壁の建物がたっている感じがいいですね~ ちなみに向かって左が東十八間櫓、右が北十八間櫓といって、ともに現存しています。あ、右端にちょこっと写っている五間櫓のこともお忘れなく。 さらにその先に回ってみましょう。
手前の宇土櫓という建物は、小西行長が築いた宇土城の天守を移してきたという謂れがあります。 西南戦争中に発生した原因不明の火災によって城内の建物の大半が焼失してしまったのですけど、この櫓は無事に残りました。 外から見ると三層なのですけど、内部は五階あり、さらに地下一階も付いているのですよ。さらに、その内部に入ることもできるので、これは見逃せません。
熊本城外周一周1時間ちょっとの旅が終わったら、箔母さんとたつぴの体力も回復したと思われるので、みんなして有料圏内に入ることにしましょう。
そうしたら私たちの視界の中に、お城のシンボル的存在となっている大天守・小天守とともに、今までのお城とはケタ違いの数の観光客の姿が飛び込んできました。 世は現在、お城ブームの真っ只中にあるのですけど、熊本城はその総本山の地位にあるようです。
こちらは一般に二様の石垣と呼ばれているところです。築造年代の違いによって石垣の勾配が違うのですけど、左側はどう見てもあとから増設されたといった感じですね。それらの後方には本丸御殿や大天守が見えます。
では、改めまして………
手始めに前述の宇土櫓をクリアし、その次に大天守・小天守に昇ることにしました。それらの入口のある本丸に回ったら………
謎の忍者とバッタリ行き会ってしまいました。 これは彼に記念撮影を頼むしかありません。いちおう断っておきますけど、この謎忍は決して私が変装したものではありません。 撮影後、彼にお礼を言ってから、さらに入口に進んで行ったら………
今度は謎の鎧武者を見つけてしまいました。 こちらの彼は少々お疲れのご様子で、休憩に入ろうとしていたのですけど、そこを必死に頼み込み、なんとか撮影にこぎつけました。しつこいようですけど、こちらも私ではありませんよ。
大天守・小天守は昭和時代にコンクリート製で復興したもので、それらの内部には歴史資料の他にも、無数の一口城主の名前が書かれた札も並んでいました。それはいいとしても………
こちらには大勢の人が押し寄せていて、階段を上るのにも一苦労でした。 それでも、最上階からの眺望は素晴らしいですよ。もちろん遠方には、私が今朝方行った本妙寺も見えましたよ。
さらにすぐ眼下には、一昨年前に本格的に木造で復元された本丸御殿の全体像が。よぉし、次はそちらに行くことにしましょう 本丸御殿の建物は、限られた敷地の中に大掛かりに造られたということもあって、塁壁いっぱいに張り出して櫓と一体化もしているのですけど………
郭内の通路の上に覆いかぶさる形で建っているので、このような闇(くらが)り通路と呼ばれる地下空間もできてしまいました。
この本丸御殿は熊本築城400年を記念して建てられたもので、この城の目玉となっています。ではお待ちかね、いよいよその内部に迫ってみることにしましょう やはりこちらも、たくさんの見物者でごった返していました。
こちはの梅之間から向こうへはかなり広く開放感があるのですけど、その範囲は立ち入り禁止区域で、そのぶんその部屋を取り囲んでいる廊下等は混雑していました。 その突き当たりには何やらきらびやかなものが。とにかく向かってみましょう。
若松之間と呼ばれるこの部屋はかなり豪華なのですけど、このさらに奥には格式の高い部屋が控えているというではありませんか 気分はいっそう高まります。
これ、これ、これですよ~!観光パンフレット等でよく写真に載っているこの部屋は、昭君の間といいます。 格天井に食い違い棚、一段高い上段の間を持ち、「王昭君」の物語の障壁画を中心としてかなり豪華な造りとなっております。
一説には、豊臣家に恩顧のある清正が、豊臣秀頼が万一の事態に陥ったときには、彼をこちらにかくまって幕府と一戦交えるために造ったともいわれています。
しかしこれだけ見ただけでも、お城の見学時間が残りわずかとなってしまいました。なので、箔母さんとたつぴが売店で土産を選んでいる間に、私は残りの城内を猛ダッシュで廻ることにしました。
内部を公開している数寄屋丸の書院にコンパクトな飯田丸五階櫓、それに、名前に反して開いている不開門や、一緒に現存している田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓、………などなど。
お城を出たあとは大急ぎで駅に向かい、そこで少し遅めの昼食をとり、あちこちに配るお土産を買って電車に乗るという算段なのですけど………
「そこまでの交通手段は、路面電車とタクシーのどちらにしようか?」「路面電車は乗り場まで多少歩かないといけないみたいだから………楽なほうのタクシーがいい」
ということで、城門のすぐ前に控えていたタクシーに乗り込みました。 「現代の籠(※正確な呼び名は御乗物)は便利でいいな~ 」
ところがその車は、たまたまその日に市内各町がこぞっておこなっていた祭りによって行く手を阻まれてしまいました。 ただでさえ迷路のような城下町が行く先々で通行止めをしてくれるものですから、なかなか先には進めず、いたずらに時間だけが過ぎていきました。 「このままじゃあ電車に乗り遅れてしまう………」果たして、白黒茶々家は無事に乗ることができたのでしょうか? つづく
………とやりたいところなのですけど、スケジュールの都合上、家族旅行記は今回で完結させなければならないと編集部にきつ~く言われているので、続きもひっくるめて全部書いちゃいますね。
その後、私たちはわずかな時間を残して熊本駅に到着 お昼は列車の中で食べれるように適当におにぎりと飲み物を購入し、お土産もなんとか確保。 あとは特急列車の指定席券をとるだけなのですけど………
「指定席は全席埋まっております」
「またか~~~ 」足はクタクタ膝はガクガク、おまけに昼御飯を食べる場所も確保しなければならないというのに……… ところが、またしても自由席車両を多く用意してくれたおかげで、こちらでも余裕で座ることができました。 そして一息ついて、おにぎりを平らげたあとは………
ジャ、ジャーン!別腹に熊本名物のいきなり団子の登場です。 こちらはサツマイモ餡と小豆の餡を、小麦粉を練って作った皮で包んで蒸したもので、私は熊本城の売店でこっそりと買っておきました。もっちりとした皮の中から、二つの餡の味が一緒にするのは、なかなかいいですよ~ 熊本では、いきなり来た客に対応するためにこの団子が開発されたらしいです。この美味しさにありつけるのなら、私はいつだって熊本の客になりますよ~
そして私たち一行は博多駅に到着。そちらでは晩御飯の弁当の他にも辛子明太子等のお土産を追加購入し、新幹線のぞみ号に乗り込みました。
さすがにのぞみ称号を得ているだけに、とにかく速い 今まで踏み締めるように来た道をいっきに巻き戻しているみたいだ。
その車内で先ほどの弁当を食べたりしましたが、東海地方で唯一の停車駅となる名古屋までの3時間20分はあっという間でした。 「のぞみって儚いね………」なんか変な表現になってしまいましたけど、今回の私たちの旅も終わってしまえばあっという間のように感じます。
そして、22時過ぎには自宅に到着。白黒茶のワンニャンたちはいい子でお留守番をしていたみたいです。そんな箔にお土産を………と思ったのですけど、買ってきたのは辛子レンコンに辛子明太子などカラいものばかりなので、昨年の鹿せんべいみたいに食べさせることはできません。 それならば………
加藤清正生誕450周年&没後400年祭に備えて作られたキャラクターの清正くんでどうか堪えてくれ~ただし、これはお守りになっているので、噛んだり口に含んだりしてはいけませんことよ~
今回の我が家の家族旅行記は以上で終わりなのですけど、長々とした文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。 旅行の類は、一緒に行ったメンバーとその思い出をいつまでも共有することができるので、可能な限りは毎年続けていきたいと思っています。 それだけではなく、今回は読者の皆さんも一緒にハラハラしたり、いろいろな思いを語ってくれたりしたおかげで、私のほうももう一回皆さんと一緒に旅行に行ったような得した気分になることができました。
これは一石二鳥ならぬ一石三鳥です。そのようなワケで、またお薦めの場所に行くようなことがあったら、レポートさせていただきます。
清正公の大河ドラマ化に賛成の方は、こちらに投票してやってください。
白黒茶々さんが敬愛する清正公も堪能できて何よりです。
また関西にお越しの際は土産話を聞かせてくださいね~
何だか自分が旅行しているみたいに感じました。
はらはらどきどきは沢山あったようですが得るものも大きかったみたいですね~。
たっぴくんにも忘れがたい思い出になったんじゃないでしょうか。
さすが家族思いの白黒茶々さん、改めて尊敬しま~す!
ところで忍者や侍は・・・やっぱご本人の変装ですよね?♪
おっきぃなぁ~ 立派だなぁ~~
賎ヶ岳七本槍は、この間の天地人おまけコーナーで、福島正則が出てきましたね。
清正公さんもそうなのですね~
うぅ~ん、勉強になるなぁ
そうそう、鎧武者、ワタシは思いっきり
「白黒茶々さん、お茶目ねぇ~」なーんて思ってましたけど
ワタシも同じ理由で、「新撰組!」のオダギリジョーさん演じる「斎藤一」がスキですよ~
久しぶりにお逢いした本妙寺裏の清正公は、凛々しくさらに尊敬度がアップしてしまいました。一方で、大阪での英雄はその親分の豊臣秀吉でしょうか?
今度お逢いする時にでも、その時のお土産話をさせていただきます。
なかにはハラハラドキドキする場面もありましたけど、今思うとハプニングがあったほうがより印象に残るような気がします。 いつでもたつぴがこのことを思い出してくれるといいなぁ~
謎の忍者や怪しい侍の正体は、私ではありませんよ~ ただ、変身願望はあるのですけどね。 私がやりたかったことを、彼らが代わりにやってくれたということで、ご了承くださいませ。
とにかくこのお城は大きいだけではなく、構造美もよくて、私からもイチオシですよ~ しかし、清正の次の代で徳川家光にあらぬ疑いをかけられ、お家断絶の憂き目に遭ってしまいました。福島正則も同じような悲劇を味わうことになるのですよね。
日記中に出てくる鎧武者は私ではありませんよ~ それでも、炎天下の中であの重い甲冑を身に着けて写真撮影に応じてくれた武者殿は、尊敬に値します。
歴史上の人物に、自分と同じ姓の者がいると、妙に親近感を感じてしまいますよね。 私は加藤茶さんと同じ苗字ということも誇りに思い、猫の名も加藤茶々とさせていただきました。
ワタシもタイプスリップした気分で読むことが出来ました♪
いろいろ知識を持って、お城を見に行くと、より楽しいのかもしれませんね~~
22年前に行かれたということは・・・まだ赤ちゃんの頃に行かれたのですか!?(笑)
ご家族でたっくさん旅行に行くのは、とってもステキだと思います♪
あの写真の忍者と鎧武者が白黒茶々さんに思えてなりませんが・・・(^_^;)
いきなり団子、大好きです!!!
それでも、最期まで付いて来てくださり、ありがとうございます。
そうなんです、22年前に当時赤ん坊だった私は、両親に抱きかかえられてお山の上の本妙寺に………若く見てくださり、ありがとうございます。 本当のトコは、高校時代に時刻表などで旅行の計画を立て、一人旅で行ってきたのでした。
子供が大きくなると、家族揃って出かけるのも難しくなるので、今のうちにできるだけ行っておくつもりです。 ただし、今回の私は時代劇コスプレなどには走っていませんよ~
いきなり団子は簡単なので、自家製で作れるハズなのですけど、果たしてうまくいくかどうか………
また、朝食バイキングでは、ご飯を三杯いただきました。