波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

二宮金次郎コレクション

2015-07-08 00:59:02 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの流れで、私と箔、波の白黒茶々家の片割れは、静岡県の掛川市に来ています。 こちらの市内は二宮金次郎像であふれているというのですけど、私たちが1日にどのくらいの数の金次郎さんと逢えるのか、実際に行ってみようと思います。 と、士気が上がったところなのですけど、その前に………

なぜこの地域で金次郎さんが大量発生したのか?そこから入らせていただきます。
報徳運動の元祖こと、二宮金次郎(尊徳)の指導を受けた岡田佐平治が掛川市倉真の人だったことということもあって、その市内に大日本報徳社が創られました。 ちなみにその組織は元静岡県教育委員会所管の社団法人で、現在は内閣総理大臣認定の公益社団法人であります。



その活動の拠点として、明治36年(1903年)にこちらの和洋折衷の大講堂が建てられました。 その後保存修理を経て、平成21年(2009年)にこの建物は国の重要文化財に指定されました。つまり、二宮尊徳の門下生が地元に報徳活動の拠点をつくり、その教えが広められていったことから、そのシンボル的存在でもある金次郎像が市内のあちこちに建てられたといったトコです。 もちろん、大日本報徳社の敷地内やそこに隣接する中央図書館にもその像はあるのですけど、そのあたりはキャラバン隊の小回りが利かなくて立ち寄れませんでした。



………ということで、車で行きやすい掛川市内でも袋井市寄りの郊外にやって来ました。 ちなみに私たちの目の前にあるのは、和田岡小学校にございます。 現在の時刻は、14時18分。前回の白須賀小学校から金次郎の旅を始めたので、こんな時間になってしまいました。 とにかく、こちらの校門を通ってすぐのところには………



二宮金次郎さんの像があるのですよ ちなみに材質は、ブロンズ製。設置されたのは、平成26年(2014年)12月……… って、かなり新しいですよ ちょっと写真からは判りにくいのですけど、彼の腰には斧が装備されていて、膝には継ぎはぎが施されています。 そんな彼に敬意を表して………



ひげメガネ……… ではなく、箔と波との3ショットを撮らせていただきます。 「実は、金次郎少年にはお供の犬がいた」という設定にしたいのですけど、いろいろと大変なのでこの場限りとさせていただきます。



さらに私たちは北方向の山側にやって来ました。そして今度は、桜木小学校というところにたどり着きましたよ。 そうしたら、こちらの金次郎さんは………



いたいた 校舎のすぐ真ん前に、大事そうに置かれていましたよ。その台座には、「積小為大(せきしょういだい=小を積んで大となす)」という、彼の教えが刻まれていました。その前に訪れた和田岡小学校のものも含めて、彼は児童たちの手本というか、道しるべにもなっているみたいですね。 しかも、こちらも平成26年(2014年)3月と、新品の輝きですよ ここでお約束の、彼の両脇に箔と波をやりたいところなのですけど、スペースがかなり厳しいですよ。



………なんて言いつつも、ちょっと強引に乗っけちゃいました 箔、波、撮影が終わるまで、どうか落ちないで~



だんだんと私のほうもノッてきましたよ この勢いのまま、次に私たちは桜木小学校の南部にある桜ヶ丘中学校にやって参りました。 小学校だけにとどまらず、実はこちらの中学校にも金次郎さんがいるというのですよ



本当に、ありましたよ 先の2体よりはちょっと古いのですけど台座が低くて、後方の花壇などといい具合に調和しております。これなら、箔と波を乗せても大丈夫でしょう。



ということで、またしてもやっておきました。 まったりと余韻に浸りたいところなのですけど、こちらでの任務(?)が済んだら、次の目的地に向かいますよ



こちらは、今までのような教育施設ではありません。新幹線も停車する掛川駅なのですけど、北側は最近木造の駅舎が修復されました。 その真っ正面にある駅前広場に行ってみると………



金次郎少年が本を読みながら出迎えてくれるのですよ さすが報徳を重んじる、生涯学習都市を自称するだけのことはあります。 ここで「またアレをやるのか?」という声が聞こえてきました。もちろん、やりますよ



………とは言ってみたものの、台座の高さや余白が今まで以上に厳しかったので、今回は箔と波には金次郎君の足もとにおすわりしてもらいました。 すると、そこに「わぁ〜、スピッツなんて珍しいですね きょうだいですか?」というお約束(?)のセリフが聞こえてきました。今度は、私たちはそこから南下していき………



東京女子医科大学の創始者の吉岡弥生さんの出身地でもある、旧城東(きとう)村の上土方地区にやって来ました。 ちなみに、箔と波の視線の先にあるのは、上土方コミュニティセンター。おしゃれな名前ですけど、いわゆる公民館であります。 「まさか、このようなところにも………」という声がするようですけど………



そのまさかですよ 掛川市内では、このような公民館や集会所のようなところにも金次郎像が置かれていることがあるのですよ。 しかも、こちらの金次郎さんは、平成12年(2000年)製のミレニアム金次郎さんときたもんだ



やはりこちらでも、例外なくコレをやっておかなければ それよりも、そろそろ陽が傾きだして時間のほうも圧してきました。そういうことで、次の目的地に急ぎますよ。



………という流れでやって来ました。こちらは、かつて徳川軍と武田軍による激しい攻防戦がおこなわれた高天神城から程近いところにある、城東中学校にございます。 こちらにあるのは、合戦にあやかった甲冑姿の二宮金次郎………



………ではなく、報徳活動の真っ只中の尊徳さんであります。 片脇に抱えているのは、稲穂でしょうか?それとも、大きな風呂敷包みでしょうか?それよりも、こちらの尊徳さんは、今年の2月に建立と、おそらく市内でもっとも新しいものとなります。 実は、その時の様子が地元紙の県内版に載っていて、それを見て私は今回の金次郎像めぐりの企画を思い付いたのでした。



せっかくなので、こちらでも記念撮影を。 なんか、終わりそうな雰囲気になってしまいましたけど、あともう一ヵ所だけ寄らせてください 私と箔だけは以前に一度だけ訪れたことのある、その金次郎さんは………



こちらの、旧小笠郡大須賀町の横須賀小学校にあるのですよ。先に言ってしまうと、こちらの金次郎さんは、薪をかついで読書の、定番のスタイルではないのですよ。 では、皆さまは想像を膨らませながら、校門をお通りくださいませ



はい、こちらが横須賀の金次郎さんにございます。 ご覧のとおり、手にはわらじを持っていますね。これは、「わらじを編んで……… 父のために酒を買った」という逸話を表しているのでしょうか?といったトコで、こちらでも例外なく………



箔と波をお付け致します ここで時計のほうは17時をまわり、タイムアップとなりました。
「はい終了〜、箔ちゃ波ちゃ、おつか………」ぐさっ!
台座の両脇に座っていた彼らを抱き抱えようとしたとき、金次郎君が差し出しているわらじが私の額に突き刺さりました。 これは、お辞儀をしたら、マイクが頭にゴン の、お約束のギャグみたいになってしまいましたよ。

前回の日記で、12時半に白須賀小学校から始まった二宮金次郎めぐりの旅は、4時間半後の横須賀小学校に至るまで、4小学校+2中学校+2駅前+1公民館の、合計9ヵ所となりました。それらを見ていったら、造られた年代だけではなく、モデルとなった金次郎さんの年齢やポーズも様々で、私が予想していた以上に楽しいものとなりました。
それから、私たちが取材に行った日は日曜日で、それぞれの学校の校門は開け広げられていて、開放されていました。さらに、その校庭では地域の人たちがソフトボールなどをやっていて、「どうぞご自由にお入りください」状態だったこともあって、私たちは順調に金次郎数を挙げていくことができました。 このような開放された状態でも、いちおう学校の敷地内なので、関係者がいたら声をかけるようにしましょう。


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