波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

大井川の渡り方、お教えします。

2021-05-22 02:38:40 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の予告通り、私はとともに旧東海道の藤枝宿をスルーして、島田宿だったところにやって来ました。 こちらは大井川の東側に位置していて………

その町並みの跡が残っているところに建物の一部が復元され、「島田宿大井川川越(かわごし)遺跡」として公開されています。 なかには実際に住んでいる家もあるのですけど………

入口が開け放たれているところは入っても怒られないというか、土間までは自由に見学できるので、さっそく潜入してみましょう

そういえば、ファミコンでサン電子が出した「水戸黄門」では、助さんや格さんが町屋に飛び込んで事件の情報や手がかりを掴んだりしましたね。 また、KONAMI「がんばれゴエモン!からくり道中」になると、町屋の中がお店だったり、宿屋だったり、迷路だったり、………
つい、ファミコン談義に花を咲かせてしまいましたけど、いよいよ町屋の中に入りますよ とはいっても、正確にはこの建物ではなかったのですけど、ダマっていればバレない……… いやいや、どの町屋も似たような造りなので、敢えて出させていただきました。 そうしたら………

この日は4月18日で、端午の節句が近いということもあって、五月人形が飾られていました。 さらにもう一軒の町屋に入ってみたら………

うわっ 血色の悪い人がいるっ しかも、露出度も高いですし。………なんて、ヒトの家に勝手に入りこんでその言い様は、失礼ですよね。 実はこちらの建物は川越人足が待機していた番宿で、こちらの方の職業は川越人足。彼は、大井川の川越しの仕事に携わっていたのですよ。
さらに、その通りのちょっと奥まったところには………

安政3年(1856年)に建てられ、昭和45年(1970年)に移築復元された、川会所の建物があります。 防御上の理由などから、江戸時代の大井川には橋は架けられていませんでした。 なので、旅人は川越人足に肩車をしてもらったり、輦台(れんだい)という神輿のような道具に乗せてもらったりして川を渡りました。こちらの建物は日中は無料で開放されているので、内部を見させてもらいましょう

中はけっこう広いですね。 1人(のマネキン)は柱がかぶって申し訳ないのですけど、川会所には川の深さなどを測って川越しの料金を決めたり、川札(かわふだ=切符)の販売に加えて、川留めや川開けなどを取り仕切った川役人がいました。

さらにその建物内には、本物の輦台も展示してありました。 この輦台に乗ってみたくなったという方もいるかも知れませんけど、大丈夫です。 島田市博物館の前には………

石化した川越人足と輦台の像が設けられています。 それだけではなく、それらは撮影スポットとなっていて、台の上に乗って写真を撮ることもできるのですよ そうしたらせっかくなので、この状態で川を渡った場合の料金を算出してみます。 波と狛が乗っているのは手すりのない平輦台なので台札1枚(川札2枚ぶん)。さらに2人乗りの場合は担ぎ手が6人要るので、別に川札6枚も買わなければなりません。 それから、その川札は水の深さによっても値段が変わり、この場合は帯上通(ヘソの上あたり)なので、川札1枚につき六十八文(現代の価格で約2040円)ということに。 そうしたら、合計16320円にもなりましたよ

その料金を払って渡れたらまだいいのですけど、大井川が増水した場合は「川留め」といって、旅人は安全に渡れるようになるまでは宿屋に滞在しなければなりませんでした。 それは長いときは3週間前後にも及び、宿屋のほうはホクホクなのですけど、旅人の財布は痩せ細っていきました。 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とはよく言ったものです。昔の大井川は、東海道の中でも難所だったのです。
そんな江戸時代までの交通史に思いを馳せながら、次回は近代的な方法でギネス認定のところから大井川を渡っていきます。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「ギネス認定の近代的な方法で川を渡るって……… まさか、人間大砲的なヤツか!?」と、とんでもない妄想をされている方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする