豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2020年08月17日 16時59分11秒 | 日記
 ( Vol 2617 )  お盆の時期であるので 「死」ということについて 考えてみたい


死には どんな死の迎え方があるのか

老衰 病死 自殺 他殺 事故死 戦争による犠牲死 尊厳死 医療による延命死

といろいろな形がある

人の死の理想は 命を全うして 死を迎える ことであろう

しかし 現実は みんなが みんな 命を全うできるわけではない


命の尊厳 ということを 考えても 言葉通りの人生を送れる人と そうではない人とがある

これが現実である

それぞれの死に方の現実は認めざるをえない

医療による延命なども 死のあり方1つ 自分の意識に関わらず生かされ 死にいたる

尊厳死については 自分の命を 自分で 医療的な面から 決定し 死にいたる


この中で 戦争による犠牲死 は一番 人の命の 尊厳を軽視されている

自分で 自分の命を全うすることができない こんな残念なことはない


次に 自殺について考えてみたい

自殺は なかなか できるものではない

自殺を実行するには 精神的な背中を 押す力 が必要になる

生と死の 壁を 自らの力で越える 

誰でもが 人生において 一度くらいは 死にたい と思ったことがあるだろう

しかし 多くの人が 思いとどまっている


なぜ 自殺を実行する人と 実行しない人とに どこに差があるのだろう


そこには 

精神的に追い詰められた状態にあるか ないか

の違いがあるのではないか


人生は 多くは 全うできる だろう

しかし 全うできない 人もいる

全うできないことを 批難することはできない


そこには それぞれに 理由がある


願うのは 自分の命を全うすることができる ように願うことである


「死ぬ」 生きているものは 必ず死ぬ

この流れは否定できない

いつも「死」を迎える意識を持つことによって 死という言葉を 身近に受け止めることができるのではないか


生まれ 死ぬ

この流れを受け入れて 自分の命を全うすること ということを考える 心がけが必要ではないか


どんな死に方も 死である

死には 変わりはない


死を 重く考えるのではなく 軽く考える ことではないか

そして 命が全うするまで 生きる ことではないか

どこまで 生きることができるか

常に 自分と向き合い いきることではないか

その先に 死がある


喜怒哀楽を味わいながら

死に 向かって生きる 











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三のつれづれ日記

2020年08月17日 16時56分22秒 | 日記
 ( Vol 2616 )  戦後から75年 戦争の犠牲者は 市民  この割りきれない悲惨を 考えたい



人の命とは 尊厳 されるべきである

しかし 戦争は 人の命を まるで ゴミのにように扱われる

このような行為は 許されるべきではない


戦争は 近代化と共に 無差別 大量殺戮 という手段を とるようになった

相手にダメージを 与えるためには なにをやってもいい

という 倫理観がなくなってしまっている

その結果が 広島 長崎 への 原爆投下 という 


前代未聞の殺戮が行われた

倫理観のない 戦争のはじまりである


犠牲者は 一般市民 子供 学生 大人 高齢者 の区別なく 多くの人たちが殺戮されている

軍人よりも 一般人の犠牲が多い 

戦争とは 指導者のエゴによって 行われている といっても過言ではない


戦争は なくなってほしいと 思う

しかし 戦争はなくならない

そこには 人間のもつ 優越性を求める 欲望があるからだろう

国と国の 覇権争い

人の歴史を 過去に遡ってみても 覇権争いの歴史である

今ある国家は 覇権争いの結果 出来上がっている といっても過言ではない

インターネット時代 もうそろそろ 覇権争いに 終止符をうってほしい

国連の役割は どうなっているのか

その役割は 死に体状態になっているのではないか


戦争の犠牲者は 当事者同士であってほしいが 現実は 一般人が犠牲になっている


戦争は そこに暮らしている 一般市民の生活を狂わしてしまう

それでいいのか

戦争には その責任をとる 姿勢が求められる

無責任な戦争が まかり通っている


勝者も 敗者も 市民を犠牲にしている

勝者も 敗者も 一般市民へ賠償する責任が生じる はずである のに すべてを 敗者の責任としている そこには矛盾がある

なぜ 相手を認めることができないのか

なぜ 相手を 自分と同じにしたがるのか

なぜ 支配下に納めようとするのか


世界平和とは 一人一人を認め 平等な立場で 生活できることではないか

なぜ この単純なことができないのか


世界の指導者には 考えてほしい 


戦争をすれば 一般市民が犠牲になる

これは 許されることではない

いま 対立を引き起こしている 国の指導者は 人としての原点に立ち返って 考え直してもらいたい








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする