豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年08月09日 14時48分57秒 | 日記
 ( Vol 2461 ) 第二次世界対戦終了から 74年 広島 長崎の平和記念式典が 開催されて 思うことは 原爆禁止という宣言だけでは 世界から戦争はなくならない  戦争をなくすひとつの方法として 戦争で勝った国 負けた国 問わず 戦禍による 被災者に 補償を支払うという 制度を設けたらどうか

今 なぜ 戦争が簡単に行われてしまうか

そこには 過去から 戦利品として 勝者となった国がとり 戦禍による被害を被った市民への補償は 敗者となった国が負うという 構図になっている

この構図こそが 問題である


喧嘩両成敗という 言葉があるが

戦争も 喧嘩と同じ

大きな違いは 市民を巻き添えにしていることである

市民への補償は 勝者も敗者も 負う必要がある

広島 長崎に 原爆を投下した

この行為は 戦争という行為の中では 許されても 人道的な立場では許されるべきものではない

なぜ このような 非人道的なことが行われてしまうのか

そこには 戦いに勝つ という一語 しかない


そのためには 何をやっても 許される


個人対個人 であれば 当事者だけの中で すべてが完結する


しかし 戦争は 個人対個人の 領域を越えて 関係のない 市民まで脅かしている

国を 政として担う リーダーは 自分達の立場を 誇示するだけに執着を持ち 市民への配慮は 大義名分の下 無視されている

市民への配慮を 無視させないためにも 戦争によって 市民に被害を与えた国は その補償をする ということを 常識化させることが 戦争をなくすことではないか

これは 突拍子もないことだが これくらいのことを リーダーに責任を負わせる という ことが必要なのではないか

原水爆禁止 これも大事であるが 戦争をさせないようにするには どうしたら良いのか 提起する必要がある

安倍総理の平和式典での話は あまりにも 責任感のない 軽薄なものとしてしか映らなかった








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