たびたび記録

心に残る風景

マイバウム

2007-07-31 | 旅行
バイエルンの村ではマイバウムがどこでも見られる。地域の商売を人形で表現している。
写真はミュンヘンのヴィクトリエン市場のもの。右はミッテンバルトの町のもの。
 
下の写真はヴュルツブルグのマルクト広場にあるもの。右の写真はケーニッヒ湖の観光を終え昼食に立ち寄った村のもの。
マイバウムは、英語でメイポールの事。
春の到来を喜び、リボンをマイバウムに編んでいくメイポールダンスは、この様なポールではないだろうか。
 

Muenchen

2007-07-27 | 料理
ミュンヘンの名は「僧(ミュンヒ)」に由来する。中世時代、南ドイツ産の塩をミュンヘンの地を通りドイツ各地に売られた。当時此処は鬱蒼たる森に僧院がある教会領であった。
有名なヴィクトアリエン市場でベリーを購入。         ボーデン湖近くのチェリー。粒が大きく美味。
 
夕食にザリガニのスパゲッティ(非常に美味)を賞味。            ハンガリー名産干した茄子
 

アルテ・ピナコテーク

2007-07-25 | 旅行
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークを訪れる事が夢であった。14から18世紀のヨーロッパの名画を数多く集めている。16世紀の大公ウィルヘルム4世のコレクションに起源を持つ。現在の建物はバイエルン国王ルードヴィッヒ1世の命によって1836年に完成。
写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの「カーネーションの聖母」とラファエロ「聖家族」

  
ブリューゲル「怠け者の天国」F.ブーシェ「ポンパドゥール公爵夫人の肖像」
デューラー「毛皮をまとう自画像」は時間をかけて鑑賞した。

ドイツ博物館

2007-07-24 | 旅行
赤い飛行機は1917年、ドイツとイギリスの戦争で英国機を多数打ち落としたので有名。ローテ・バルーンと呼ばれている。当時、飛行しながらの機関銃は横から撃つしかなかったが、ローテ・バルーンはプロペラと機関銃がコンビネーションして前から撃つことが出来たのが理由である。

Faraday(1791~1836)はイギリスの化学学者であり物理学者
Faraday cage(ファラジー箱)の実験を見た。修学旅行のドイツの中学生が大勢いて、
放電(球の右上の白いのが光)のときは歓声や口笛が上がった。
                               博物館の入り口に見学を終えた学生達が集まっている。

ドイツ博物館

2007-07-22 | 旅行
ドイツ博物館はイザール川の中洲にある。自然科学、科学技術をテーマにしたドイツならではの博物館。飛行機の進化を示す各段階での最新鋭機を実物で展示してある。ドイツの資産家リリエンタールが試作機に乗って小山(自己資金で作成した)から飛び降りた飛行機が最初の飛行機で、時期はライト兄弟よりも早い。しかし飛行距離はライトの方が長い。
小山から飛び降りた様子が写真に記録されている。



Muenchen

2007-07-21 | 旅行
   
ミュンヘンのホテルはイザール門の近くにあった。
イザール門に漫画家の美術館があり、入り口に「100歳以上で親と一緒の人は無料」とあった。ジョーク好きの漫画家である。

ミュンヘン周辺のアウトバーンはビールに欠かせないホップ畑を多く見る事が出来た。

チェックイン後、旧市街を観光する。旧市庁舎の建物は新しく、ドイツ最大の仕掛け時計(今工事中で動かない)で有名な新市庁舎は古くて黒ずんでいた。
その理由は旧市庁舎は世界第2次大戦の爆撃で完全に破壊され、建物は跡地を示す目的で建てられたから。
有名なビアホール ホーフブロイハウス(1589年に宮廷用醸造所として建てられた)
の中を写真に収め、夕食はその向かいにある「庄屋」で握り寿司を食べる。1時間も待ったので、すぐに3個ほど食べた写真。久しぶりの日本食で美味しかった。
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Munchen

2007-07-19 | 旅行
Munchenへと移動する。途中のWarchen`s seeの畔でピクニック・ランチをする。
この湖はミュンヘンの飲料水となっている。          急に黒雲の空となり雨が降り出したが、牧場の牛を撮影
  

Mittenwald

2007-07-18 | 旅行
Mittenwaldは17世紀以来のバイオリンの町である。マティアス・クロッツという
住人がイタリアの名匠アマティに技術を学び、優れた技術で村の名を高めた。

教会の側にバイオリン造りに精を出すクロッツの像がある。   残念ながら休館でバイオリン博物館に入れなかった。
 
柔道の教室があるらしく掲示板を写す。             バイオリンの店
 

食事会

2007-07-18 | 料理
ミュージアム1999ロアラブッシュに友人達と出かけた。大正7年竣工の歴史ある洋館で、エルテ美術が数多くあるレストランであった。
ヨーロッパの歴史ある館を訪問している雰囲気がある。写真は車寄せに飾ってあるエルテの絵画(光が反射して上手く撮れなかった)。エルテ(ロシアの画家)の絵画の鑑賞は初めてだった。
 
料理はとても美味でデザートも深い味わいであった。
 

Mittenwald

2007-07-17 | 旅行
インスブルックから宿泊地のミッテンバルトを目指し、北へドライブする。ゲーテも此処に宿をとり、絵本のような町と紹介している。建物の壁は色鮮やかなフレスコ画が描かれていて、おとぎの国の様であった。カーヴェンデル山脈がすぐ間近に迫っている。
 
宿泊はPost Hotel  
Postはイタリア語で「宿場」を意味した語で、そこには交代要員、替え馬の用意があった。角笛を吹きながら、郵便物や旅人を馬車に乗せて行った。ホテルのドアのデザインは角笛であった。
 
ドイツのタクシス家(領主)がPostを発明し宿場に馬車を用意した。現在のタクシーの名前の由来となっている。