たびたび記録
心に残る風景
 



グループ大勢の人たちで都内の名所めぐりをした。庭園美術館・自然教育園・八芳園・明治学院大学記念館・泉岳寺を歩いた。明治学院大学には歴史的建造物があり重要文化財の指定をされている。記念館内の展示資料をみて歴史の深さを知った。島崎藤村はこの学校で学び校歌を作詞している。1859年来日したヘボン博士は初代学院長である。宣教師A,Kライシャワー(亡き日本大使ライシャワーの父)は教鞭をとった。記念館前に「アンネのバラ」が咲いていた。泉岳寺はTV、映画でよく知っているが訪れたことがなかった。年齢の若い義士達のお墓を見ると感慨深いものがあった。

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昨年挿し木でいただいた酔芙蓉(昨年も開花した)が、やっと10月17日に一つ咲きました。今年の猛暑の為か開花が遅れていた。八重の酔芙蓉はとても美しい。




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法華寺の本尊は十一面観世音菩薩(国宝)である。この地には藤原不比等の旧宅があり、のちに光明皇后が皇后宮としたが745年聖武天皇の菩提を弔うために宮寺とした。鎌倉時代には荒廃したが、関ヶ原の合戦後、淀君の発願により本堂・南門・鐘楼が再建された。十一面観世音菩薩像はやや伏し目がちで理知的で、大きな目が印象的である。ガンダーラの仏師が光明皇后をモデルにして刻んだ三体の観音像の一つであると伝える。
東庭園の入口に「から風呂」(皇后が千人の垢を流したと伝わっている。現在のサウナ風呂で皮膚病の患者の治療に利用された)と井戸がある。その東にある庭園は仙洞御所から移されたので「仙洞うつし」と呼ばれている。
南の築地外にあった横笛堂は現在境内にうつされたが、平重盛の家臣・斉藤時頼(滝口入道)との恋に破れて、この寺に入り剃髪した建礼門院の雑仕・横笛が身を潜めたところで悲観のあまりこの堂に籠って程なく没したと伝える。法華寺に関係する万葉歌・・・「しぐれの雨 間なく降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも」・・・光明皇后が維摩講を催した時に作られた歌。

海龍王寺は十一面観世音菩薩である。皇后宮の東北隅にあり隅寺と称された。737年玄が唐に渡るとき光明皇后が遣唐使の海上の安全を龍王に祈った。三年後遣唐使の玄が唐より帰国の時、嵐に遭遇するが、唐で授かった「海龍王経」を唱えると玄が乗った船だけが帰国した。命を救った経典が寺名となり遣唐使の安全祈願を営む寺になった。西金堂に五重塔(国宝)を安置する。境内が狭く塔が建てられなかったのでミニチュアを作ったという。天平時代の建築様式の貴重な資料になっている。

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遺構展示館では発掘調査で見つかった遺構面をそのまま見学できる。ミニチュアの建物は当時を偲ばせ、奈良一刀彫の人形が飾られていた。
東院庭園(東宮御所の庭園)は平城宮の南東隅にある庭園跡。発掘調査に基づき復元展示している。池には「池亭」と呼ばれる建物が突出し、池の石や、岩石を組んで作られた石組は当時の石である。池の北西には曲水の宴を催したといわれる細い流れがある。

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2010年4月24日~11月7日まで平城遷都1300年祭が催行されている。平城京歴史館の入場は有料であるが、大極殿・朱雀門などはフリーである。歴史館の前に遣唐使船復元展示されていた。遣唐使の派遣は630年の犬上御田鍬に始まり894年に菅原道真が停止するまで20回企画された。しかし唐に渡ったのは15回。天候不順で中止になることがあった。この歴史館内シアターでは、「遣唐使が結んだ東アジア交流の歴史」をワイドスクリーンで紹介され、大人も楽しめた。古代から平城京遷都に至る時代は「司馬達等」が日本に技術などを教えたと紹介されていた。第一次大極殿中央に天皇の高御座が据えられている。天井の東西南北には四神の青竜,白虎、朱雀、玄武、これに併せて十二支が描かれ、屋根の両側に載せられた鴟尾のレプリカが展示されている。この大極殿復元工事は2001年から2010年、総工費約180億円で進められた。大極殿から東に若草山が見えた。平城宮跡には第二次大極殿・第二次朝堂院跡が残り遺構の柱跡に槇の木が円柱に刈り込んで植えられていた。写真の垂仁天皇古墳は歴史に残っている天皇で最古の古墳である。田道間守は垂仁天皇に仕えた人で不老不死の薬を求めた。それは「橘」であろうといわれている。万葉集には田道間守についてそのことが大伴家持によって詠まれている。

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鑑真大和上は753年12月、6度目の航海で盲目の身となられ来朝された。新田部親王の旧宅地に道場を創建。これが現在の唐招提寺の始まりである。唐の国から来朝した鑑真の菩提、すなわち御仏に従う人々の修業の場、という意味に由来する。南大門を入ると正面に金堂(国宝)が見える。膨らみのあるエンタシスと呼ばれる8本柱が堂に奥行を与えて美しい。会津弥一は「大寺の まろき柱の 月影を 土に踏みつつ ものをこそ思え」と詠んでいる。その奥に講堂(国宝)があり、これは平城京の東朝集殿を移築し、唯一の平城宮を偲ぶ建物である。当初切り妻造であったが鎌倉時代に入母屋造りに改修されて当初の面影は薄れている。経蔵・宝蔵(ともに国宝)の校倉が並んでいるが、特に経蔵は新田部親王の邸宅の遺構ともいわれ、正倉院宝庫より古い。我が国に現存する最古の校倉である。鑑真和上御廟は美しい苔を見ながら歩いた奥にあった。


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友人たちと「平城遷都1300年祭」で奈良に出かけた。万葉故地・史跡に詳しい人の案内があり多くの国宝を見て回った。最初は薬師寺を訪ねた。薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)文武天皇の御代に飛鳥で完成。平城遷都(710)に伴い現在地に移された(718)。火災に遭うが東塔(国宝・白鳳時代)は現在まで残された。しかし風雨に晒されて痛みが激しいので来年解体修理される。各層に裳階(もこし)をつけている為六重に見えるが三重塔である。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり24体の天女が透かし彫りされている。
 

金堂に祀られている薬師如来が座る金銅製の台座は矩形の箱(薬箱)で側面の上部にペルシャの葡萄唐草文、中部に異形の鬼人、下部に中国の4神である青龍・白虎・玄武・朱雀が彫られている。シルクロードを通じた文化交流を物語る。写真はレプリカ




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久しぶりに銀座に出かけ、友人達と「ランチ・お茶」を楽しんだ。ランチは友人お奨めの北京ダックの店である。「全聚徳(ぜんしゅとく)」はsince1864の歴史があり北京に本店がある。フカひれ麺・北京ダック・デザート付きでお代はreasonableであった。食事後はお茶とおしゃべりの為に近くの店に行く。写真のケーキ付セットが美味でこの店はお気に入りした。


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