たびたび記録
心に残る風景
 



城ヶ島海岸駅は本格的ログハウスで出来ている。駅には足湯があり電車を待つ間使える。伊豆急行の窓から海を見ながら熱海へ。熱海の昼食は生シラスの海鮮丼。新鮮で美味しい。バスに乗り澤田政廣美術館へ行く。玄関ホールのみ撮影が出来た。ホールの天井画は素晴らしい。作者が魂身を籠めた彫刻が展示されているが、作品のスケールの大きさに感動した。

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舞子泊の翌日は、明石へ移動し駅から歩いて明石公園になっている城跡へ行く。重文になっている坤櫓(伏見城より移築)と巽櫓の白壁の姿は松の緑と対比し美しい。宮本武蔵が城主の命で作ったとされる庭園があり、写真はその一つの亀島と鶴島である。明石市立天文科学館にも立ち寄る。東経135度の日本標準時子午線の真上に建つ。玄関横には子午線上に「漏刻」が設置されている。天智天皇が671年6月10日に人々に時を知らせたことにより現在「時の記念日」となった。その時使われたのが「漏刻」である。時を計るシステムは上段から流れる水を一番下にある甕に水を溜めその圧力で押し上げるメモリで知る。古代の人の知恵は素晴らしい。明石タコ焼を食べる。

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毎年秋に行われる仲間達の旅は万葉集の故地を訪れるのを目的にしている。今年は兵庫県の舞子と明石を散策する。一泊するのでゆっくり過ごした。明石海峡大橋の「橋の科学館」ではギネスに載った大橋の建設技術を学習した。この辺りは、古くは白砂青松の舞子浜で有名であったが、橋の建設により舞子公園として整備されてる。その中にある「孫文記念館」は神戸の華僑 呉錦堂の邸宅で、孫文が来神した時の歓迎会の会場になった。壁紙は金唐紙、暖炉のタイルは薔薇デザイン、1階の天井中心は「龍」の彫刻 2階の天井中心は「鳳凰」で素晴らしい。孫文の書を目に焼き付けた。明石海峡大橋は「パールブリッジ」とも呼ばれ、夜ホテルの窓より観るとパールが飾られているようであった。夕陽が橋にかかり、夕陽で海が染まるのが美しい。

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秋が深まり寒くなって来た雨模様の日バスツアーへ行く。ゆっくりの旅でした。佐倉ふるさと広場は印旛沼のほとりににあり、オランダで作られた風車がある。春はチューリップ、夏はひまわり、秋はコスモスが見事な広場となる。風車に接近してみるとかつて旅したオランダにいるようであった。DIC川村記念美術館へ移動し5時間過ごす。スマホのイヤホンを使い無料アプリで主要作品26点解説を聴きながら鑑賞した。庭園も見事な美しさで四季訪れたい。

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大勢の友人たちと今回荒川知水資料館を訪れその歴史を学んだ。荒川は自然の川ではなく放水路として建設された川なのである。その理由は江戸・東京は有史以来洪水被害を受けており、特に明治40年、43年の洪水は大きな打撃を受け、その治水対策として明治44年から昭和5年にかけて荒川放水路が建設された。荒川放水路の開削工事に必要な用地は広大で、移転を余儀なくされた1300所帯の協力があった。放水路に携わったエンジニアには、計画した原田貞介、工事を指揮した青山士がいる。彼が基礎工事した赤い色の旧岩淵水門は川底より20mの深さに鉄筋コンクリートの枠を6個埋めて固めてあり、関東大震災でも被害を受けず今も残っている。現在は青い色の岩淵水門が隅田川への水量調節をし東京を護っている。国土交通省の巡視船あらかわ号に乗船し荒川下りを楽しんだ。下流にある荒川ロックゲート(平成17年10月完成。水位差のある荒川と江東デルタ地帯の河川を結ぶ閘門)を経て番所橋船着場で下船した

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自治会のバス旅行で栃木県へ。森永製菓小山工場見学する。見学者は空気清浄機で服の埃をはらい衛生のためキャップをかぶり、手を消毒しサンダルに履き替えて工場の廊下を歩いた。この工場はチョコボール・キャラメル・エンゼルパイなど30種類の製品を作り全国に発送している。小山工場はチョコボールのふるさと。工場見学を終えてお土産にいろいろとお菓子を購入した。昼食後、間々田紐の工房を訪れた。間々田紐は大正中期初代の渡邉浅市が東京の組紐問屋で奉公し実家の間々田に戻り店を構えたのが始まり。真田紐と語呂が似ていることから昭和29年民芸研究家の柳宗悦と近藤京嗣により命名された。草木染の作品は美しい。
とちぎ花センター訪問。大きな温室は一棟建てでは国内最大級。珍しい熱帯の植物や木が育っている。シクラメンの展示があり珍しいシクラメンの花を見た。

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福山から倉敷に移動し宿泊して大原美術館を訪れた。午前9時前に到着すると、早くも開門を待つ人が多くいた。名誉理事長の案内で大原美術館がレジデンスしている若手画家の絵画を主に鑑賞した。その後ゆっくりと我々だけで泰西絵画のある本館、分館、工芸・東洋館、児島虎次郎記念館と見て回った。右隅の写真のステンドグラスの窓を持つ建物はこの春まで中国銀行倉敷支店であったが、大原美術館は「古代エジプト・西アジア美術品研究、保存、展示施設整備事業」に取り組んでいて、新美術館になる予定。この美術館も見に行きたいものである。
倉敷川を中心とする美観地区には海外の人が訪れ紅葉風景を写していた。ランチをはさみ午後4時まで過ごし帰途についた。


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広島県福山の駅に着くと「ばらのまち福山」の文字が目に入った。福山城は駅の前にある。観光すべく徒歩で行くと伏見城から移建した筋金門(重要文化財)と伏見櫓(重要文化財)が見える(上右の写真)。福山城周辺は歴史博物館、美術館があり、昭和41年に復興された天守閣は博物館になっている。歴史博物館で草戸千軒という町を知った。平安時代より江戸時代に至るまで芦田川河口に港町として繁栄していた。1673年洪水で壊滅したが昭和36年以来発掘調査が行われ遺品が夥しく発見されその展示がなされている。薔薇の花壇がある駅前からバスで30分乗車し鞆の浦へ向かう。そこから平成いろは丸に5分乗船し宿泊地の仙酔島へ行った。翌日鞆の浦観光する。「鞆の浦」は瀬戸内海のはぼ中央に位置する潮待ちの湊である。奈良時代には大伴旅人や遣新羅使人が鞆の湊に立ち寄り、旅人は「むろの木」の歌を詠んだ。
「磯の上に根這ふ むろの木見し人を いづらと問はば語り告げむか」
「我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき」
「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘すらえやも」これらの歌碑を見て回った。
「いろは丸事件」の際には坂本竜馬がここで紀州藩と補償交渉の談判を行った。また身を隠していた家も残っている。鞆の湊には雁木(階段状の湊)が残されて現在も使われている。福禅寺(対潮楼)からの眺めを朝鮮通信使は「日東第一形勝」と絶賛した。


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お天気に恵まれて奥多摩へバス旅行した。御岳渓谷は紅葉真っ盛りで観光客で一杯であった。

秋川渓谷にある「黒茶屋」で山里料理を味わった。山の幸をおいしく料理してあり一品ずつサービスを受けながら賞味した。食後近くの岩瀬峡に降りて紅葉を堪能し、秋川の流れに耳を澄ませた。

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高野山に墓参りに出かけた。日帰りはできないので宿坊に泊まらせていただいた。13日は迎え火でろうそく祭があり、観光客で溢れていた。高野山の街が世界遺産となって、リュックを背負った西洋人の観光客が多くみられた。ろうそく祭は午後6時から始まり奥の院への参道両脇にろうそくを立てる。10万本のろうそくが配られたとか。翌日世界遺産の寺院にお参りした。金剛峯寺、高野山霊宝館、金剛三昧院。
金剛峯寺の左に位置する石垣が見事な「六時の鐘」は豊臣秀吉の従兄弟の福島正則が両親の追善を祈り1618年に建立。現在も午前6時から午後10時までの遇数時に鐘を撞き時刻を知らせる。霊宝館には国宝、重要文化財が多くあり、鎌倉時代の快慶作四天王立像などは近くで拝観でき素晴らしい。後醍醐天皇の詔、国宝の巻物なども見られ感激した。霊宝館の周りにある楓が少し紅葉し始めていた。
高野山の中心より少し離れて位置したおかげで火災に遭遇せず、現在も当時の建築が残っている金剛三昧院は世界遺産寺院である。本坊にある小栗宗旦筆の襖絵(金地着色梅花雉子図)は重要文化財で華やかな東山文化が偲ばれる。本堂にある愛染明王は源頼朝の等身大の念持仏で源頼朝・北条政子・足利尊氏のご位牌が安置されている。
下記の写真は金剛三昧院の境内にある多宝塔。1223年建立。高野山で現存する最古の建立物で国宝


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