たびたび記録
心に残る風景
 



イタリアには世界遺産が53あり、その数は世界一の国である。歴史のある世界遺産の街を旅した。訪れた街はラ・スペツィア・チンクエッテレ・ジェノバ・パルマ・モデナ・ボローニャ・ラヴェンナ・サンマリノ共和国・サンジミニアーノ・シエナ・ピエンツア・オルチャ渓谷。世界遺産ではないが「美しい村協会認定の村」のチヴィタ・デ・バーニョレッジョ。日本では4世紀の建物はなかなか見ることはできないがラヴェンナの教会は美しく保存されていて驚いた。
上の写真は、サンジミニアーノ ポポロ宮のダンテの間の壁面に描かれている美しいフレスコ画(14世紀)

下の写真(左上)はボローニャ宿泊ホテルの庭にあった樹木。「コロンブスがアメリカを発見した1492年以前より生きている」とプレートがかけられていた。
右上の写真はチンクエテッレの段々畑の小石を写真に撮る。断崖絶壁の土地にブドウ、レモン、オレンジを育てる為段々畑の石垣を作る。そのとき出来る不要な小石を砕いて土として利用した。土などないのだ。
下の写真はモデナのドウモ(12世紀)と入り口のライオン像(左右に置かれている)



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天空に浮かぶような街へ行く。2500年以上前にエトルリア人にっよって作られた街。この街は台地周辺部の崩落によって建物が崩れる危険に常にさらされて「死にゆく街」と言われている。
住人は20人ほど。街へ行くには長さ約300mの狭い道を歩いていく。遮るものがなく谷から吹くのか、風が強く帽子を押さえながら歩いた。入口のアーチ門をくぐると教会の広場につく。
1954年フェリーニ監督の映画「道」の撮影が行われたと知った。その主題歌 ジェルソミーナのメロディは記憶にある。


街の入り口近くに「ひなげし」が咲いていた。バス移動で見た野原にも咲いていた。イタリアでは「papavero」と呼ぶ。「コクリコ」はフランス語、「アマポーラ」はスペイン語、「カシュカーシュ」はアラビア語と知る。



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シエナのホテルを朝早く出発し,バスで1時間20分ほどでピエンツアへ着く。ピエンツアはトスカーナ州の南の丘にある美しい小都市である。人口2000人
15世紀ローマ法王ピウス2世が、衰退した故郷のコルシャーノに新しく建設したルネサンス期の代表的な街である。コルシャーノをピエンツアと改めた。世界自然遺産のオルチャ渓谷が一望できる街である。都市計画に基づいて建築されており街並みが美しい。


昼食はオルチャ渓谷をバスで移動し農園レストランでアグリツーリズモの昼食を味わった。デザートはお酒に、固い木の実入り菓子を浸して食べた。(左下写真)

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サンジミニアーノから午後シエナへ移動。街全体が一望できるポイントで写真を写し、世界遺産のシエナの街をガイド(シエナに住む日本女性)の説明を聞きながら歩く。

「商人のロッジア」」は街を守る聖人で飾られたアーケード。聖人の目は敵のフィレンツェの方角をにらんでいる。シエナの伝統菓子は写真左の「Panforte」小麦粉・アーモンド・レモン・オレンジの砂糖漬け・スパイスの入った固い菓子  写真右「Riccharelli」白い砂糖がかかったアーモンド菓子で崩れやすい。

カンポ広場は緩やかな斜面を9つに分けて(12世紀 9者の統治体制を示す〉デザインされた扇型の広場になっている。
高い塔はマンジャの塔。毎年夏この広場で競馬のパリオの祭りが行われる。その様子の写真をガイドが見せてくれた。

その写真の上は「サリンベニ広場」この広場は窓の装飾などがそれぞれ異なる3つの宮殿に囲まれている。

マンジャの塔のあるプブリコ宮殿と反対側の広場には美しい彫刻のある公共の泉「ガイアの泉」15世紀がある。現在はコピー。

13世紀の聖ドメニコ教会へはシエナの街へ入る前に行く。教会にはシエナ出身の聖カタリーナの遺物(親指、いつも使用した鞭)があり、ガイドは聖カタリーナの話を詳しく説明した。

広場から少し高台に歩いてドゥオモへ。ドゥオモの側面全体が縞模様になっている。白石とブラート産の暗緑色の大理石で作られている。ファサードは白、ピンク、暗緑色の大理石で華麗であった。右下写真にある像はオオカミに育てられた双子の兄弟。ローマの名前は双子のロームルスより、シエナは双子のレムスの息子セニウスよりつけられた。


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トスカーノの丘に佇む尖塔の街サンジミニャーノへボローニャからバスで2時間30分で行く。この街は古くエトルリア時代に人の住むところとなり、9世紀~12世紀に重要な2つの街道が出会うあたりに誕生した街。フランスやオランダに輸出されていたサフランの生産やワインによって13世紀半繁栄した。15世紀以降は新建築が行われなかったため今でも中世の姿を保っている。尖塔は自分の力を誇示するため自邸の塔を高くした結果72の塔が乱立していたが今では14の塔が残っている。
城壁のサンジョバンニ門から街へ入る。道幅は狭く、名物の「イノシシ・サラミ」の為かイノシシの頭(多分剥製)が置かれているお土産物屋を眺めながら進み10世紀の最初の門(ベッチ門)を潜るとチステルナ広場へ着く。井戸(チステルナ)は重要な水源であった。


市庁舎(ポポロ宮)に市立美術館があり入館した。

2階のダンテの間(1300年5月8日フィレンツエの特使ダンテが教皇派会議への代表者派遣を支持する演説した)の壁面はフレスコ画(14世紀)で飾られている。3階にはフィリピーノ・リッピ作「受胎告知」が厳重に飾られていた。

この街で昼食を自由時間に食べることになり添乗員と共に行った。部屋からトスカーナの風景が見え、特産の黄金色の辛口白ワインとポルチーニ茸やそのスパゲティを食べたがとても美味しかった。


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ボローニャに連泊。サン・ペトロニオ聖堂は13世紀に建設が始まっても上部はむき出しのままである。ファサードは豪華な彫刻や大理石で美しい。「聖母とキリスト」を中央に「聖ペトロニオ」と「聖アンブロージョ」が左右で守っている。初期ルネッサンス15世紀中頃シエナのヤコボ・デッラ・クエルチャは12年の歳月をかけて彫刻した。
聖堂はマッジョーレ広場に面している。この日広場ではイベントが行われて賑やかであった。ポルタ・ラヴェニャーナ広場にボローニャの斜塔といわれる2本の塔(12世紀)がある。写真は低いガリセンダの塔(48m)で傾いている。


ネットウーノの噴水(巨人ジガンテの愛称)は市庁舎(13~15世紀)の前にある。ここが私たちの集合場所といわれ自由行動となった。リッツォーリ通りを歩くと高い塔が見える。このアシネッリ塔(97m)は傾いていない。

サンーペトロニオ聖堂のすぐ東にありながら、世界初の人体解剖室のある旧ボローニャ大学(アルキジンナージオ宮)へ行くことができなかったのは残念だった。



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サンマリノ共和国は世界で5番目に小さい。歴史はキリスト教徒が迫害を受け、クロアチアのダルマチアから逃げ人々の信頼を得ていた石工マリノの名前からサン・マリノと呼ばれる。西暦301年にできた世界最古の共和国である。共和国(人口32,000人)は丘陵地帯が広がる国土の中央にティターノ山(750m)がそびえ、ロープウェイ数分ほどであった。国旗にも描かれている3つの要塞は遠くからでも見える。リベルタ広場に自由の女神像とプブリコ宮がある。聖マリノ教会には、画家ラファエロの師匠が描いたと説明された「聖母子」の絵が飾られていた。なんとなくラファエロ描く聖母子と似ていると感じた。


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ボローニャからモザイク美術の宝庫ラヴェンナ観光に行く。ラヴェンナはアドリア海に臨む港町で中世に栄華を極めた。5世紀初めに西ローマ皇帝ホノリス(395~423年)によって帝都とされて以来、妹ガッラ・プラチディアとその息子に時代を通じて街の基礎が築かれた。540年にビザンチン帝国の総督府がおかれるに及んで中世ヨーロッパとビザンチン文化の融合の地として重要な街となった。ローマ帝国時代のアドリアナ門は現在も使われている。
5世紀のガッラ・プラチディアの廟内部や6世紀のサン・ヴィターレ聖堂内部のモザイクと色大理石で飾られている美しさには息を飲んだ。ガッラ・プラチディアの廟(彼女の遺体は無いが石棺は数個あった)に、琥珀の窓ガラスを通じて光が差し込み、赤く輝いていた。



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旅の最初の観光地はチンクエテッレであった。その夜はジェノバに宿泊した。翌日ジェノバ観光する。ベネチアと二大海洋共和国として覇を競い、この街が全盛期を迎えたのは16から17世紀で豪壮な貴族の館が築かれた。ガリバルディ通りにはその館が並んでいる。現在、赤の宮殿は美術館、白の宮殿は市役所と美術館になっている。今回訪れたジェノバの街の通りには写真のようなカラフルな傘が飾られていた。ジェノベーゼのスパゲティはとても美味であった。


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パルマでの昼食後、バスで移動しモデナへ行く。世界遺産のドウモ にある「ギルランディーナの塔」(1169年)へ登り(5階まで)モデナの街を見下ろした。ドウカーレ宮殿は17世紀から200年間エステ家の居城であった。テノール歌手のパヴァロッテの出身地。車のフェラーリが作られる街である。モデナの名物はバルサミコ酢  
昔、キリスト教徒が迫害されているとき、魚の印を書きお互いがキリスト教徒であることを理解したという。そのデザインのバッグを見つけ写真に撮った。


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