足跡も 花のようなり 春千鳥
梅士 Baishi
朝からピクリとも動かないままに読書をしていたが、
さすがに血の巡りが悪く、不健康であった。
夕方になって、1時間ほどの散策に出た。
一番桜はさらに花を開いて、華やかさを増していた。
小学校の桜は、入学式までは持たせたい花袋を、ちょ
っとだけよというように、二三輪開いていた。
潮が引いた河口の砂地には、水鳥の足跡が咲き始めた
花のようだった。
春三月もあと二日、毎年のことだが、卒業生たちもそ
れぞれの人生の門出に旅立ったのだろうなあという感慨
がある。
自分もまた、未来に向けて、思いを旅立たせている。
牢獄に繋がれているわけでもない。
晴れなくても、自由の身なのである。
ありがたい。
悪戦苦闘して読んでいる本は、アレキシス・カレルの
『人間、この未知なるもの』である。
読みかけたまま十年以上も気になりながらほったらか
しにしていた本である。
もう、趣旨は分かったのだが、初見であるし、渡部昇
一先生の思いのこもった翻訳本なので、あだいおろそか
に読み飛ばすわけにもゆかない。
戦前の著作であるにもかかわらず、現代に通用する人
間観に、その卓越性を感じる。
人間機械論に思考停止して臓器移植の罪を犯している
現代の医者は、「人間は機械ではない」というカレルの
洞察には遠く及ばない劣等者である。
幸福の科学に学んでいると、特に目新しいと言うこと
ではないが、幸福の科学がない時代に、すでに、生命の
神秘を洞察していた医師がいたことが興味深い。
現代医学は狭い専門分野で新たに知りえたことは多い
であろうが、それを寄せ集めたとしても、生命のビジョ
ンは得られていない。
ヒトゲノムが解読できたからと言って、生物の仕組み
の物質的一外形ではあっても、生命の解読はできていな
い。
科学者であるならば、神秘と言う無知にこそ、知の始
まりがあるという謙虚を知るべきである。
それが、科学の倫理でもある。
科学の無知に気が付かなければ、軽薄である。
少し面白かったのは、科学の発展によって平均寿命が
驚くほど伸びたという評価であった。
1900年頃のアメリカの平均寿命は49歳だったと
いう。
それが1930年代には60歳にまで伸びたというの
である。
現代のアメリカは79歳近く、日本は83歳を越えて
いる。
果たしてそれが幸せかどうか、医療的長寿の是非を疑
わねばなるまい。
人間、働きながら死にたいものである。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
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