【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「やがて来たる者へ」

2011-11-03 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


イタリア、ボローニャ近郊の農業地帯に暮らす八歳の少女の物語。
時代は第二次世界大戦。のどかな村にも、戦争の足音はひたひたと近づいてくる。ドイツ軍が来たり、それを迎え撃とうとするパルチザンが現れたり、やがて凄惨な事件が村を包み込む。
悲劇的な物語なんだけど、映像は対照的に、息をのむほど美しい。
木々の緑とか、金色に揺れる草原とか。
監督のジョルジョ・ディリッティは、「木靴の樹」のエルマンノ・オルミに師事していたことがあるらしいけど、たしかにそう思わせるだけの、イタリア農村地帯の草いきれを感じさせるような自然描写、農民たちの生活描写がここにはある。
八歳の少女がまた、目を奪うような美少女。
目の下のクマが、八歳とは思えない深い憂いを感じさせて暗い時代を象徴する。
弟が生後まもなくして亡くなって以来、口が利けないという設定が、彼女をいっそう神秘的な存在にしている。
彼女のおばさんになる女優の横顔がまた、彫刻のように美しい。
ふたりのおばさんの足にはさまれて眠る少女の姿の、なんと幸福感に満ちた映像であることか。
窓からふと目にしたのは、遠くに降ってくる落下傘。
ドイツ軍の到来を告げる一場面なんだけど、ゆっくり揺れながら落ちてくる落下傘がはるかな不安をあおって、なんとも映画的な興趣をそそる。
イタリアっていう国は、最初はドイツ側についていたのに、途中で連合国に降伏してドイツの敵になったり、地元のパルチザンがまた独自の戦いを仕掛けたり、実に複雑な国情だったんだけど、この映画は、ドイツ側の残虐な行為も描けば、パルチザン側の残虐な行為も描いて、どちらかを一方的に告発する映画にはなっていない。
八歳の少女から見た戦争っていう視点を貫いているからね。
その少女がいつ声を発するのかと思ったら、ああいう形だったとは。
ある程度予測はしていたけど、ラストに来てタイトルの「やがて来たる者へ」の意味が浮かび上がってくる。
美しく残酷な戦争映画といえば、「パンズ・ラビリンス」を思い出すけど、あれほど激しくはなく、もっと穏やかに、けれど同じくらいの強度で悲劇を訴えかける少女映画だった。