【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「火垂るの墓」:深川二丁目バス停付近の会話

2008-07-12 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

昭和20年の東京大空襲のときは、ここ深川あたりも焼け野原になったらしいな。
このお寺も大きな被害を受けたようね。
このあたりで親が亡くなって幼い兄妹だけが生き残った家族もいっぱいいたんだろうな。
野坂昭如の「火垂るの墓」みたいに?
ああ、あれは神戸空襲のときの話だけどな。
有名な小説だから、どんな話か、みんな知ってるわよね。空襲を逃れた兄と幼い妹が二人だけで生きていこうとするんだけど、力尽きていく、という悲劇。
高畑勲でアニメーションにもなった。
あれは、泣けたわねえ。幼い妹が健気でかわいくて可哀そうで。
アニメーションとはいえ、子供向けだなんて言ってられない哀切きわまりない映画だった。
それをこんどは日向寺太郎監督が実写化したんだけど、意外なことに、同じ話なのに、こっちはほとんど涙腺が刺激されなかったわ。
かといって、悲劇が伝わってこないのかというと、そんなことまったくない。あの頃の市井の人々の姿まできちんと描かれていた。
妹を演じた畠山彩奈ちゃんなんてアニメから出てきたように健気でかわいくて可哀そうだっていうのに。アニメーションに比べ、実写になると情緒的な部分が減ってリアルな感触が出てくるっていうことなのかしら。
それもあるけど、監督は確信犯だろう。その証拠にいちばんの泣かせ所になるはずの妹が亡くなる場面を見せない。いたずらに観客に媚びようとしないで、襟を正して悲劇をきちんと見つめようとする姿勢には好感が持てたな。
でも、正直、高畑勲の映画のほうが気持ちに訴えてくるだけ、衝撃も大きかったわ。今回はちょっと上質になりすぎたのかもしれない。
社会を斜に構えてみる学生と人妻のカップルなんて出てきて、ちょっとインテリな味付けがされていたのは事実だな。
その人妻が池脇千鶴なんだけど、一瞬しか出てこない。
文字通り、一瞬。憂いを含んだ感じがよかった。あれ以上出てたら本来の明るさが出て台無しだったかもしれないな。
親戚の意地悪なおばさんを演じているのは、松坂慶子。
和製ジュリアン・ムーア。
って、誰がそんなこと言ってるの?
俺。
戦争なんで意地悪なのかもともと意地悪なのかよくわからないおばさんを好演してた。
まあ、両方なんだろうけど、あの時代は、ああいう人のほうが多かったのかもしれないな。自分たちが食べていくだけでせいいっぱいというのは事実なんだし。
もともとは、黒木和雄監督が企画していた題材なんだけど、黒木監督が亡くなっちゃったんで、弟子の日向寺監督が引き継いで撮ったんでしょ?
ああ、そのせいか、兄妹と松坂慶子のおばさんが初めて会うシーンの演出が舞台っぽいというかちょっと不思議な感覚で撮られていて、ふと「父と暮せば」とか「紙屋悦子の青春」といった黒木監督の映画の匂いを思い出させた。
でも、やっぱり戦争を体験している黒木監督の演出で観たかったというのは、ないものねだりかな。
いや、そろそろ戦争を体験していない世代が戦争を描いていかないと、これから先、戦争を伝えていく人がいなくなってしまうということになりかねない。
そうね。戦争の悲劇は世代から世代へ引き継いでいかなきゃいけないものだもんね。
そう、そう。それを言いたかったの。



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