【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「スウィーニー・トッド」:有明二丁目バス停付近の会話

2008-01-19 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

この辺りって、倉庫街ばかりだと思ったら、こんな立派なマンションができてるのね。
時代の変化だよ。時がたてば、街は変わり、人も変わる。
街は変わらないのに、人が変わったのが「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」。
善良な理髪師が策略で妻子を奪われ、復讐の鬼に変わるというミュージカルだな。
監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップといえば、「シザーハンズ」のコンビよね。
あの映画でもジョニー・デップは理髪師をやってて、こんども理髪師なんだけど、同じ理髪師とはいえ、あのころの純情な理髪師が、今回は鬼気迫る理髪師になっていて、いやあ、人って本当に変わるんだなって思ったぜ。
「シザーハンズ」の役は、理髪師じゃなくて、手がハサミになってるんで、たまたま髪を切ってただけよ。
手がハサミ、ってヘンな表現だな。それじゃ単なるカニ男みたいじゃないか。
でも、手がハサミよ。他に言いようないじゃない。
あの映画のジョニー・デップは、手がハサミになってるっていうだけで街の人たちに迫害され、差別される青年で、思わず同情の声をかけたくなっちゃうほど純真無垢な役柄だったんだけど、今回はねえ。
今回は、よりホラーに近くて、心理描写も複雑で、ジョニー・デップもおとなになったなあって、感慨深いものがあるわよね。
そうかあ?今回は、カミソリを武器に次々人の首をかききっていくという、長ったらしいタイトルどおりのあまりに残忍な理髪師なんで、俺はちょっとひいちゃったぜ。
それはしょうがないじゃない。もともとの舞台の売りが、そういう血塗られた惨劇なんだから。
血の色を映画自体の色彩設計のひとつとして見せているのはわかるけど、気持ちいいもんじゃないよな。
そうそう、色彩設計のひとつとして楽しめば、それもまたティム・バートンらしいなあって楽しめるじゃない。
血に抵抗感がないなんて、さすが女だな。
そういう問題じゃないと思うけど。
しかし、そもそもの動機が自分を罠にはめた人間に復讐することだとはいっても、関係ない人間までああいう残酷な形で殺しちゃうと、同情するより、ちょっと待ってよ、って思っちゃうぜ。あれじゃあ、日本の不良のオヤジ狩りと変わらない。
ああいうやりすぎなところもまた、ティム・バートンならではのダークな世界観がよく出てるところなのよ。
いやあ、いままでの彼の作品って、世界はダークであっても、ユーモアとか悲しみに彩られていて、そこが共感できていたのに、今回は残酷さばかりが前面に出たような印象があって面食らったぜ。最後のどんでん返しも、してやられたという快感よりは何かすっきりしない後味が残ったもんな。
うーん、旗色悪いなあ。
なに、気色悪い、この映画?
いえ、旗色悪いって言ったの。あなたは気色悪いけど。
シルク」を観たときも思ったんだけど、最初に、平和なときの妻との生活をもう少し丁寧に描いておかないと、その後いくら主人公の苦悩を見せられても、悲劇に共感できなくなるっていうことじゃないか。
そんな難しいこと言わないで、ジョニー・デップ初のミュージカルに酔ったらいいんじゃないの?
でも、本来、ミュージカルって、こういう暗い話とは相容れないものなんじゃないのか。
暗いミュージカルといえば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」くらいなものかしら。
あれも、作品としては完成度高かったんだろうけど、観ていて気持ちのいいものではなかった。ティム・バートンに「ヘア・スプレー」の明るさがほしいとは言わないけど、せめて「ファントム・オブ・パラダイス」くらいの悲劇度で止めておいてほしかった気がするぜ。
ブライアン・デ・パルマかあ。あれも監督の趣味全開のどこかねじくれた映画だったけどね。
でも、悲しみには共感はできた。
結局、あなたはティム・バートンが嫌いってこと?
とーんでもない。ティム・バートンの世界は大好きさ。でも、ユーモアは忘れないでほしいってことだ。
あれ、それって、私があなたに求めていることと一緒よ。
は?


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ふたりが乗ったのは、都バス<東16系統>
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