【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「河童のクゥと夏休み」:池袋駅東口バス停付近の会話

2007-08-04 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

池袋って西武線の始発駅なんだよな。
じゃあ、ここから電車に乗れば東久留米まで行ける?
ああ、行けるけど、それが何か?
東久留米って、「河童のクゥと夏休み」の舞台になった町なのよ。
じゃあ、黒目川っていうのも実在するのか。
もちろん。
それじゃあ、河童も実在するってことか。
さあ、それはどうかしら。
予告編を観てると、プレステの「ぼくの夏休み」みたいな雰囲気で、都会の男の子が田舎で河童と出会って愉快な時間を過ごしました、っていうのどかな映画かと思ったんだけど、ずっと現実的でシビアな映画だった。
のっけから江戸時代のちょっと残酷なシーンだもんね。あれ、時代劇だったの、と思ったけど、そうじゃなくて、江戸時代の河童が現代に蘇ったっていう設定だった。
そこがミソで、江戸時代の河童が持つ、いまや日本人が忘れてしまった礼儀正しさとか恩義を感じる気持ちとかがとても新鮮に映る。
一方で、クゥに向ける現代人の好奇の目が暴力的ですごいのよね。
実際、アザラシのタマちゃんにしろ何にしろ、マスコミの傍若無人な追いかけ方はすごかったもんな。口をきく河童が現れたなんてなったら日本国中すごいフィーバーだろうことは容易に想像できる。
予告篇には全然出てこなかったけど、このあたりまったくメルヘンとはほど遠く、相当リアリスティックに描写してる。
そんなこともあって河童のクゥはとうとう安住の地を求めて旅に出る。
人間と河童はやっぱり住む世界が違うってことね。
そこがアメリカの「レミーのおいしいレストラン」とかと日本の「河童のクゥ」と違うところだな。
どうして?
レミーのおいしいレストラン」の結末はネズミが人間と仲良くやっていく。しかもネズミが人間世界で安住することに悩むこともない。それに対し、「河童のクゥと夏休み」は河童と人間は距離を置くべきだっていう結末になっている。
動物と人間の関係を楽観的にみているのがアメリカで、相当厳格にみているのが日本てこと?
そこまで割り切っていいのかどうかわからないけど、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」のような日本のアニメには、動物とか自然と人間界とは越してはならない一線がある、みたいな思想がチラチラするんだけど、アメリカの映画にはそういうところがあまり見受けられない。
アメリカのアニメは技術が目を見張るほど進化し、日本のアニメは考えさせるほど思想が深化しているっていうふうにも見えるわね。
わからないけど、実はこの映画の真髄は「殯の森」にも通じるような深遠なテーマにあるのかもしれないと思ったりもするな。
人間と自然界の関係かあ。でも、そんな難しい話、この映画を観にくるチビッ子にはわからないんじゃないの?
いまはわからないだろうが、大きくなって思い出すときに、ただおもしろかったというより、何かそんなふうなことを思い出すかもしれないって気はする。
東久留米ってただの東京の郊外だと思ってたけど、結構深遠な土地なのかもね。
それより、問題は東久留米っていう地名だ。久留米は九州にあるから、それより東の東京にある久留米を東久留米って呼ぶことにしたのか?
うーん、深遠な質問ね。

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池袋駅東口バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<池86系統>
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