【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ホリデイ」:竹芝桟橋バス停付近の会話

2007-04-01 | ★虹01系統(浜松町駅~ビッグサイト)

なんで公文書館なんか来たの?
いや、「ホリデイ」の「イ」の字って、公文書では「イ」なのか「ィ」なのかと思って。
そんなこと、どっちでもいいじゃない。
しかし、ふつうは「ホリディ」って表記すると思うのに、どうしてこの映画の日本題名は「ホリデイ」って表記するんだろうと思うと夜も眠れなくて。
そんなことより他に気になること、ないの?
ない。「失恋した二人の女が住まいを交換したら新しい恋人ができました、めでたし、めでたし」なんて映画、他に何を気にしろっていうんだ?
キャメロン・ディアスはノー天気な感じが好感持てるなあ、胸は相変わらず小ぶりだけど、とか、ケイト・ウィンスレットって顔はちょっとやせた感じがするけど、図体は相変わらずでかいなあ。やっぱり、彼女がイカダに乗ったら、デカプリオは乗れなくて助からないよなあ、とか。
ああ、それなら、気になるところはいっぱいある。失恋したくらいで時差が何時間もある他の国の人と住まいを交換しちゃうなんて、さすが欧米だ。いくら大失恋しても日本の女が中国の女と住まいを交換するなんてあり得ないもんなあ、とか、ケイト・ウィンスレットの使ってるパソコンは思いっきりVAIOだったけど、この映画の配給ってソニーピクチャーズだったっけ、とか。
うーん、何か映画の本質とは関係ない会話ね。
本質は、映画の中でケイト・ウィンスレットが知り合うハリウッドの老脚本家が喋ることばにあるんだろうな。
昔は大型映画もDVDも映画のランキングもCGもなかったっていう演説?
ああ、だけどいい映画はたくさんあったっていう主張。この「ホリデイ」だって、大型映画でもなければ、CGも使ってないけど、結構楽しめるでしょ、それが映画なのよ、って監督は言いたいんじゃないのか。
昔のハリウッド映画は、例えば、パジャマの上だけ買いにきた女と下だけ買いにきた男が偶然出会うなんてしゃれた出会い方があったとか、言ってたわね。
そう。そういう細部に映画の神様は宿るんだっていう主張。それは正しいと思うんだけど・・・。
だけど、なに?
そう言ってるわりには、この映画の出会いは工夫がない。たまたま男が訪ねてきたのでドアを開けたら恋に落ちましたなんて。
まあ、そう目くじら立てずに、頭を空っぽにして二時間おとぎ話につきあえばいいんじゃないの?
そうだな、キャメロン・ディアスって、見ているだけで不思議と元気が出てくるしな。
持ってたケータイはSOFTBANKじゃなかったみたいだけど。
涙が出ない女の役なんて、松田聖子からヒントを得たのかな。
それも公文書館で調べてみる?
なるほど。その手もあるか。
ない、ない。


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ふたりが乗ったのは、都バス<虹01系統>
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