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漢方薬剤師の日々・自然の恵みと共に

漢方家ファインエンドー薬局(千葉県)
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梨木香歩著・僕はそして僕たちはどう生きるか

2021-02-26 | 

この青臭い題名ゆえに、避け続けていた本です。

梨木さんらしい攻め方で、多感な十代に向けて、

戦争や経済社会などの人間の「群れ」に束縛されず、自分の意志を持とうと訴えています。

人は群れとして生きる生き物だけど、ゆるやかに迎えいれてくれる群れがほしい

しかし、

それは「個で生きられる」背景が備わっていなければ無理だと思う

豊かな自然を所有していて自給自足できるとか、どこからかうまい具合に支援をうけられるとか・・・

そんな余裕がなければ、いやでも「群れ」に隷属しなければ生きられない人のほうが多いと思う

それが、戦争の片棒を担ぐことになったりするのは、悲しいことだけど。

そんなことをまじめに考えてしまったところは、この本が良書といえるのでしょうね。


椋鳩十(むくはとじゅう)著「鷲の唄」・生き物として

2020-10-17 | 

梨木香歩さんの「不思議な羅針盤」を読み返していたら、椋鳩十という名がでてきて、だいぶ前に友人に教わった名前だったのを思い出した。さっそく図書館で借りてみた「鷲の唄」。

「山窩調」「鷲の唄」「夏の日抄」の3部からなり、1983年に発刊されたものだが、「山窩調」は昭和8年の作品。

山窩とは山を転々としながら暮らす無籍者。彼らの暮らしをショートストーリーで詞調につづる。

法律も何もない山の中で「生き物」として「素」で生きるのは、非情だったり残酷だったりするが、考えてみれば、今の他人との関係だったり国と国との取引も、これと大差がない。結局人間らしさなんてうわべのことで、人も生き物だということだろう。

これを読むと、今の、言葉を飾り理屈をこねた様々な本が、なんだが味気ないものにさえ思えてくるほど、後を引いた。

本を開いたら、30年前のしおりが褪せることなく折り目もなく挟まれていた。

今はカードでピッとやるだけ。返還日が書かれたレシートみたいなものを挟んでくれる。


梨木香歩著「やがて満ちてくる光の」たとえば鳥の強い決意

2019-08-30 | 

これまで書かれた物語にまつわることや、人との出会い、野草や野鳥・・・
過去15年くらいからのエッセイをまとめたもの。

そのなかのひとつ、豊後水道にある小さな水の子島灯台の鳥の話。
地図でみると近そうだが、ひとまたぎという距離ではない。それを嵐の夜に越えようとする鳥がいるそう。それも渡り鳥だけでなく、たとえばカワセミやコジュケイまでも。渡り切る鳥のほうが多いのだろうが、暗闇の中あえなく水の子島の灯台の光に激突して息絶え、朝には落ちた鳥が累々とする。それを集めて剥製にしている資料館があるとのこと。

何の目的があってそんな行動をとるのか。渡らなければという強い決意に圧倒される。

「ときどき、ぜんたいの成り行きにすっかり弱気になると、そういう鳥たちのことを思い出したりしている」と梨木さんの言葉。

鳥に励まされる。

 

 


梨木香歩著「エストニア紀行」人々と生き物の暮らしと国境

2017-02-23 | 
地続きの国境を持つ国は、侵略によって国がなくなる危険がいつもあり、
人々は、祖国や民族を守るという意識を絶えず持ちながら暮らしている。
海という壁に囲まれた日本に住んでいるとなかなか想像できない感覚です。


エストニア紀行 森の苔・庭の木洩れ日・海の葦

エストニアはバルト海に面しロシアに接する小さな国
700年以上にわたって、ドイツ、デンマーク、ロシアやソビエト連邦、スウェーデンなどによる
被支配民族として生きてきた人々の国
そして1991年にヨーロッパの一国として独立して以降は、
若者はヨーロッパに移り、今やどんどん人口が減少している国

皮肉なことに、人口が減ると自然は豊かになる。
金持ちにはなれないけれど、自給自足ができる国

この地域には渡りをするコウノトリが住む。鳥の目線で見てみれば、

「永遠に連続する海と大地。
 祖国は地球。
 渡りの途中の鳥たちにもしも出自を訊ねたなら、きっとそう答えるに違いない」

と、最後を結ぶ文章。

植物や野鳥が趣味の梨木さんのアングルは、共感するところが多々ありうれしくなる。

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梨木香歩著「海うそ」色即是空、空即是色

2014-06-19 | 
久しぶりに梨木さんの文章。
子供のころから本の虫だった梨木さんの日本語は鍛え方が違う。
繊細で情景がありありとしてかつ清流のように流れて無駄がない。
時々読めない漢字もある~~;)
こんな日本語の使い手になりたいと思う。
だけど日常の安易な言葉にうずもれて、すぐに素敵な単語や言い回しを忘れてしまう愚かしさに落ち込む日々だ。

題名の「海うそ」は海の嘘、幻つまり蜃気楼をあらわす言葉。

南九州の離島「遅島」を調査のために歩いた若いころ。
それは明治政府の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」神仏分離令によって破壊された地元の仏教などの宗教施設跡を訪ねる旅だった。当時の悲劇を取り込んで埋め尽くすかのように生い茂る植物やそこに穏やかに暮らすいろいろな生い立ちを持つ人々。
が、それから戦争を挟んで50年後。観光地へと開発が進む遅島を見て愕然とする。
「自分はいったい何をしていたのか」と我に問いかけるが・・・

形あるものを求めてもすべては消えゆく。しかし、空(くう)はまた新たな何かを生み出す。

自然界の時の流れの中におそらく、確かな形を持ち続けるものはないのかもしれない。
だけど、人間はいろんな「経験」を「記憶」として留めることができるなあ。
そのリアルな記憶は人の寿命ととともに消えるとしても、
その思いは言葉によって次世代に語り継ぎ、共有できるものもあるようです。

登場する植物や動物の名前の多さは相変わらず圧巻。これをひとつひとつ調べるだけでもかなり物知りになれる。

梨木香歩 1959年 鹿児島生まれ

梨木香歩著「冬虫夏草」・形を変えて生きていける

2013-12-12 | 
待ちに待った「家守綺譚」の続編です。

友人「高堂」の家の家守として住み込んだ作家「綿貫」が
その庭でフリー状態で飼っていた犬のゴロー。
ゴローは、グッドタイミングでひょっこり現れ、すべてお見通しという具合に
助け舟を出してくれる本当に頼りがいのあるいいやつだった。
そしてこの「冬虫夏草」では、ゴローが数か月帰ってこないという。
なんと。
綿貫は、ゴローを見かけたという情報をもとに鈴鹿の山々に出かけていく。

綿貫のゴローに対する思い入れはすごい。
ゴローの素晴らしさを語るくだりは、自らをしっかり下座においている。
それほどゴローはすごいのだ。

ところで、冬虫夏草(とうちゅうかそう)とはサナギダケつまり虫の幼虫にキノコが寄生したもの。
漢方ではコウモリガの幼虫の寄生されたものを用います。

寄生されたと思うと、命を乗っ取られたようだけど、
この本では「冬は虫として夏は草として生きる」との理解でこの物語の象徴となっています。

やがて襲いくるらしい大きな天変地異。防ごうと思ってもどうにもならない。
そこに暮らす生き物はひとたまりもないだろう。
いや、
生き物は、きっとそこで、生きられる形に変化して生きていく。

最後の「茅」の章は、泣いた。
二度目を読んで、登場するさまざまな人たち、河童、イワナ、竜、
季節を彩るたくさんの植物たち、うつくしい日本語たちによって、
情景が一層鮮やかとなり、
そして最後の「茅」の章ではやっぱり、泣いた・・・



過去の家守綺譚のレビューではやはりゴローのエピソードを書き出してました。
村田エフェンディ滞土録   梨木香歩関連記事

日曜散歩「関東ふれあいのみち」in東金

2013-11-19 | 植物&動物
「駅からハイキング」というリーフレットを先日JRの駅で見つけて、
千葉県東金市のコースを歩いてみることにした。

日曜日は小春日和。
紅葉にはまだ早いかもしれないと思っていたのに、

路地の奥にネコ。カエデも知らぬ間にずいぶん紅葉していた。

ケヤキ、イチョウ、クスノキ。

このあたりは、家康が鷹狩りに訪れたところで、当時佐倉藩主土井利勝がこれを手配したそう。

りっぱな寺もたくさんある。


植えられた菊の花も今を盛りと咲いている。


切通しの長い階段。我が家のワンコはすでに歩き疲れて、階段を見ないようにしている。
この日が誕生日のワンコは満12歳、すっかり老犬なのでいたわりながら歩く。

よく整備された遊歩道が続き、要所要所に道案内の看板があり「関東ふれあいのみち」と書いてある。
あとで調べたら、ウィキペディアにものっているほどたくさんの道が関東各県にあるそうだ



とても大きなシダ。梨木香歩さんの本「f植物園の巣穴」にも登場したイヌガンソク。


ツワブキもきれいに咲いて冬の訪れが近いことを感じさせる。

途中、八鶴湖(はっかくこ)という湖(というより小さな池だが)でたくさんの水鳥たちに出会った。
ラッキー!  というわけで、それはNo.2へ。

梨木香歩さんの講演会

2013-10-25 | 
先日、作家の梨木香歩さんの講演会に参加することができた。
個人的にはもっとも敬愛している作家のひとりだし、
とにかく顔写真を出さない人なので、拝顔できるだけでも私にとっては大事件。

だけど講演会って、教えていただくとか、お説教を聞くとか、
そんなのしか経験がなくて、作家の講演会ってどんなんだろうと、
不安と興味が交錯してましたが、
とりとめのないようだけど、まったりした楽しい空間、
親しい友達の話を聞いてるみたいでした。

梨木さんは自然体で親しみのある女性で、
小学校のころあんな友達がいたような気がする懐かしみもある人。


講演会のテキストは、鳥の写真とそれにまつわる梨木さんの作品の文章が。

30分もかけて梨木さんが朗読を聞かせてくれて、
すっかり想像の世界に入り込んでしまった。

梨木香歩と言えば映画化された「西の魔女が死んだ」が有名だけど、
圧倒的に「家守綺譚」が好き。
そして「f-植物園の巣穴」や「水辺にて」「鳥と雲と薬草袋」などは
動植物がどっさり登場して、図鑑を横に置いて読みたいくらい。
文章のなめらかさ、美しさはピカイチ。

とりのなん子著「とりぱん」

2013-05-22 | 
野鳥の話題がコミックで読める「とりぱん」
これで「アオゲラのポンちゃん」を知っていたおかげで、
先日の北海道で見事「ヤマゲラだりちゃん」を見つけることができたし。(だりちゃんは私が名づけた)

ブックオフで8冊大人買い(?)したっけ。
つい先日これを売りにいったら、ちょうど抜けていた5~8巻をゲットできた。
ここのブックオフには、少なくとももうひとり「とりぱんファン」がいるってことだ。
現在14巻まであるらしい。

そもそも、雑草好きだったので近所の自然観察会に参加したことがきっかけだった。
そのメンバーたちが双眼鏡を手に野鳥も観察していたのだ。

なんで飛んでるものがそんなにくっきり見分けられるのか、
そりゃあもうカルチャーショックだった。

そして猛禽類なんて遠い地の話だと思ってたら、
この辺りにも何種類もの猛禽類が平然と空を舞っていることを知ってしまうと
もういてもたってもいられなくなってしまった。

大好きな作家、梨木香歩さんは植物や鳥に詳しい人だが、
ますますその気持ちがわかる気がする。
そういや、沖縄にいくならカヌーに乗ろうと家族に提案したのは、
梨木さんの「水辺にて」を読んだせいでもあったなあ。
その中でも、ハラッと視野の隅にカワセミが横切るんだ。

今や野鳥観察会にも参加するわ、望遠レンズも買っちゃうわ、
散歩に出ても木とか空ばかり見ている。

ま、すでにいい年だし老い先短いし、
好きなことは逃さずやっておこうという気持ちは最近強くなっている。

梨木香歩著「渡りの足跡」ここではないどこかへ

2013-03-14 | 
梨木さんの「渡りの足跡」が今月、文庫版になった。
野鳥に凝り始めていた私にとってはこの上なく良いタイミングだ。

渡り鳥の移動範囲はすごい。
スズメより小さな体のマヒワやアオジそして愛嬌のあるジョウビタキさえ、とてつもない距離を移動する。
しかも、また日本に戻ってくるその場所は何丁目何番地まで正確にもどってくるそうだ。
だがその長旅の間には体力問題や天敵の危険などアクシデントは尽きない。命をかけた飛翔だ。
なのになぜ、渡るのか。



知床あたりでは、渡りの「港」のような場所があるらしい。空を渡る「港」だ。
人が知りえない、遠くの空へと風が吹くところ。

「さ、帰ろう」と思い立つとき、渡り鳥のその場所は、毎日慣れ親しんだ今日の場所ではなく
「ここではない、もっと違う場所へ」という衝動が生まれるのではないかと書かれてた。

冬鳥が去り、夏鳥がやってくる、春は移動の季節。
人も動物、なにか突き動かされるものを感じて、春を新しくスタートするのかもしれない。

近所で出会ったあの鳥たちは来年またここに無事戻ってきてくれるだろうか。

(梨木さんのヒヨドリの表現はさんざん過ぎて面白かった)

飛行機に乗って上昇するシーン。
どんどん変わる雲の種類を表現して、すっかり渡り鳥の目になっていた。
しばしば「○○から○○が見えてくるその鳥瞰図を想像してみてください」というくだり、
読んでいて思わず笑って相槌を打ちそうになる。
鳥の注釈がまた梨木さんらしくて楽しい。


梨木香歩:1959年生まれ 
「水辺にて」に次ぐネイチャーライティング作品2作目と解説の野田研一氏が書いていた。
梨木さんの動植物に関する知識は素晴らしい。そして人間もそんな自然の一部として考えようとする。それが梨木さんのネイチャーライティングだとしたら、「沼地のある森を抜けて」も微生物の有り様から命そのものの紡がれる形を考察する内容で、梨木さんらしいネイチャーライティングの究極ではないだろうか。


梨木香歩著「雪と珊瑚と」覚書

2012-07-13 | 
とても女性的な内容です。
主人公は、珊瑚という名の若いシングルマザーだが、
物語の中にいろんなタイプの女性が登場し、助け合ったり、非難したり。
人とかかわりながら、一人一人が自分の居場所を探し求める人生を
梨木さんらしい細やかな感受性で描き出していて、気づかされることが多い。



珊瑚は、幼子(雪)を抱えたシングルマザーゆえに気を張って
人に頼らずに生きていこうとするが、結局誰かの手を借りなければならない。
その様子を他人が見ると、わざと人の憐みを受けようとしていると非難されてしまうこともある。
珊瑚のことを非難する女性からの手紙は痛烈だった。
が、私の中にもそう感じるところがあるかもしれない。
だが、珊瑚という女性を知るほどに、役に立ちたいと思う。
登場人物のいろいろが私の中に全部ある。その比重が人によって異なるのだろう。
そこに様々な世間の目とかプライドとかややこしい壁ができてくる。

「年上として気が付くべきでした」というくららの言葉は、
年長になるにつれて若い人に対する広い責任を負うことを同感する。

珊瑚の目いっぱいの毎日の中、やっと離乳食が始まった雪は
しばしばふっと驚くような成長を見せて幸せな気持ちになる。

新鮮な野菜、様々なハーブ、野菜料理のレシピ、あれこれたくさん登場して
作りながら食べながら物語は進む。
何を材料にするか、どんな料理を食べるか、
だれと食べるか、どんな場所で食べるか・・・食べるってやっぱり大切だ。

人はそれぞれ異なる気配(けはい)を持っている。
人に纏う酵母が異なり、その結果、その時々で発酵の仕上がりが異なるというくだりは『沼地のある森を抜けて』を思い出させた。

牧野富太郎生誕150年

2012-05-22 | 植物&動物
今日は、スカイツリーもあるけど、植物学者「牧野富太郎」の生誕150年の日(1862年5月22日生まれ)

先日郵便局で、美しい植物絵の切手が目に留まった。牧野富太郎生誕150年とある。
その絵は、大学時代の、植物をどこまでも正確に写生するという薬用植物学の授業を思い出させた。

牧野富太郎という名に聞き覚えがあり調べてみると、「日本の植物学の父」と呼ばれる人物で、
敬愛する梨木香歩の小説「f植物園の巣穴」に出てきた植物「ムジナモ」は彼が命名したのだそうだ。
ぐっと親近感が湧いた。


梨木香歩著「f 植物園の巣穴」覚書

2011-11-15 | 
ブックオフで偶然見つけてしまった。
美しい表紙、植物、梨木香歩、文句なしのお気に入りトライアングルや~。
敬愛する梨木さん、半額で買うけどごめんなさい。


久しぶりに味わう梨木ワールドの異空間。
いったいどこからが、椋(ムク)の木の「巣穴」に落ちた話なのか判然としないまま、
頭の中では不思議の国のアリスのようにさまよう。
そして最後に「あの千代」登場の「現実」にあっと驚いた。
やられた。
すぐさま最初からまた読み直した。
weblio辞書より「犬雁足」

「男ってのはねえ」

「これに(オオバコの葉)死んだカエルを包むと本当に生き返るのですか」

「一般常識!一般常識!」

初読ではただ不思議で意味不明だった妙な会話内容が、読み返してみると、
込められた深い意味とその痛さが沁みる。
weblio辞書より「月下香」

芋虫がさなぎとなりやがて蝶に至る変態の描写は驚きに満ちている。
そして巣穴に落ちた彼は、幼いころへと「逆行の変態」を遂げながら、
「未来のために」と封じ込めたつもりの悲しい記憶を思い出す。

辛い思い出を無理やり消し去って都合のいい記憶に変えてしまっている
ことってあるのかもしれない。
その都合のいい記憶の仕方が「男ってのはねえ」という千代の言葉につながる。
しかし真実の記憶に向かい合い受け入れなければ、未来へは進めないのかもしれない。
weblio辞書より「ムジナモ」貉のシッポみたいな食虫植物
不思議なカエル小僧に、父親として命名したシーンは涙がでた。

2度3度読み返したい。
梨木さんの本は何度読み返しても飽きない。
声を出して読みたくなる。
次々と登場する植物の姿を知っているとイメージのふくらみが倍増する。

梨木香歩 1959年鹿児島生まれ 

梨木香歩著「沼地のある森を抜けて」

2009-01-15 | 
なぜ生き死にを繰り返すのか? 
なぜそうして命を紡ぐのか? なぜそう行動するのか?
もちろんヒトだけでなく微生物からあらゆる動植物に至るまで。
そんな根源的な自然科学のテーマを梨木果歩の文学力で追及した小説です。

その物語は、
先祖伝来のぬか床をもらいうけた若い女性、久美の生活から始まります。
朝晩欠かさずぬか床をかきまぜなければならない生活。
しだいに自分の生活が(思考さえも)ぬか床に支配されているのでは?
と危機感を感じながらも、不思議にその状況に居心地の良さも感じて抜け出られないのです。

久美は事態をとても冷静に的確に判断できる女性です。
彼女の思いやことばは読んでいてとてもすっきりしていて、
なるほど、そうよねえと納得してしまいます。

さて、それでもテーマがテーマですから、
久美の分析力をもってしてもしばしば考え込んでしまいます。

もとは、たったひとつの小さな細胞がある日、ぽつんと地球に生まれたとして、
その命が、絶対的な孤独を感じながらも、ずっと在り続けるという夢を抱いた?
それが結果として、
いくつもの進化の多様性を果たしながら命は連綿と繰り返されている?

ある時はクローン増殖を淡々と繰り返しながら、
またある時は自己と他者の間に壁を作りながら、
またある時は自己の死をいとわず他者と一体化し新しい命を発生させながら・・・

もちろん明快な答えがでるわけではありませんが、

微生物らを「気配を生みだす世界の住民」と表現しています。
そして、
「寄生され自分の上に幾重にも重なった他者があり、自分の身一つが単に自分のみの問題ではなくなっている状態の時、すべては穏やかに一つと考えたらどうだろう」
という表現があります。

そう、ヒトは偉そうに、地球を支配しているかのように考えているけど
たとえばぬか漬けを食べたら、その食べ物や微生物が私の体の一部となって
行動や思考に影響し合っている。
それらの総合的な意思によって次の命に向かって行動してるんじゃないか?
そしてその流れに、そう簡単に抗うことはできない。

そういえば、ウイルスが感染して風邪をひいたとき、
くしゃみをするのはウイルスが次の体に向かおうとするから、
という説を聞いたことがあるなあ。
それに、家族とか、同じ食べ物を食べたら体質が似るってこともよくあるし。
それが、食べた多くの「命」の総合的な意思だというふうに考えると、
すごい、と思う。

梨木香歩 一段と恐るべし。

村田エフェンディ滞土録
家守綺譚
梨木果歩作品覚書

村田エフェンディ滞土録・梨木香歩覚書

2007-11-27 | 
ひさびさに梨木果歩の本です。
村田とは、あの「家守綺譚」の中で、土耳古(トルコ)に留学した友人としてチラッと話題にのぼる程度の人物だったけどそれでも気になる存在。
それがなんと先日、土耳古に滞在した村田の物語がしっかり文庫本で本屋にいた!

そして、あー、
あの家守綺譚の雰囲気がじわりとよみがえってきちゃって、
やっぱりうまい!梨木!
それに外国名や地名のカタカナを当てた漢字がしっかり覚えられます。

村田の滞在した土耳古では、さまざまな人種が存在し、その思想や神に対する捕らえ方、そんなあれこれは通じ合わないけれど、それぞれを否定するでもなく、さらには摩訶不思議な超常現象さえもすべて受け入れる・・・
そんな心持で通じ合いたい、
俗な言葉で言えば「世界平和」のための方法を語ってくれている本といえるだろう。

私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない

そんな気持ちで素直にかかわりあえたら・・・

歴史というのは、物に籠る気配や思いの集積なのだよ。結局のところ・・・

しかし人の世は無常。
後半の結末は、じわじわと目の奥が熱くなって(このときは電車内での読書だったのでかなりあせったけど・・・)
おまけに、犬のゴローも迎えてくれて、
そして不覚にも、
気持ちの中で村田と一緒に、あの孤高の鸚鵡(おうむ)の籠にすがって泣いてしまった。

友よ!

解説を茂木健一郎が書いている


家守綺譚
梨木香歩作品覚書