エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

古墳めぐり

2013年07月02日 | Weblog
   
                              前方後円墳の模型
7月2日(晴れ)
この4月からシルバーの底力を「地域活性化の一助に」を目標に勉強会が立ち上げられ、
私も参加しています。1年36課程の講義のほか選択科目、特別講座、クラブ活動もあり、
密度の濃い内容です。
今日は所属クラブの遺跡めぐりの現地勉強会で「馬見古墳群」に行ってきました。
「馬見古墳群」は大和3大古墳群の一つで、奈良盆地の西に位置する馬見丘陵一帯に分布します。

前半は20数名の部員たちと河合町のボランティアの説明を受けながら5世紀前半に築かれた
帆立貝式古墳の池上古墳・乙女山古墳を歩きました。いづれも墳丘は木立に覆われて見ることは出来ませんが、次に行ったナガレ山古墳は円筒埴輪が並べられ、前方後円墳の全貌を見ることができ、また階段を上って墳頂から二上山、葛城山、目を転じて大和三山を遠望しました。
    
                       ボランティアから馬見古墳群の説明を受ける
     
  公園館の天井と床  新山古墳から出土した「直孤文鏡」を参照にデザインされた

午後からは広陵町のボランティアの案内で
三吉石塚古墳(帆立貝式古墳)、牧野(ばくや)古墳、巣山古墳を見ます。
牧野古墳へは真美ケ丘ニュータウンのメイン道路を30分ほど歩かねばなりません。
気温がどんどん上がり、汗だく状態の行軍!です。

やっと到着。3段筑成の円墳で、墳丘の2段目に開いた横穴式の入口から 石室に入りました。
周りは真っ暗ですが、汗だくの身にはありがたい低温で、一気に汗が引きました。
懐中電灯で大きな石で組まれた天井や壁の内部を見ました。大きな石で60トンの重さのものもあると聞きましたが、6世紀にどうやって運び込まれ積み上げられたか、想像が膨らみます。
奥に石棺が置かれています。石棺、石室内は盗掘されたそうですが、それでも多数の副葬品が残っていたことは幸いです。
この墓は34代舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子と言われています。
     
                普段は施錠されている石室の入り口
来た道を戻り巣山古墳へ。馬見丘陵の中央に位置した馬見古墳群最大の前方後円墳ですが、
ここも木立に囲われて見ることは出来ませんが、丁寧な説明を受けました。
   
          巣山古墳から出土した水鳥や家形埴輪の写真を見ながら・・

 狐塚古墳の墳頂の上に陸橋が。下は幹線道路   

公園内のレストランで冷たい物をいただき元気回復。
本日の歩数は17600歩。炎天下をよく歩き、よく勉強しました。
この企画に感謝して4時過ぎ解散。心地よい疲れで家路へ。