帆柱には竹で編んだ帆が吊るされています
4月28日(晴れ)
車からシャトルバスに乗り換え平城遷都1300年祭が行われている平城宮跡に行きました。10時前に会場に着きましたが、遣唐使船に乗船できる歴史館へ入るには1時間待ちです。整理券を頂き、みやげ物店などを見ながら入場時間を待ち、中に入りました。3つのブースからなり遣唐使の歴史や渡航の様子、平城京の都の様子などをシアターで再現されたものを見た後、遣唐使船の甲板に上がりました。全長30mほどで、小さな船です。
甲板にある3つの小屋の一つに「まかない部屋」と表示した小さな部屋があり、湯を沸かす程度の設備があったようです。天候が悪ければ中国大陸の陸地を見るまでに1ヶ月もかかる航海ですが、食事はふやかした干し飯と水、乾物だけのようです。そんな食事と船底での狭い寝床などの悪条件に加え、遭難も覚悟した波狂う大海原を越えていく遣唐使船の乗員達の心意気を考えると感無量です。身分の上下に関わらず、唐から学び、日本を造っていく壮大な夢と希望があったからこそ出来た航海であっと思います。
大極殿の前に立ちました。昨年、完成まじかな大極殿の2層目にあがり、数万枚ほど敷かれた大屋根瓦や金色に耀く鴟尾をまじかに見たことを鮮烈に思い出しました。
そして今日、完成した堂々たる大極殿を見あげた時、この建物の25mほどの高さまで上がった時の感激が再びこみ上げてきました。
世が世ならば入れない内部に足を入れました。中央正面に天皇が座す「高御座・たかみくら」があり、天井や周囲の壁に日本画家・上村淳之画伯が描かれた四神や十二支の絵が華やかさを添えています。ゆっくり見せていただきました。
青空のした、当時の衣装を着た旅行中の高校生達が嬉しそうにポーズをとっています。本当に平和な風景です。
東院庭園と隅楼 黒い部分が1300年前の柱
宮蹟の東の方角に東院があります。庭園の前の建物は、公的な宴会に使われていた皇族使用の建物で、写真の奥の建物は「隅楼」です。屋根の上に鳳凰が載っていますが、見張り台に使われた建物のようです。隅楼の柱は8角形で、発掘調査時に地中遺溝からその柱の一部が見つかったそうです。
このように、宮跡内の復元建築の多くは限られた少ない資料から推測し、より当時の建築物に近いものを造られたことを知りました。
平城宮跡は本当に広大な空間です。暖かい春の日差しを一杯浴びながら、歩き、また歩き、あっというまに5時間も居たようです。日焼けして我が家に戻ってきました。