エミリーのつれづれ

日々の暮らしぶりを紹介します。

「ブラッセルの暮らし」から  ①

2008年05月30日 | Weblog
5月26日ー5月30日(雨のち晴れのち曇り)
昨今のベルギーの天候は一日で,
どんな天気予報も当たるぐらい、くるくると変化しています。雨で傘を持っても、すぐ日は差してくるし、暑いかなぁ!と薄着をしたら肌寒くなってきます。みんな自分の体調に合わせて脱いだり着たりと、まちまちの服装で暮らしています。

旅から帰って数日が過ぎました。旅の疲れはありませんし、本当に「あんな感動の旅をしたのかなぁ!」と、思えるぐらい、こちらの生活は静かで単調に過ぎていきます。息子は早朝2時から店の厨房で菓子つくりに追われ、嫁は8時30分に、孫の幼稚園を送りながら店に出向き、夕方7時半ごろに夫婦で帰宅します。私はその間に家の掃除や洗濯、買い物を済ませ、午後から、孫の幼稚園へお迎えに行き、ダラダラとおしゃべりしながら野の花を摘んだりして帰ってくると1時間が経っています。それから孫のお遊びの相手をしたり、夕食つくりをして、全員の家族が揃うのを待ちます。夕食をすませても、息子は次の日があるので8時過ぎには就寝しますし、嫁も売り上げの帳簿付けや家事で、ゆっくりと団欒する暇もありません。暇なのは私ぐらいですが、私の手伝える範囲も限られているし・・・。こちらに来て、生鮮ものを売る商売がいかに大変か、息子夫婦の生活ぶりを見てよく分かりました。水曜日は定休日でしたが、昼前には明日の準備で店に出かけました。よく働くのは認めますが、幾ら若くても・・・。まぁ、横で見ているしか能がないのが歯がゆいです。

写真は孫の幼稚園の教室風景です。日本の幼稚園と違って、どの子も私服でカバンもまちまち、教室内で好き勝手に遊んでいます。ピアスをつけている子もいます。子供は15人ほどですが、助手の先生が一人付いています。とてもカラフルな教室です。

「ディナン」から起・終着の「ブラッツセル」へ

2008年05月30日 | Weblog
}5月26日(晴れ)21日目
昨夜、息子の家に無事帰り着くことができました。朝からは荷物の整理です。3人は明日の飛行機で日本に帰りますので、近くのスーパーマーケットで必要品を買い、お土産の総点検などして荷造りに追われました。
帰り支度も完了したところで、最後の最後の列車の旅はベルギーの南・ワロン地方にある「ディナン」です(列車で1時間半)。ミューズ川沿いの小さな街ですが、川岸の教会とその岩の上に立つ城砦はどこからでも見ることができます。ロープウエイを利用して上にあがると、この小さな街が一望できます。城砦を一巡してから下におり、川沿いのレストランで「忙しく楽しかった7カ国・21日間の旅」の締めくくりのティタイムを取りました。
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「こんな強行軍の旅ができるの?」が、計画表を子供達に見せた時の反応です。でも旅は事故もなく完結しました。時刻表の達人で自在に計画を変え、何事にも動じず笑い飛ばすM氏。次々と出てくるアクシデントを解決していく知恵者のM夫人。ヨーロッパは初めてながら落ち着き、笑いを作ってくれるHさん。そしてとりあえず元気印の私。それぞれのキャラクターが上手くミックスされて、ツアー旅行では味わえない濃密な体験と感動の21日間でした。またこのメンバーで旅ができるよう、お互い爪に火をともして蓄財し、体力増強に努める事を誓い合いました。

8時前に息子宅に戻り、私たちが注文していた「白アスパラガス」の一品をはじめ息子夫婦が用意しくれた手料理を頂きながら「旅の思い出話」に花を咲かせ、3人にとっては最後のヨーロッパの夜の帳がおりました。
              

ルクセンブルグ公国・「ルクセンブルグ」と「クレルヴォー」

2008年05月30日 | Weblog
5月25日(20日目)
6時30分起床。昨日は車中泊、船、列車と乗り継ぎの連続で疲れましたが、暖房が効いた部屋でぐっすり寝た性か快調です。天気も快晴です。
朝食後、Y・Hの近くを散策しました。Y・Hは丘の下の谷間に位置しているので24のアーチをもつ高架橋を仰ぎ見ることになります。坂を上って高台に出ると街が一望できます。まさにルクセンブルグの街は「川と峡谷に囲まれた丘の街」の形容がぴったり複雑な地形で成り立っています。
かつて街の周りをぐるりと囲んでいた城壁の一つの場所で、眼下の街を眺めていたらイギリス人とトルコ人のグループに声をかけられました。イギリス人の男性は「駅前留学のノバ」で働き、ノバの倒産を知っていました。トルコ人のグループはドイツからの観光でした。

昼から「クレルヴォー」の街に列車で行きました。小さな街というよりは村の感じで、日曜日の今日は街道筋の商店は全部閉まっていました。駅から歩いて15分ほどの城を見た後、また列車に乗りアルデンヌ地方の風景を満喫しながら4時ごろにクセンブルグに戻ってきました。
駅前をまっすぐに大通りを行くと金融国にふさわしい重厚な銀行や大会社のビルが軒を連ねいます。更に進むとアドルフ橋(長さ84m・高さ46m)が架かっていています。ここからの眺望も素晴らしく、橋の左手はベトリュッスの渓谷が広がり、右手はノートルダム寺院や大きな歴史的建造物が見えました。左右で全く違う光景も、この街の魅力の一つかもしれません。一時間の散策後、駅に預けていた荷物を取り出して、旅の起点「ブリュッセル中央駅」に向かって「列車の旅」は最終章に入ります。

ドイツへ    ライン川下り

2008年05月29日 | Weblog
5月24日(晴れ)19日目
深夜に近い時間に乗った夜行列車の寝台ベットは柵がないので、カーブや万が一の急停車で振り落とされるのではと気になり、寝た気がしないまま、4時半に起床しました。5時過ぎ、車窓の外に「今日からは晴天!」と、期待を持たせるような真っ赤な太陽が地平線からあがってきました。
6時に「フランクフルト駅」に到着。昨日までの山岳風景からビル群の風景にかわっていました。ここから乗り換えて「マインツ駅」へ。そして駅からタクシーで「ライン川下り」の船着場へ行きました。もう大きな観光船が接岸していました。

大きな船なのに乗客も少なく、甲板の椅子に座って、涼風を受けながらライン川沿いに点在するブドウ畑や古城などの美しい風景が川の流れのように通り過ぎて行くのをのんびり眺めるのもよいものです。伝説の「ローレライの岩」が近づく1時間ほど前の船着場から、日本の団体客が大勢乗り込み、甲板は一杯になりました。この地点が過ぎたところで団体客はドーと下船したので、また船は静かになりました。
ケルンまで行く船ですが、5時間の船旅を楽しみ、私たちは」「コブレッツ」で下りました。ここは父なるライン川と母なるモーゼル川が合流する地点です。この駅からお隣の国「ルクセンブルグ」へ行くために列車に乗りました。モーゼル川に沿って走る車窓から、キャンピングカーが沢山とまっているキャンプ場を何ヶ所も見かけました。夕方6時前にルクセンブルグ駅に到着。Y・Hに泊まります。

「リンツ」から「ザルツブルグ」そして夜行列車でドイツへ

2008年05月29日 | Weblog
5月23日(曇り)18日目
「モンゼ」のバスターミナルからザルツブルグ行きのバスに乗りました。相変わらずの曇天です。数日前に列車で貰った新聞の天気予報で、低気圧が居座っているのを知りましたが、まだ続いているようです。
天気回復が期待できないので、ザルツカンマーグード(*ザルツブルグの東の丘陵地帯に散在するアルプスの氷河が造った大小76個の湖沼群で2000メートル級のアルプスの峰々に囲まれた地域)の一つ「ヴォルフガング」行きを断念し、ザルツブルグのお隣の街「リンツ」へ行くことになりました。

「リンツ」はオーストリア第2の都市です。「ザルツブルグ駅」から「ウイン・ブタペスト」行きの列車に乗り1時間ほどで着きました。駅ちかくの公園で持参の昼食をとってから市街地に向かって歩きました。色々な国籍の人たちが歩いていますが、なかでも中近東の人たちが目立ちます。マルクト広場前の教会など3つの教会をめぐり、ドナウ川の橋の袂から市バスに乗って山の上へ行き、教会と市街地を遠望しました。
ザルツブルグへの帰り、列車の車窓から雨で行けなかったシャーフベルク山とその連峰が夕闇のなか、虹と共に威風堂々の姿を見せました。ほんの数分で列車はカーブして方向を変えてしまいましたが、その雄姿を目に焼きつけました。ここ数日の天候の悪さで、今回の旅のハイライトが精彩を欠いていたので、オーストリアを去る最後に美しい光景に出会えて大満足でした。

ザルツブルグ駅から23時42分発のフランクフルト駅行きの夜行列車に乗るために洗顔(有料トイレで歯を磨いていたら、「水がもったいない!」と注意をうけました。ヨーロッパの水は貴重だと分かっていましたが、驚きです)をしたりして2時間ほど駅の待合室に居ました。日本ならこの時間帯はまだ大きな駅なら賑わっているのに、なんとも閑散とした状態で怖いほどです。パトロールの警官が巡回していました。




「ザルツカンマーグード」のひとつ「ハルシュタット」

2008年05月29日 | Weblog
5月22日(曇り)17日目
9時前、路線バスのバスターミナルに来たら一台のバスも止まっていません。
Y・Hからの道すがら、手に白樺の小枝を持った民族衣装や正装した家族連れや夫妻にすれ違った事、また昨日のモンゼ教会のマイクの準備などを考えると、もしや・・。バスは来ないし先の列車も、と不安になりました。(今日は聖体節で祝日であることが後で分かった)
バス停前のガソリンスタンドがたまたま営業していたので、タクシーをお願いし「ギルゲン」へ行きました。「ギルゲン」はヴォルフガング湖の西岸で、バスや船が発着する「ザルツカンマーグード」の起点の場所であり、モーツァルトの母の生地でもあります。市庁舎の広場にヴァイオリンを弾く幼いモーツァルト像が立っていました。幼いモーツァルトが父と馬車でこの辺りを演奏で往来していた光景が目に浮かんできます。
ここから船で湖北の「ヴォルフガング」へ渡りました。天気がよければ蒸気機関車の登山鉄道に乗って1783メートルのシャフベルグ山へ行く予定でしたが、「曇天では山頂の景色が見えない」ということで断念し、ここからバスで「バート・イシュール」に向かい、再び列車で30分ほどの「ハルシュタット駅(湖の東岸)」へ。駅の傍から今度は渡し舟で10分ほど乗って対岸の「ハルシュタット」湖の西岸の村へ。渡し舟にも白樺が飾ってありました。

船が村に近づくと、湖畔にしがみつくように立つ山小屋風の民家の家並みと、2つの教会の塔が見え出し、絵葉がきの風景そのものです。船着場から広場の方へ歩いて行くと、向こうから手に手に白樺の枝を持ち、民族衣装に着飾った大人や子供達が教会での祈りを終えて出てきました。長いスカートに長いエプロン姿の女性たち、チロリアン帽子にフエルトの上着に半ズボン・ソックス姿の男性たちと、映画の一シーンを見ているようです。特別の日に出会えたのは本当にラッキーでした。
小さな村ですが、色とりどりの花が咲き乱れる民家の庭を見たり、みやげ物屋を覗き、教会の中に入ったりとしているうちに、時間が飛ぶように過ぎていきました。帰りは逆の順でモンゼに戻ってきました。Y・Hは今日は老人クラブのように老人の男女でにぎわっていました。


「サウンド・オブ・ミュージック」の教会がある「モンゼ」へ

2008年05月29日 | Weblog
5月21日(晴れ)16日目
起きたら雨はやんでいますが、湖畔は雲に覆われてかすんでいます。8時過ぎの列車で「ザルツブルグ駅」に向かいました。1時間半ほどで着きますが、その手前で昨日みたホーエン城を見ることができました。
「ザルツブルグ駅」から長超距離乗り合いバスで1時間ほど揺られて12時頃に「モンゼ」の街に着きました。「モンゼ」とは「月の湖」という意味で、モンゼ湖は山の上から見ると、三日月型をしているそうです。また、ここは映画「サウンド・オブ・ミュージック」で主人公のマリヤとトラップ大佐が挙式した教会があることで有名です。先に今夜の宿Y・Hに荷物を置いた後、モンゼ湖畔で、近くのスパーで買ったパンの昼食をとりましたが、寒いほどです。散策してる人たちも皆な冬服を着込んでいます。
昼食を済ませた後、先ずは教会へ。主人公アリアが長い花嫁ドレスを引いて祭壇の中央に進んでいくシーンが鮮やかに思い返されました。祭壇の主聖台、左右の壁に納められた宗教画と額縁の豪華さに圧倒されました。教会の出口でマイクのテストがされていました。近く、何か行事があるのでしょうか。
あちらこちらと街なかを歩き回り、湖畔のレストランで食事をして、モンゼのY・Hに戻りました。大きな建物ですが、泊り客は居るのでしょうか、物音一つ聞こえない静かなY・Hです。なんだか泊り客は私たち4人だけ?!のような気がします。

無念の雨・「グロス・グロイナー」観光取りやめ「インスブルグ」へ

2008年05月29日 | Weblog
5月20日(雨のち曇り)15日目
朝、目覚めるとジャジャ降りの雨です。「晴れ女達も旅の疲れで、神通力が出ず」と、無念の思い出でカプルンの氷河見物は中止にしました。
「たまには何もしないでお茶タイム」と休息日を宣言したものの、昼すぎから晴れ間が見えてきたので、行動派の私たちはすぐさま列車に乗り「インスブルグ」に行くことに決めました。
道中の車窓の景色は昨日同様に、緑の丘陵地に放牧の牛や羊の群れ、時に山小屋風の民家が点在し、まさに「チロル風景」そのものです。2時間ほどの列車の旅を楽しんだ後に「インスブルグ駅」に着きました。この街は2度も冬季オリンピックがあった所だけに、駅からでも2500メートル級の山々が見えるはずですが、曇り天気で何も見えません。でも歴史的建造物が立ち並ぶ市内を1時間ほど散策し、駅のホーからオリンピックで使われたスキーのジャンプ台を見て、また列車でツェル・アムゼに戻りました。往復4時間の列車の旅ですが、車窓風景が観光です。明日は早い出立なので、早めに就寝します。

写真は目抜き通りに立つ凱旋門です。表は女帝マリア・テレジアの第2子レオポルト大公とスペイン皇女の結婚式「生と幸福」が、裏側は女帝の夫フランツの死「死と悲しみ」が彫られているそうです。

国境を越えてオーストリアの「ザルツブルグ」へ

2008年05月28日 | Weblog
5月19日(曇り)14日目
眠っている間に列車はイタリアを離れスイス・ドイツに入り「ミューヘン駅」に6時過ぎに到着しました。駅の構内で朝食のサンドウィッチを買い、再び列車に乗り込み、9時すぎにオーストリアの「ザルツブルグ駅」に着きました。

土砂降りの中を市バスに乗り、換金などの用事を済ませた後、街のシンボル・ホーエン城へ向かいました。ケーブルカーもありますが、雨も上がったので歩いてのぼりました。この城は15世紀に造り始め200年もの間、増築を繰り返した要塞のような城です。探しあぐねて、ようやく城の一つの塔にのぼりました。ザルツァッハ川を挟んだザルツブルグの新、旧の街が一望でき、雨上がりで緑が輝くような美しさです。城から街へはケーブルカーで下りて、「大聖堂」に入り、「ミラベル宮殿」の庭園から迷いながら、駅まで歩きました。駅でコーヒーを飲んで一休憩「朝の雨はどこへ行ったやら!の晴天です。ここまでは「悪天候でも見たい場所では傘要らず」と、晴れ女達のパワーをコーヒーで祝福しました。

3時過ぎ、「ザルツブルグ駅」から各停の列車に乗り込んで「ツェル・アムゼ湖」に向かいました。車窓の景色は絵葉書を何枚もつなぎ合わせたような美しさです。遠くの山には、まだ中腹までまだら模様ながら残雪が白く光っています。車内は下校帰りの小、中学生でにぎやかですが、その声をバックミュジックにしながら、2時間の車窓景色を堪能して「ツェル・アムゼ駅」に着きました。この湖畔のY・Hで2泊します。雨がまたしょぼしょぼと降りだしました。明日はのカプルンへ行く予定なので、晴れますようにと祈りながら就寝です。

ルネッサンスの華・「フェレンチェ」

2008年05月28日 | Weblog
5月18日(小雨時々晴れ)13日目
朝方に降った雨も小降りになりました。ワンディーチケットを購入して、今日はフェレンチェの街を見学します。まずは郊外バスに乗り込んで「ミケランジェロ広場」に行きました。高台の広場の真ん中にダヴィテ像が建っています。ここから街を一望すると、左からヴェッキオ橋、ヴェッキオ宮、ドゥオーモ、サンタクローチエ教会などが見えます。
またバスで市内に戻り、アルノ川沿いを歩いて、貴金属店が立ち並ぶヴェッキオ橋に行きました。日曜日で閉店が多いのに観光客で溢れかえっています。買うお金もないので、スンナリと素通りして休息を兼ねて、遅い昼ごはんを橋の傍のレストランでした後、200年ほどの歳月をかけた造られた「ドゥオーモ」を見ました。
外観は白とピンクと緑の大理石の幾何学模様で飾られ、威風堂々の聖堂です。外にでて、少し歩いていたら雨が激しくなってきたのでアイスクリーム屋へ入りました。1個660円と少々高いアイスクリームを食べているうちに雨脚も弱くなり、また歩き出し「シニョリーア広場」から「ピッティ広場」へ。この広場で濡れた傘を乾かしながら、地元民に真似て石畳に寝そべって休息し、またバスに乗り、郊外の「ローマ門」を見て、半日の市内観光を終えました。とにかく建造物から始まり庭園・絵画・彫像と、ルネッサンス芸術の宝庫といわれるフェレンチェの街です。半日では宝庫の万分の一も触れてはいませんが、「次回のお楽しみ」にすることに・・・。

8時過ぎ、ホテルに預けていた荷物を受け取り、駅に向かいました。10時前の夜行列車でオーストリアへ向かうためです。ここでも発車数分前になってホーム番号が表示され、あわててホームに駆け込んだら列車が入ってきました。毎度のことですが、大きな荷物を持って長いホームを走る乗客の身にもなって・・・。列車は何のアナウンスも警笛もなく動き始めました。上段のベットに上がりこみ就寝。明日はオーストリアで~す。