人々の要求が多くなり、迷いが深くなり、
煩悶がおおくなったのです。
仁義が起こるのは甚だ賀すべきことでは
ありますけれども、一面から言えば、裏面に
仁義を打ち壊すものがあるのです。
社会の犯罪が年々増しています。
人々の煩悶が多くなっています。
それはどういう訳であるかということを
詮索することは大変必要です。
それは坐禅を行わないからです。
坐禅を行えば「生ける、活ける」のです。
坐禅を行わなければ 「架空、空論」 だから実践が
出来ないのです。
何故ならば、坐禅なるものはその証拠だからです。
坐禅の特色は 「証拠(実證)」 にあるのだからです。