たとえば料理屋さんに行くと、お品書きが出て来ます。
それだけ見ても御馳走は食べられません。
口に入れなければならないわけですけども、「経典」 というのは、
お品書きに等しいものです。
それを自分で食してみるのが 「禅の修行」 ということです。
「処方箋」 でも同じです。
「処方箋」 を読んだだけでは、頭痛が治るわけでもありませんけれども
一応、「成る程、こういうものがあるんだ」 ということを知っておく必要があります。
しかし、初めから病気のない人には薬は要りません。
私たち衆生は本来迷っておりませんから、本当は薬というものは
不必要なわけです。
ですけれども、「迷っている」 と思われる人は、このような 「処方箋」 を
読んで実際にはその薬を飲んでみる必要があるということから
「修行が始まる」 ということなのです。