TOKKO


話題の映画「TOKKO 特攻」を渋谷に見に行った。
渋谷って何であんなに暑いのかな?
やっぱり「谷」だから?

やっと見つけたすごく小さな映画館で、スクリーンの大きさは自宅にあるホームシアターと大して変わらない感じ。
シートは5列30席ほどあるのだが、それとは別に前の方に椅子とテーブル(!)がいくつかサロン風に並べられている。
もしかしてこの場所は元はキャバレーだったのではないか???


映画「TOKKO 特攻」は、日米の兵士たちの証言を記録したドキュメンタリー作品である。
監督のリサ・モリモトは、アメリカ在住の日系人であり、日本の特攻隊は「狂信的な集団」だと教えられて育った。
しかしやさしかった自分の叔父が元特攻隊員であったことを知り、衝撃を受けると同時に、アメリカでの「特攻隊」に対するイメージに疑問を持つ。
それがこの映画が製作されるきっかけとなった。

製作者が中間的立場にいる人物であり、アメリカ的な教育を受けているため、特攻隊員たちに自分の疑問を遠慮なくぶつける。
それに対し元特攻隊員たちも、恐らく他の人たちから聞かれた時よりも素直に、自分の気持ちを述べる。
その結果、この作品は非常に貴重な記録となり、アメリカ人の「特攻」に対する認識を覆すものとなった。

自分の家族や親戚に激しい戦闘の体験者がいたら、なかなかその経験について聞くことは出来ないものである。
実際僕にも特攻隊上がりの叔父がいたが、聞けばそれなりに話してはくれたが、当人も話したくないことがあるのがその表情から見て取れるので、こちらもそれ以上聞くことは出来なかった。
あちらも身内には話したくないことがあったはずだ。

特に敗戦色が濃厚になった頃、敵との直接の戦闘を体験した者は、その体験を話したがらないことが多い。
何しろ殺し合いの真っ只中の出来事なのだ。
敵を殺さなくては自分や仲間、家族が殺されるという、明らかに異常事態であるし、同時に日本が破滅に向かって進んでいることも、多くの者にとっては明白であった。
人間関係も壮絶な状況に陥る。
言いたくないことや、言うに言えないこと、言葉で表現できないことがいっぱいあるだろうし、言ってもわかってもらえないという思いもあったことだろう。

もちろんこの映画の中の証言者も、すべてを語ることはしていないと思う。
だが彼らが語ってくれた特別攻撃隊として出撃した時の心情は、日本人の特攻に対する意識をも覆す部分がある。
長い年月が、事実を少し明るみにすることを許したのだろう。

敗戦というあまりに大きな出来事が、歴史に対する日本人の認識をねじ曲げたし、そういう意味で我々も当事者なのだとつくづく思う。
自分の親や祖父母が、アメリカと戦争したことさえ知らないような若者は、世界の人々から対等に見てもらうためにも、こういう作品を見ておくべきだろう。
その辺にいる一見さえないおじいさんだって、戦争から生還した人にほかならず、それゆえ今自分が存在していることに気付くはずだ。
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