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「のぼらないでね」という注意喚起?!

2024年05月10日 | 考える ひとしずく

 今年のGWは概ね好天に恵まれ、どこもかしこも人で溢れましたね
日本人、外国人、入り乱れて行列を作っている様子を眺め、「ああ、本当に世界的に過酷だった時代が終わったんだなあ…」と実感したものです。
 コロナが終わったとたん、今度は戦争(と呼んではいけないのかもしれませんが)が人々を次なる災厄として苦しめる 行動として大きな声を上げなくとも、早い終結をたくさんの人が毎日強く強く祈る… そんなことくらいは出来ますよね そういう祈りが、少しでも見えない力となることを願ってやみません。

 先日、娘と孫と一緒に公園に行きました。そこで、こんな言葉を目にしました。「のぼらないでね」
 それは、1mほどの高さの、プールのような四角いスペースを「お砂場」にしているところでした。なかなかイメージしてもらい難いかもしれません(それとも、すでにそういうものは現代では一般的となっているのかもしれませんが)。そのような「高いお砂場」を作ることで、子どもは「立ったままでお砂遊びをし、車椅子利用の保護者が、難なくその姿を見られるように」という工夫らしいです。
 そう、そのお砂場の側面に「のぼらないでね」と書いてあったわけ、です。
子ども達は少し大きくなると、総じて高い所に登りたがります。そしてもし、その高いお砂場に登ってそこで遊んでしまうと、結果的には「飛び降りないと、そこから出られない」わけで… なので、危険だから登らないで!」ということ、なのでしょう。
 私は、そういう設備そのものについて論じたいわけではありません。

 私には「のぼらないでね」という言葉に、少々違和感を感じました
私が子育てをしている時代には、たぶん「のぼってはいけません」という書き方だったのでは?と思ったのです。ニュアンスは同じかもしれませんが、後者、「のぼってはいけません」は「禁止」です。この「~~いけません!」の場合は、「禁止」を強く打ち出しています。
 でも「のぼらないでね」は、えらくソフト、ですよねえ…
「とらないでね ― とってはいけません」「あけないでね ― あけてはいけません」「はいらないでね ― はいってはいけません」いかがでしょう?
 余談ではありますが インドネシア語、マレー語では「jangan(ジャンガン、と読みます)」という単語があります。その「jangan」の後ろに動詞をつけるだけで「禁止」を伝える言葉になります。
 例えば、「Jangan masuk  入ってはいけません」「Jangan buka  開けてはいけません」「Jangan minum  飲んではいけません」のように。
 でも、この「のぼらないでね」は、「Jangan~」ではないんだよなあ…と、急にインドネシア語を思い出した私は、その「のぼらないでね」を眺めて、ぼんやりと考えました。

 そう言えば。
これは禁止に関することではありませんが…  娘は孫に、よく「食べようよ」「歩こうよ」「着ようよ」という言葉かけをしているなあ、と思いました。
 子育て中の私であれば、きっと「食べなさい」「歩きなさい」「着なさい」と言っていたであろうシチュエーションで。
 娘の言葉かけは、なかなか野菜を食べようろしない孫に対して、「お母さんはね、あなたに野菜を食べて欲しいんだよー。」という思いを持って発していますよね。けれど「食べなさい」と命令するのではなく、食べようよ、と「提案をしている」訳です。
 本当は歩いて欲しいんだけど、命令をするのではなく、歩こうよ、と「提案をしている」。
 本当は着て欲しいんだけど、命令をするのではなく、着ようよ、と「提案をしている」。
 いつもはあまり気になっていたわけではなかったのですが、突然、「のぼらないでね」を見たとたん、そんな娘の普段の言葉かけについても、思い出したのでした

 私が、そういう時代の変化?に対して、「悪い」と苦言を呈しているのではありません。ただ、子どもに対して「禁止」や「命令」という言葉かけが、すべて昭和の遺物のように扱われ、ハラスメントの原因となることもしばしば そのことには多少なりとも苦々しく感じていることは確かですが、良い悪いか、と二択で決めてしまうわけにはいきません。
 私は、あらためて本当に「世の中は変わってきているんだなあ…」と、しみじみ感じました。そして同時に、止めるべき時に止めるべきことを禁止されず… すべき時にすべきことを命令されず… そんな具合で長年「提案」だけの中で育ってきた子ども達が成長し、学校生活や、社会生活の中で、「〇日までに仕上げなさい」「△△はダメだからね」と言われたら、ものすごく違和感を感じ、とても「虐(しいたげ)られている」と感じてしまうんだろうなあ… 居づらい環境だ…と感じてしまうんではないか?と、とっても心配になりました

 世の中には、世界中、すべきこと、してはいけないこと、はたくさんあります。たくさんあって当然だと私は思います。
 もちろん、これは極端で適切ではないとは思いますが、「戦い、しないでね」ではダメですよね?
 しっかりと叱られるべき時に叱られた経験のない子は、かえって長じた時に「かわいそうな経験」ばかりしてしまうのではないか?と心配にもなります…
 
 数年前、教室でのこと。
私が、毅然とした態度で、ある子の行動、言動をきつく叱ったことがありました。私は心の中で「ああ、この子は泣くだろうなあ、泣かせてしまうな。ママがお迎えに来られた時には、やっぱりママは心配なさるだろうな…」と、正直、うれしくない思いででした 
 ところが、その子は泣くこともなく、私が叱った後に発した第一声は「まどか先生の顔、コワい。先生はいつも笑っていて、優しいから好きなのに、今、嫌いになった」でした。
 私は呆気にとられたと同時に、拍子抜けした、というのでしょうか… ああ、この子は、叱られたこともなく、いつも優しい口調の中で暮らしているんだろうなあ、この子は。そんな環境の中で育つと、こういう反応になるのかあ… と驚きもしました 
 
 みなさん、すでにご承知の通り、口の悪い私です。
「そうなのね、あなたに嫌われるのは残念だけど、でも、ダメなことはダメ。いつもいいよ、いいよ、と優しくばっかり言われてあなたが大きくなっていくと、せっかくあなたは賢い子で生まれてきたのに、バカになってしまうのよ。先生はあなたのことが大好きだし、大事だから、ちゃんとあなたを叱りたいの。嫌われちゃったとしても、いけないことをした時には、あなたを叱りたい。あなたに賢い大人になって欲しいから」と言いました。
 その子の反応ですか?「ふーん、わかった。でも、今日は先生のこと、嫌い…」でした

 「のぼらないで」から、本当にたくさんのことを考えさせられ、いろいろなことを思い出し、そして、これからの孫の成長も考える時間になりました

 


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