気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

森羅 田中律子 ながらみ書房

2021-08-30 01:57:12 | つれづれ
こきこきと桃の缶詰あけてをり週でもつとも病むのは火曜

体調のよい日は爪もよく伸びる秋なかぞらに蜘蛛の巣ひかる

ゆめの母がそつとわたしに渡したる赤きバイエル黄(きい)のバイエル

「なるほど」を二度言はれたら商談は成立しない ニューヨーク9時

口かたく閉ぢたる貝が熱き湯に怺へつづけてゐる二、三分

湿りたる遅延証明ねむりたい花も花びら乗せた電車も

眠りたりないわが指さきが朝はやくメロン銀行に送金をする

去勢され寿命を延ばすさくら猫ふりむきざまにかるく会釈す

出かけませう、自粛しませう、水槽の中をただよふ渋谷ヒカリエ

夢の中ではだれもマスクをしてゐない落葉を焚いて五人家族は

(田中律子 森羅 ながらみ書房)

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塔の田中律子の第三歌集。どんな方かお会いしたことはないが「稟議書」「インサイダーで諭旨退職」などの言葉に、相当活躍されているキャリアウーマンを想像する。「婚姻届」「介護病棟」の歌もあり人生の出来事と作品がリンクしているタイプかと思う。しかし「バイエル」「メロン銀行」「渋谷ヒカリエ」「さくら猫」・・・こちらの言葉の選択にわたしは惹かれるのだがどうだろう。また旧かなへの愛情も感じた。

宍道湖 堀田茂子 六花書林

2021-08-23 11:46:12 | つれづれ
竜胆の瑠璃一輪を志野の皿に水はりてさす初秋の朝け

逝きてより覆ひしままの碁道具に手ふるれば鳴る那智の黒石

鼻少し欠けたる古雛母に似て円居せし日の語らひ偲ぶ

うすもののわれの胃の腑を見るならん踊り食ひせし白魚の眼(まみ)

朝まだき厨の蜆つぶやきてふるさと宍道湖の砂をはきをり

呟きがみそひと文字になりたれば胸にあかりのほのと点りつ

雪暗(く)れにビーフシチューの灰汁をとり一人の夕の時間を煮込む

宍道湖の大き落日そびらにししじみとる舟眼(まなこ)に浮かぶ

卒寿すぎまだ生きんかなこの秋のニットの案内に心ゆれつつ

補聴器と眼鏡に加へマスクまで耳は密なりコロナ禍の日々

(堀田茂子 宍道湖 六花書林)

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堀田茂子さんの第一歌集。略歴を見ると昭和4年生まれとあるから92歳。
「日本歌人」の苑翠子氏、「笛」の藤井常世氏に師事したのち、いまは奥村晃作氏の教室の生徒さんである。歌は端正で破綻がない。ご本人が真っ当な人生を誠実に歩んで来られたのが想像できる。わたしには真似のできないご苦労を重ねて来られたのだろう。一冊の歌集の重みを感じる。

翡翠の連  蒔田さくら子 

2021-08-18 00:08:11 | つれづれ
ひとつづつ花押しひらく力溜め莟むさくらに流るる時間

さし交はすさくらの枝に透きて見ゆ高層マンション生活(たつき)の明かり

ビルマの翡翠の連(れん)くびすぢに冷たしとおもふはいつも秋のこの頃

崩(く)えかけし築地に咲ける花すみれ春うたかたの感傷のいろ

惜しみなく花ごろも脱ぎ褻(け)の日々に移らむとするさくら静けし

ひとすぢの身の簡明もて滑(すべ)らかに池泳ぎゆくはつなつの蛇

同行者あるはずなきにあるやうな鎌倉街道ここ化粧坂(けはひざか)

湧きたれば落つるほかなに瀧のみづ怒れるごとく轟きわたる

古備前のこのよき壺は花を容るるためにはあらず在るために在る

日表にほうと微笑(みせう)の石地蔵 辻をまがりてかかる遇ひあり

ほんたうはこんなに年をとつたのか 見えざる己を見るクラス会

(蒔田さくら子 翡翠の連 角川書店)

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短歌人会の大先輩、蒔田さくら子氏の歌集を読む。
五十五年間、編集委員をなさっていたのを、昨年末で退任された。長い間結社のために働いてこられて、これからいよいよ自分自身のために歌を詠みたいという意気込みに満ちた歌集。短歌的表現とはこういうものだと教えられる気がする。引用したい歌ばかりであるが、春にふさわしい歌などを引用してみた。同じところにとどまらず、常に先に進もうとしておられる姿はさわやかだ。
最後のクラス会の歌、発見のうたとして面白い。


翡翠の連  蒔田さくら子 つづき

2021-08-18 00:04:56 | つれづれ
雛芥子はらりと散りてあへなし断念もかくあらばひと苦しまざらむ

すこしづつ世を退(すさ)ることおもひゐる ほらもう桜もあんなに散つて

落つるほかなき成り行きもて瀧みづの砕くるあたりありなしの虹

永かりし責(せめ)をおろして来む年のためえらびゐる子(ね)の縁起もの

ひとつとて去年と同じき花なきにまた逢ふさくらのうら懐かしさ

越えてよかりし越えでよかりし境目のいくつか長き一生(ひとよ)にありぬ

よごれても枝をはなれぬ白梅の意地もまたよし散るまでは花

(蒔田さくら子 翡翠の連 角川書店)

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『翡翠の連』から、いまの季節にふさわしい歌、好きな歌を引いてみた。
歌の底にはどれも人生を見つめる目がある。
四首目は、短歌人の編集委員を辞められたときの歌だろう。責に「せめ」とルビをふってあることに、重さを感じた。時間もエネルギーも、さまざまなものを短歌人会のために費やして来られた先輩の思いを裏切ることのないよう、小さな力であっても出来ることをしなければいけないと思う。
週末に出かけているうちに、高野川沿いの桜もかなり散って葉桜になってしまった。
葉桜も好きなのだけど。

莟から葉桜になる朝(あした)まで一本の樹を見つくしてゐる
(近藤かすみ)

天地眼 蒔田さくら子

2021-08-18 00:02:29 | つれづれ
二十半ばに戦死せしのち下されし「おんしのたばこ」といふものありき

おほき虹のふところにちさき虹たつを共に見てゐしひとを忘れず

「草原情歌」歌声酒場にうたひけり素朴な短歌少女(をとめ)なりし日

ゆふぐれの日比谷公園若き日にあひし人みなゐなくなりし世

亡きものとおもひゐる死者球場のこの群衆に紛れをらぬか

還るべきところのやうに月仰ぐ光に濡るる縁に坐りて

長きもの帯、紐ほどきて近松の女の吐息きくごとくゐる

雨あがり身めぐりうつすらあかく染みよきゆふぐれの来たらむ予感

わが額の央(なかば)にうすき痣あるを憂へし母亡く色も失せたり

(蒔田さくら子 天地眼 短歌研究社)

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蒔田さくら子氏の第十一歌集。
あとがきに「…二十四歳で「短歌人」の編集委員となり、退任までの五十五年間を、結社運営の業務という歌業には程遠い仕事と並行してきて、作歌に専念出来なかった負い目…」と書かれていて、少なからぬショックを受けた。結社運営にかかわることが大変なことは、結社に入って、何年かしていろいろ事情がわかってくるとずしんを感じるが、はじめのころはほとんどわからなかった。あとがきにこう書かずにはおられない気持ちがあったのだろう。本当にありがたく、わたしたちも出来ることをしなければならないと痛感する。

四首目、五首目のように長生きをしたために、多くの人との別れを経験せざるを得ない状況に哀しみを感じる。七首目の艶っぽさに感心する。九首目。私自身も同じような痣を持っていて、また母がそれを気にしていたという同じ状況だったので、偶然のことながら、驚いてしまった。

天地眼  蒔田さくら子  つづき 

2021-08-17 23:59:34 | つれづれ
産む力われは知らねば畏れきく真夜冷蔵庫が氷生む音

さ緑のとき過ぎ夏の深緑佳きかなかなと鳴くやひぐらし

笑つてゐる場合でなきゆゑ笑ひをりこれがいつもの我の超え方

ケータイを嫌ひしわれがメール打つ変節、豹変老いては愉悦

光には影の添ふこと影に身を置く安らぎもありと知りたり

不動明王右目は天を左目は地を睨(ね)めたまひ天地眼とぞ

ああつひに木枯しきたかと落とすもの落としつくしし樹あれば畏る

とろとろと弱火にあやされ黒大豆ゆめうつつにてふくらみをらむ

はかなきまで小さけれども木に騒(そめ)く夕雀みな年越すいのち

(蒔田さくら子 天地眼 短歌研究社)

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この前の日曜日、短歌人会の新年歌会に参加して蒔田さんにお会いできた。このブログのこともご存じとのこと。うれしかった。

三首目に表現された芯の強さは見習いたいところ。以前、居酒屋で隣りに坐ったとき、膝に飲み物がこぼれてしまったが、ものともせず乾杯のあいさつをされた。
四首目。ケータイ電話にも慣れて使いこなすという頼もしさ。
六首目は、京都の青蓮院を訪ねたとき、青不動像の軸を見ての歌。あとがきには「歌い継ぐということだけは為遂げてきたと、初めて穏やかな充足感に浸れたのでした」と描いておられる。わたしも時間を見つけて、青蓮院を訪ねてみたくなった。
結社に所属して歌を作るということは、先輩の思いを受け継いでいくということだと、改めて思う。


森見ゆる窓  蒔田さくら子 

2021-08-17 23:55:35 | つれづれ
指触れし銀の器(うつは)はたちまちに曇りを帯びて我を拒めり

稀にたつ虹見しといふ偶然が夜にいりてなほわれをうるほす

夕日長く芝の面(おもて)にまつはりて明るきが辛しいまのこころに

並び建つアパート病院それぞれに灯(ひ)ともせどあかりの色が異なる

身は若くかたみに思ふひと持ちて花あるドレス縫ひたりし夏

はつなつの風爽やかにふりこぼす樹樹の下誰も従(つ)いては来るな

命綱ひとりの男に握らせてためらはず海に入(い)りゆくか海女は

束なせる切り口密に寄り合ひて担がれて行く花の荷に遇ふ

耳の凹凸きはやかに浮かぶ夜の車内 耳あることが不意に恥かし

長寿保ち枯れしやうなる老媼がなまなまとなほ若きを憎む

(蒔田さくら子 森見ゆる窓 現代短歌社文庫)

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現代短歌社文庫から出た一冊、やっと十首選をしてみた。

琥珀夕映え 竹内みどり 柊書房

2021-08-11 01:02:47 | つれづれ
エアコンの裏にもがける虫あればレスキューもする電器屋だもの

空(から)の巣をうちに抱へて生きる日よ遠くなりたり子とありし日々

金色の竜をいただく霊柩車給油してをり仕事の前に

眉のうへ透き通るやうな額あり帽子とりたる警備員の夏

いにしへの時をとどめる室(むろ)となり蔵の真闇はかすか息づく

核一万六千発がある世にて懐中時計のりゆうづを巻きぬ

引き出しにうすむらさきの姑の箸残れり夫とふたりの夕餉

インターハイ出場選手を校歌にて送りき未来の夫と知らずに

むぎわらの先でふくらむシャボン玉いそがなくてもおとなになれる

あしたにもあしたがあると思わせる久慈の琥珀のなかの夕映え

(竹内みどり 琥珀夕映え 柊書房)

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コスモスの竹内みどりさんの第一歌集。鳥取で電器店を夫婦で営む。歌にはリアリティとユーモアがあり、昭和の肝っ玉かあさんの風情だ。家電製品について困りごとがあれは、電話ですぐ呼べる電器屋さんがむかしはあったなあ。ホームレス氏や警備員さんといった働く人、高齢者に寄り添う目も暖かい。人情に溢れているが、そこに溺れない。実は冷静にモノの真実を見ている。モノに語らせる歌風はわたしの惹かれるところだ。家族詠が多いものの、子についての歌は一首のみ。高野公彦氏の帯文はあるが、栞も跋文も略歴もなく潔い。468首と歌数が多いのに、一気に読んでしまった。

楕円軌道 松尾祥子 角川書店

2021-08-03 22:44:44 | つれづれ
母はもう壊れ物なり薬包紙ほどくがごとく肌着を脱がす

家持たぬなめくぢ家を持つ蝸牛あぢさゐの葉の上に濡れをり

育ちたる子にわれの香のもうあらず手をふり別る渋谷の駅に

君は胡麻われは黄粉を選びしを思ひつつ食む彼岸のおはぎ

消灯後両脚消えて腕消えてあらはれ出づる煩悩あまた

青梅雨のひと日こもれば平凡の凡のなかなる点のしづけさ

海を知らぬ蕪と大地を知らぬ鱈ともに煮えたりミルクスープに

木瓜の花咲きて明るし還暦のわれに卒寿の母がゐること

湯に浸かりぴんつくぴんつく両脚を伸ばす赤子に男のしるしあり

ひつたりと触れあふ育児、介護ありて救はれゐるはわれかも知れず

(松尾祥子 楕円軌道 角川書店)

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コスモスの松尾祥子さんの第五歌集。家族詠がこれほど多い歌集を久しぶりに読んだ気がする。家族と深く関わることの喜びと悲しみ。うそや演出はないのだろう。四首目、消灯後の寝付くまでの実感。五首目の平凡の凡、よくわかって巧い歌だと感心する。人生はいろいろ。みんな違ってみんないい。