気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人2月号 二月の扉

2010-01-30 23:01:32 | 短歌人同人のうた
孔雀石、煙水晶、紅瑪瑙、石売る店にきらきらと嘘
(冬の縫ひ代 山科真白)

黒髪のなかばは白くなりたるを寿ぎ髪に冬帽子置く
(冬日 川田由布子)

「ゆなちゃんがインフルエンザらしいって。」なんだか声が小さくなりぬ
(虎穴に入らずんば 柏谷市子)

こけむしてふたたび石にかえり行くしじまの中の馬頭観音
(カメ虫 松永博之)

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短歌人2月号、二月の扉から。

一首目。山科真白さんは独特な美意識のもとに作歌しておられる。孔雀石、煙水晶、紅瑪瑙。美しい石ではあるが、それよりもっときらびやかで高価な宝石と並ぶとそれほどでもないのだろうか。石本来の美しさと違う物差しによる価値判断がある。「きらきらと嘘」という結句にドキリをさせられる。

二首目。「冬日」という題にふさわしい冬の一連の最後の一首。次第に白髪が増えるのを「寿ぎ」「冬帽子を置く」という作者に共感する。冬の寒さの中にちょっとした温かさを感じる。

三首目。インフルエンザの流行を詠った一連。会話を取り入れた自然体の歌は、ひそひそ話を聞いている気分。ゆなちゃんという固有名詞がいまどきの女の子の名前で、ぴったり来る。私と同世代には「ゆなちゃん」はいません。

四首目。馬頭観音と言えば、小池光『日々の思い出』の「おそろしき速度をもちて蟻ひとつ灼けたる馬頭観音くだる」を思い出す。この馬頭観音はのどかに石にかえりつつある途上。しんとしている。

夏鴉  澤村斉美  つづき 

2010-01-29 00:41:41 | つれづれ
とれたぼたん拾はむと身を折りたれば草の雫に顔の近づく

雑踏にあるとき人の肩の線ふかく沈みゆきそののちに浮く

ハプスブルグ凋落の章の読み易く髪の奥までゆふやみがくる

なぜ鍋が草のなだりに伏せられて六月七日の陽の中にある

親不知は臼歯に似たりこの秋をもの嚙みしむる真面目さで生く

お金がほしいと本気で思ふ日がつづく昨日は椿の黒き葉のそばに

少し笑みしスーツのわれを思ひ出す不採用通知を前に私は

記憶が人を生かすことありその逆を思へばけふをひとまづ生きむ

「かも」といふところを顎をひきしめて「かもオつ」と言へり茂吉の朗読

なんでもない朝の空にさしだして季節のごとくひらく青傘

会はぬと決めて会はざる日々にハナミズキ若き名もなき木にかはりたり

たくさんの窓に映つてゐた君を見送るといふでもなし窓は

(澤村斉美 夏鴉 砂子屋書房)

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澤村斉美の歌を読んでいて、刺激されるところは多いのだが、コメントするのが難しい。角川短歌2月号の特集「女歌の現在」で、荻原裕幸が「歪みとしての自然体」と題して澤村斉美について、文章を寄せている。女歌らしくないところに彼女の個性があるようだ。
身ぶりの大きいところがなく、静かでありながら、しっかり前を向いているところが魅力かと思う。真面目な人なのだろう。

今日の朝日歌壇

2010-01-25 19:53:30 | 朝日歌壇
いいスズキわるいスズキの友がゐてわるいスズキと居酒屋へゆく
(東京都 近藤しげを)

突然死望むところと盛り上がり名乗らず旅の居酒屋に酌む
(舞鶴市 吉富憲治)

「良いお年を」と声かけられたる自販機を相手に男はコーヒーを飲む
(沼津市 森田小夜子)

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一首目。スズキという名字は日本で一番目か二番目に多い名字らしい。友だちに複数スズキさんが居て、性格が違う。いいスズキさんは結構ストレスが溜っているだろう。いいひとを続けるのは、しんどいし、周りもうっとうしいのかも知れない。だから居酒屋へ行くのはわるいスズキと・・・。作者が近藤さんなのも、面白かった。いいコンドウさんなのか、わるいコンドウさんなのか、どちらだろう。私はもちろんいいコンドウです。
二首目。また居酒屋の歌を選んでしまった。旅先の居酒屋でのその場かぎりのおしゃべり。女性はそういう場所になかなか参加しにくくて、居酒屋へ行くのは、よく知った同級生や短歌の友人。ちかごろこれがしんどくなりつつある。旅先の居酒屋で名前も知らない人と本音で語るのは、どこかネットでの会話を思わせる。深入りしないのが肝心。
三首目。「良いお年を」なんて、季節にあった声をかけてくれる自販機があるとは知らなかった。私のかかりつけ某大病院は、料金を機械に支払うシステムになっていて、「おだいじに」と言ってくれる。これがけっこう「ムカツク」。自販機に声をかけられた男はどんな気持ちだったのだろう。

夏鴉  澤村斉美 

2010-01-24 19:58:33 | つれづれ
逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ

おほかたの友ら帰りし構内に木の椅子としてわれを置きたし

雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる

死ののちもしばらく耳は残るとふ 草を踏む音、鉄琴の音

何年かさきの私に借りてゐるお金で土佐派の図版を購(か)ひぬ

ミントガム切符のやうに渡されて手の暗がりに握るぎんいろ

弟の寂しさとわれの寂しさと 雪と霙のやうに違へり

日の当たる場所には鍋が伏せられて私がうづくまつてゐるやうだ

本当に欲しいものだけメモをするノートを秋の日付で終へつ

背後から越えてゆくのは夕光ためらはず行けさびしくはなし

冬の陽の名残と沼に見てゐたりさいごはすつと水に吸はれる

花冷えのやうな青さのスカートでにはたづみ踏むけふの中庭

夏が来る頃にはここを去つてゐる 未来完了で関はる職場

いくつもの場所で生きたりいづれにも寡黙とされる私がゐる

感熱紙の使用期限がおとづれてうすくなるのだ数字も人も

椎の葉と葉とのあひだに生む光もぎとるやうに葉をちぎりたり

手を垂れて生木のやうな体にてわれは市バスに運ばれてゆく

遠いドアひらけば真夏 沈みゆく思ひのためにする黙秘あり

(澤村斉美 夏鴉 砂子屋書房)

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今頃になって、評判の『夏鴉』を読んでいる。ある方のところにS書房から送ってきて、貸していただいている。ちなみに、うちには久々湊盈子『あらばしり』が送ってきた。
言うまでもないが、澤村斉美さんは塔短歌会所属で、角川短歌賞を受賞しておられる。
一度、大阪で何かのイベントがあったとき、帰る方向が一緒だったので、京阪電車か阪急電車で隣りに座ってお話しさせてもらった。静かで知的な方だった。
歌はどの歌も巧く、完成されている。二十代を試行錯誤する中から生まれた歌。お金の歌が何首かあるのを珍しいと思いつつ読んだ。
引用した歌のなかでは「ミントガム」の歌が一番いいと思う。

短歌人1月号 同人のうた その6

2010-01-19 21:16:11 | 短歌人同人のうた
カタカナでクスリと書くとたちまちに非合法なる響きひろがる
(村田馨)

霜月の空をゆく雲どの雲も翔ぶべき羽根をかくし持つとも
(佐藤慶子)

ゆふぐれはすとんと寒し山の端に昔話の月のぼりくる
(庭野摩里)

頂きし柿の実がぶりと齧るとき甘き夕日よ信濃の柿は
(高田流子)

校正の途上なりしが気になりて爪きり終へてまたなしはじむ
(神代勝敏)

折り鶴の嘴(くち)のずれさへそのままに窓辺を照らす仲秋の光(かげ)
(大森益雄)

ひと月分の新聞束ねて棄てにゆく秋陽にしろき洞なすところ
(斎藤典子)

胸あつく野太き鴉をやしなへる大嘴(はし)先端までも漆黒
(蒔田さくら子)

秋空のもとをひたすら飛びつづくかもめは胸の白さ並べて
(平野久美子)

神保町小宮山書店にポール・ニザン全集並び威風堂々
(藤原龍一郎)

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一首目。去年は有名タレントが違法薬物所持で逮捕され、クスリが何かと話題になった。たしかにクスリとカタカナ書きにすると怪しい感じがする。表記の大切さを再認識した。
二首目。雲が羽根をかくし持っているという発想がユニーク。
三首目。作者は山梨県の山深いところに住んでおられると聞いたことがある。一連の中に牡鹿に出逢う歌もある。「昔話の月」は物語の始まりを思わせて素敵な言葉だ。
四首目。いかにも美味しそうな柿。こちらも「甘き夕日」を食べたくなった。信濃の柿と繰り返して強調している。
五首目。校正をしている仲間として、共感する歌。途中でふと気になることがあって、ほかのことをするが、それも気分転換。しかし気分転換ばかりしていては終りません。
六首目。若いころの病気のことを思い出して作られた一連。病院で手すさびに折り鶴を作ったのだろう。きちんとつくる必要もないという投げやりな気分も窺われる。
七首目。地域によって古新聞の回収のやり方が違う。作者は「秋陽にしろき洞なすところ」へ棄てに行くという。「しろき洞なすところ」に魅力があるので、どんなところか興味が湧く。表現の力だ。
八首目。丁寧に鴉のことを描写している。体格の立派な鴉なので、嘴も大きく黒々としている。力強さを感じさせる。
九首目。かもめの胸の白さに作者が注目したのが新しいと思う。「白き胸」とせず「胸の白さ」としたことで、白が際立った。
十首目。固有名詞の入った歌の多い作者の面目躍如を感じさせる歌。漢字の多い中にカタカナの「ポール・ニザン」がくっきり浮き上がって見える。

きのうの朝日歌壇

2010-01-19 00:10:04 | 朝日歌壇
住所録こみあつてゐるアカサタナ、ヤ行ワ行の友をふやさむ
(武蔵野市 野口由梨)

独り居に母を残して帰る時いっしょうけんめい母は笑えり
(横浜市 滝妙子)

白無垢で嫁ぎし娘白無垢で柩に眠る母より先に
(筑紫野市 後藤俊子)

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一首目。確かに住所録を見ると、アカサタナの行に比べて、ヤ行ワ行に書かれている名前は少ない。ラ行は、私の場合、一名。だから、ヤ行ワ行の友を増やそうというのは、おかしな論理の展開だが、不思議に納得してしまう。発想の面白い歌。
二首目。選者の永田さんもおっしゃるとおり、「いっしょうけんめい」が悲しく切ない。お正月を祝ったあと、こういう場面があちこちであっただろう。多くの人の共感を得る歌だと思う。
三首目。短歌は事実の報告ではないが、この歌を読んで、作りごととは思えない。まっすぐに事実を詠んでいるような強さを感じる。強い悲しさ。「白無垢」が二度くりかえされて、悲しみがより一層際立つ。

マイルストーン  馬場昭徳  つづき 

2010-01-16 01:19:52 | つれづれ
青ざめてしんとありたりウィスキー作る会社が咲かせたる薔薇

身の裡の水位腰まで下れりと思ふ胸から腹がさみしい

いつも何かを失くしつづけてある日ふつと失くし尽してしまふのだらう

靴下に穴のあること内緒ですそこから心こぼれ出さうで

落ししはネヂにあらねど夕暮の体はネヂの欠落をいふ

出づる勇気とどまる勇気それぞれの勇気の上を流れゆく雲

帰らむとする我に重ねて言ひたまひき「小さくまとまつた歌は作るな」

茄子の花苦瓜の花咲きそめてしづかに午後の雨を呼びたり

(馬場昭徳 マイルストーン 角川書店)

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難しい歌はないが、それぞれ内容が深い。簡単な言葉で哲学的なこと、人生の真理を詠んでいて納得させられる。「小さくまとまった歌は作るな」とおっしゃったのはきっと竹山広氏だろう。二首目、四首目、五首目のような身体感覚の歌に共感する。

マイルストーン  馬場昭徳  

2010-01-15 01:14:35 | つれづれ
夜の木に光の花を咲かしめて年間自殺者三万の国

この口は長崎一の米売りになると五、六度言ひたりし口

昨日と同じ場所に座りてみたれども昨日と同じ場所などあらず

いくつめのマイルストーンかいくつかは声あげ声を合せ過ぎにき

ふかぶかと実印捺されたる紙のそこより微熱帯ぶごとき朱(あけ)

新聞のページ捲ればこの我であつたかもしれぬ死者、犯罪者

我であるよりは仕方のなき我は少し疲れて靴下を脱ぐ

まだ一度も雨に打たれたことのない傘の内側 春の雨ふる

ゆつくりと暮すといふはゆつくりとまづ喋ること 猫におはやう

肉体は眠つてゐるが眠らない何かがあつてたましひと呼ぶ

(馬場昭徳 マイルストーン 角川書店)

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心の花所属の馬場昭徳氏の第三歌集を読む。
馬場氏は長崎在住の米屋さんで、竹山広氏のもとで学んでおられる。米屋の仕事の現実、家を出ようとする息子さんのこと、お母様の看取りのことなど、日常生活の中のつぶやきが歌になっている。


短歌人1月号 同人のうた その5

2010-01-13 19:33:41 | 短歌人同人のうた
すこし震ふ手に書きたらむ葉書の字この後永久(とは)に届くことなし
(山下柚里子)

値踏みされる如き笑ひの中にゐていつか追従してゐる私
(古屋士朗)

ふたつぶの「救心」のその暗き色てのひらにあり霜月十日
(春畑茜)

銀杏葉に透かされ光は遺影にもとどく静かに列うごきだす
(井上洋)

立ち泳ぎはまぐりひとつ取りくれし石津の浜の父の足裏
(岡田経子)

解脱せんとすれどつまりは自分より他なるはなし 冬日すがしき
(菊池孝彦)

だれかれに遠くありたしといふ願ひわれにありしや飛行機ぐもよ
(金沢早苗)

秋雨やいずこへ去りぬ公園に草枕せし流浪の民は
(武藤ゆかり)

かなしくも切りはなさるる新幹線下りの「はやて」と「こまち」に別れ
(加藤隆枝)

なんとかなるどうにかなると思ひきてどうにかなりて来しはいままで
(水島和夫)

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一首目。お姉さまが亡くなられたのだろうか。永久に葉書も届かないというのはそういうことか。事実をそのまま歌にしたようだが、やはり真情が伝わる歌は強い。
二首目。自らをきびしく客観視する作者。すこし悲しい。
三首目。「救心」という薬は昔からあって私の祖母もよく服用していた。お守りのように小さな手提げ袋に入れていた。思えば含意のあるネーミング。作者の目のつけどころが鋭い。
四首目。葬列の場面。「とどく」「うごきだす」の動詞の重なりが景を立たせる。
五首目。阪堺電車吟行歌会の高得点歌。子どものころの海水浴の思いでが父の足裏に収斂されていく。
六首目。当たり前のことなのだが改めて言葉になって読むと心地よい。結句もさわやか。
七首目。素直に共感できる歌。遠くにある飛行機ぐもを見ている作者の視線が見える。
八首目。ブルーシートを張って生活している人のことだろう。下句は美しいが、内容は厳しい。
九首目。作者は秋田の人。新幹線のネーミングの妙に興味がわく。「かなしくも」は言いすぎか?
十首目。きっとこの作者は「なんとかなる」でこれからも生きてゆくんだろうな。私もそうだけれど。


今日の朝日歌壇

2010-01-11 23:58:51 | 朝日歌壇
数時間前まで胎動だつたものリアルになりて我を蹴りをる
(東京都 黒河内葉子)

うっすらと埃のようにつもるだろうみんなで笑った今日の記憶は
(佐倉市 船岡みさ)

遠き日の手紙の間(あい)の蔦もみぢ薄紙のごとく冬は来にけり
(ドイツ 西田リーバウ望東子)

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一首目。まさに出産の直後の歌と思われる。感じたことをそのまま詠んで歌になる大切な時期。遅くに短歌を始めた私にはこういう種類の歌はない。今後もどんどん作って残してほしい。
二首目。みんなで笑った記憶は楽しいはずなのに、埃にたとえられているのが不思議で新鮮な感じがした。
三首目。古い手紙に挟まれていた蔦もみぢは、時間を経て押されて、薄くなっていた。冬への季節の変わり目の微妙なところが詠われていて美しい。