気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-05-30 23:49:31 | 朝日歌壇
防護服の警察官が持ち上げし赤きランドセル背負ひしは誰
(郡山市 渡辺良子)

うす紅の桃の花咲く頃となりうつくしまふくしまの里哀し
(福島県 半杭螢子)

かまどには昔神様おりましていま原子炉に神はいますか
(東京都 無京水彦)

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一首目。警察官の防護服の色はきっとカーキ色などの目立たない色だろう。赤いランドセルとの色の対比が鮮やかで悲しみを誘う。
二首目。下句に「うつくしまふくしまの里」の句またがりのリズムが面白い。
三首目。原子炉は現代のかまどとも言える。昔からかまどに神様はいらっしゃるものだが、いまの原子炉にはいますか・・・と問いかけている。丁寧な言い方がかすかなユーモアと批判精神を感じさせる。

今日の朝日歌壇

2011-05-23 20:21:02 | 朝日歌壇
白き和紙にくるみて小鳥葬れり間なく遊びし小さき鈴と
(東京都 志摩華子)

教卓のふたつの角に手をついて前のめりなる四月の教師
(綾瀬市 高松紗都子)

牛飼の友漂泊に身を委ねわが家で弾くチゴイネル・ワイゼン
(新発田市 北條祐史)

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一首目。作者が可愛がってきた小鳥の埋葬の様子だろう。白き和紙、小鳥、小さき鈴という言葉に慎ましさ、清潔感、哀愁を感じた。
二首目。結句の「四月の教師」に惹かれた。それに至る描写の丁寧さに支えられて、結句が生き生き立ちあがってくる。
三首目。震災のために疎開してきた友だろう。牛飼、漂泊からチゴイネル・ワイゼンがぴったりの表現。伊藤左千夫の「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」を思い出した。

画像は「季節の花 300」のサイトからお借りしている木香薔薇。花山多佳子さんの歌集名としては知っていたし、家の近くでよく見かける。名前と花がやっと結びついた。

海南別墅  大室ゆらぎ 

2011-05-20 10:21:37 | つれづれ
海の波隔てて渡る南(みんなみ)のゆくへもしらず後を隠して

人のゐない方(はう)へと歩む午後三時犬うら若く鄙(ひな)の野育ち

誰(たれ)知らぬところに暮らすよろこびは丘の邊の道どこまでも行く

行く春は盡きなむとして奥庭に花を葬るをとめらの影

朝日影しづかに落ちて野兎の一羽失せたるのちの冬空

三つ辻の小さき明かり草に落ちいづれの道も池へとつづく

ひとつある三つ辻のあかり遠く見てあらぬ方(はう)へと野を離(さか)りゆく

しまらくは島に籠らむただよはず浮世離れの文讀む冬の夜(よ)

夏草のきざし日にけに踏み分けて草苺の實ほしいままにす

この島は去りがたきかも見も果てず歩きも果てぬ神々の庭

(大室ゆらぎ 海南別墅 書肆推車客)

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子(ね)の会の歌友、大室ゆらぎさんの第一歌集。
跋のよると、人里離れた山奥に暮らしたいという願いがかなって、四国さぬきの島に住んでおられたときに作った歌をまとめた歌集とある。
集題の『海南別墅』は、当時住んでいた家の名前で、いまはもうない。この家を離れて、武蔵野近辺に移って数年をすごし、またいまは四国の別のところに転居されたとのこと。

旧かな旧字で書かれ、作者の独自の美意識に貫かれた作品群である。十代の終わりから短歌に親しんでこられて、文体ができあがっている。
装丁も野の草花をあしらって美しい。

自然のなか、買い物など不便で、スポーツクラブや図書館やショッピングセンターのないであろうところの暮らしは、わたしには到底できそうもない。人間とあまり関わりたくないと思う気持ちに共通するところはあるけれど・・・。自然の中の孤独と、都会の喧騒の中の孤独と、どちらが深いのだろうなどと考えてしまった。いや、彼女のまわりには愛する人や動物たちがいて、ずっと豊かなのかもしれない。

新天地でも、また自然の植物や動物と接して、独自の歌の世界を開拓して行かれることを心から楽しみにしている。

今日の朝日歌壇

2011-05-16 23:54:14 | 朝日歌壇
ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に
(いわき市 吉野紀子)

ありがとう孤立無援の子育てを見ていてくれたインコを埋める
(山口市 平田敬子)

日雇ひのうからはらから無き人の募られてゆく原発建屋
(神栖市 寺崎尚)

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一首目。被災地の水は足りているのだろうか。地震から二カ月以上たって、どこがどうなっているのか、改善されているのか、遠くにいる私たちにはよくわからないが、地震の前のようには行かないだろう。「ペットボトルの残り少なき水」がさみしさを増幅させている。
二首目。これは久しぶりに地震以外の歌。私のときもそうだったが、今はどうしても孤立無援の子育てになる場合が多い。それを見ていてくれたインコ、一緒に時間を過ごしたインコが亡くなって埋葬する場面。インコの存在が作者の慰めになったのだろう。
三首目。原発の後始末の仕事は命がけだから、家族親類縁者のない人を募るという。なんと悲しいことだろう。大事な仕事だからこそ、それにあたる人には手厚い生活の保障があるべきだ。ゆっくり身体も心も休める状態を整えないと、人間は正確な判断はできないのに、実際に働いている人は、苛酷なところにいて、まともに休養が取れないと聞く。綱渡りのような働き方では、あとが続かない。原発の仕事にあたる人が、よい条件で働けるよう、すぐに温かいベッドと食事を用意してあげてほしい。

短歌人5月号 同人のうた その3

2011-05-14 17:28:46 | 短歌人同人のうた
一畳の畳でよろしあおむけになっていつでも亡き父に会う
(村山千栄子)

長々と生きてこれぞと見せる何もなし胸いっぱいに掲げる春の花鉢
(二ノ宮房子)

雪空を呼吸している林檎かな割れば明るき夜がひろがる
(守谷茂泰)

空のあお菜の花きいろ軒のしろ春のドロップ舌に転がす
(梶田ひな子)

冬すみれ花に名残りの雪が降る耐えているのは人のみならず
(山本栄子)

『日本沈没』読む青年のめぐりより地下鉄電車降下し始む
(明石雅子)

オクラホマあるいは大和どの国も武器の名前に故郷がある
(八木博信)

竹の子ご飯炊ける匂ひの夕つ方この家(や)のひとはどこへ行つたの
(高田流子)

ユニフォーム姿に笑むはあの春の藤倉電線野球部の父
(藤原龍一郎)

うつくしきむごき雪降る東北にひとりひとりの名前呼びたり
(渡英子)

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短歌人5月号、同人1欄から。
5月号の〆切は3月12日だから、ギリギリに詠草を送った人の歌には地震の歌が混じっている。早めに送った人の歌は、地震前の歌。
地震前のことが、遠く遠く感じられる。次回6月号は、きっと地震の歌がかなりの数掲載されるだろう。そういう私も地震の歌を送っている。多くの人が、作らずにはいられない気持ちになったはず。離れた場所にいて被害を受けなかったとしても、テレビなどの報道を見ているだけでも心が痛み、無事に暮らしていることを申し訳なく思ってしまう。


短歌人5月号 同人のうた その2

2011-05-11 21:28:58 | 短歌人同人のうた
顔が大理石でできてゐる人にけふは電車に三度まで会ふ
(西村美佐子)

杏子畑の小屋にもたれてうっとりと年老いてゆく春の自転車
(木曽陽子)

紛れもない自分の場所はどこだろう琥珀のなかに虫の羽ばたく
(佐藤慶子)

こころしてこころ鎮めよ猫形のいのちひとつをわれは抱き寄す
(小池光)

万の葉を失ひたりし冬木立もはや風にも動せざるなり
(蒔田さくら子)

充電をすれども直ぐに切れやすき生かもしれぬ影濃きなかを
(宇田川寛之)

さびしさにこころふさぐ春の日にあらわれるもの路傍のすみれ
(川島眸)

小鳥らの食べ残したるかくのみの蜜柑金柑雪が来さうだ
(松村洋子)

遠雷か雪崩かあれはああ冬が帰り仕度をしてゐる音だ
(庭野摩里)

玉子ボーロかめばはらりと歯にこぼれはかなきことのしるしの如し
(永嶺榮子)

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短歌人5月号、同人1欄から。

きのうの朝日歌壇

2011-05-10 01:18:09 | 朝日歌壇
朝はまだ掘られしままの穴なるも棺納めて夕に静もる
(仙台市 村岡美知子)

記者らみな「瓦礫」と書くに「オモイデ」とルビ振りながら読む人もいる
(久喜市 児玉正広)

亡くなった人の名前の載るページ小鳥のかごに敷くのを控える
(神戸市 野中智永子)

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一首目。方丈記にある「朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける」の一節を思い出した。作者は仙台市の人なので、やはり地震と結び付けて読んでしまうが、独立しても深いものを感じさせる歌だ。
二首目。素直に共感する歌。瓦礫といっても、ほんの一瞬前までは身の回りの大事な品々だったはず。瓦礫という言葉の大雑把さに悲しくなる。
三首目。亡くなった人の名前の載る新聞は、おろそかに扱うことはできない。作者は神戸市の人なので、阪神淡路大震災を経験されているだろう。

作者の住んでいる地名も含めて読むと、味わいが違ってくるが、こういう読み方が正しいのかどうか、わからなくなる。より共感が深くなるとも思うが、それに頼らずに読み、詠むのが本筋という気もする。

短歌人5月号 同人のうた

2011-05-06 00:40:24 | 短歌人同人のうた
花群の奥にも古き花見えてまよひゆくべし蔵王堂まで
(大谷雅彦)

きみも子も消えて俄かに息づきぬ冷たくなってしまいし紅茶
(鶴田伊津)

今いのち果てんとしてる鯛の目に空の青さの映りていたり
(岡田経子)

幾千のデッサンののち描かれしたつたひとつの絵のごとき夜
(金沢早苗)

縄跳びのゑがく環のなか髪ながき少女がひとり位置を占めをり
(原田千万)

玄関の扉叩きて呼ぶ声あり春あかつきの夢のほとりに
(古本史子)

いくへにも闇かさぬるは雪の中キャベツ日ごとに甘みましつつ
(佐々木通代)

子育てを終へちちははを見送りてはぐれしごときわれの日常
(杉山春代)

責めらるるひとり定まり順調に会議は進む北京も雪か
(森澤真理)

過ぎゆきはまやかしならむ始めから独り身だつたやうな日日
(檜垣宏子)

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短歌人5月号、同人1欄から。



今日の朝日歌壇

2011-05-02 18:42:36 | 朝日歌壇
ありふれた日々のけしきをよむこともあの地震からためらいながら
(ひたちなか市 沢口なぎさ)

ボタンひとつ押せば画像は逆しまに流れるものを雪ふりやまず
(ドイツ 西田リーバウ望東子)

今日もまだ紙面埋める東北の死者の名を読む年齢も読む
(彦根市 浜野寿美子)

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一首目。地震から50日以上が経ち、もう五月になってしまった。さまざまな困難は、すこしずつ解決することもあり、しないままのこともある。あまりに大きな出来事だったので、解決しないものが大半のように見える。時間も手間もかかる。離れた場所で、普通の生活をすることへの「申し訳なさ」はこれからも続くだろう。歌としては、ひらがなを多用し、日々、地震だけを漢字にして強調している。
二首目。一旦起こったことは、取り返しがつかないが「ビデオテープでもう一度」と巻き戻せそうな気にもなる。そうできたらどんなによいか!結句の「雪ふりやまず」で困難が続くことを象徴的に詠っている。
三首目。悲しいことだが、死者の名前を丁寧に読むこと、心に刻むことが何よりの供養になると思う。結句の「年齢も読む」がダメ押しのように強く響く。結句で歌に芯が通ったような気がした。


月林船団

2011-05-01 14:34:08 | つれづれ
背広着し見慣れぬ吾の中にある琥珀の色の夕雲ひとつ
丸まった靴下入りの上靴がプールサイドにならぶ夏なり
金魚鉢をのぞく少女の眼球がガラス一杯に拡がりてゆく
(楠誓英)

真夜中のロダンの像の前に来て口から闇を吐き出してゐる
新しい千円札をぐしやぐしやに丸めて使うその心地よさ
スカラベは朱き夕日を転がして秋の一日(ひとひ)に終止符を打つ
(森垣岳)

ティッシュペーパーにお菓子を盛つたあの感じ祖母の家とか友達んちで
海苔海苔つて二回続けて言つてごらんやや仕合せな感じになるよ
放つてゐたら時計の針がのびたらしくがちごちぼーんと時が散らばる
(宮崎大治)

春の夜の非常階段素足にて落とした靴をさがしに下りる
たそがれの空と森とのあわいには太陽しまうポケットがある
通帳をひとつ破棄してもどり来るざらつく月のひかりの道を
(田中教子)

黒猫にばかり恋して待ちぼうけ 玄関の壁になつてた 昔
葉の傷を撫でて街路樹ゆらしゆく人よりやさしい蒼き風神
この世とあの世の境は遺影の厚さしかないと気づく雨の夜なり
(天西舞香)

洗剤の泡の中にてセネガル人の指が奏でる音楽を聴く
幸福の文字の薄れた御土産の杓文字を使ひて山と盛る飯
紅色の鴨舌肉の煮詰まればしだいに口の重くなる我
(中田哲三)

暗室に入りて眼(まなこ)の馴染むまで今朝の青空思ひ出してゐる
印画紙に流れるやうに現れたあの日の午後の君の横顔
この切符に一三○円を加へれば海に行けるが、それさへしない
(森星象)

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『月林船団』は、アララギ派大阪学生歌会のメンバーのうちの七人が、百首ずつ出して作った歌集。それぞれの個性が輝いている。各自のエッセイや座談会も収録されている。従来の「アララギ」とは違った味わいがあり、興味深い。