気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ひともじのぐるぐる 田上義洋 六花書林

2022-09-20 19:23:52 | つれづれ
幾千の花を水面に散らし終へ五月の山へ消ゆる大藤

親鶏の名も書かれたる卵三つ謹んで食む春の夕暮れ

南蛮と蔑せし裔(すゑ)のわれら今カステラおいしく頂いてをり

身のうちゆはがれ来しかとゆくりなく眼鏡レンズはぱらりを外る

街の湯に父と入りしは去年なり寡黙なりしよその日も父は

居酒屋を出で来し男女が手を繋ぐふと街の灯の途切るる辺り

換気扇をりをり回り気まぐれに夏の日差しを細切れにする

触れられてふとも鳴りだす風鈴の鳴り止むまへの音のかそけさ

東京のバナナと飯塚のサブレーが新幹線で東北へ行く

ふるさとの葱のぐるぐる肥後弁のふとも懐かし酢味噌に食みき

(田上義洋 ひともじのぐるぐる 六花書林)

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短歌人の田上義洋(たのうえよしひろ)の第一歌集をよむ。短歌をはじめて日が浅いとのことだが、なかなかどうしてかなりのセンスの持ち主とわかる。文語旧かなを使いこなして、違和感がない。モノを見る目が鋭く、独自の切り取りをしながら、のどかなユーモアを醸し出している。音感がよい。「南蛮と蔑せし」は「な」音の連なりが楽しい。音が次の音を呼ぶのだろう。これからの活躍が楽しみだ。

おかえり、いってらっしゃい 前田康子 現代短歌社

2022-09-04 12:02:52 | つれづれ
ひんやりと足踏みミシンに秋が来て踏めば遠くに行けるだろうか

叡電のひと駅ひと駅小さくて木の椅子に待つ学生たちが

寂しいときぼそぼそ食べている箱にビスコの坊やの古びし笑顔

我は娘(こ)を 娘は夫を叱りいて夫は老いたうさぎと話す

基地が見え砂浜が見え基地が見えだんだんそれに慣れゆくまなこ

草の歌私が詠まねば誰が詠む えのころぽんぽん電柱を打つ

真四角にアイロンあてしハンカチを護符ならねども今朝も手渡す

体温を他人に知られ店に入る影売る男の話のように

おかえりといってらっしゃい言えぬ場所に子ら二人とも行ってしまえり

シンプルに母が願いてつけし名もこの頃効力うすれてきたり

(前田康子 おかえり、いってらっしゃい 現代短歌社)

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前田康子の第六歌集。植物好きの前田さんらしい野原の装丁(花山周子)が楽しい。京都市の同じ区に住んでいて、ときどきバスで出会ったりする。自然体のように見える歌がならぶ。本当は「そのまんま」ではないだろうけれど、そのまんまかと思わせる技を感じる。生活感があるのに、ちょっと浮遊している。また家事のできる人なのだとも思った。