気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-07-31 20:41:41 | 朝日歌壇
甲虫かごに四匹せめぎあいかえらぬ夏がまたやってくる
(取手市 緑川智)

十とせ前ちひろの絵から抜け出して私の孫になってくれし子
(横浜市 道蔦静枝)

睡蓮図の水面に映るうすべには他界の夏至のゆうぐれのいろ
(羽村市 竹田元子)

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一首目。下句の「かえらぬ夏がまたやってくる」というフレーズが良い。特に成長の早い子供は、夏休み毎に成長し、違う思い出ができる。四匹の字の視覚も良い。
二首目。孫の歌は甘くなって良くないという意見も聞くが、この歌は、いわさきちひろの絵というフィルターを通しているので甘くない。孫との縁を喜ぶ作者の姿の控えめさに好感を持った。
三首目。睡蓮図というのがポイントだと思う。他界=あの世も、睡蓮図も、生きている我々とは別の世界。すぐに飛び込めないところを見る距離感が読みとれる。下句、他界の夏至のゆうぐれのいろ・・・が美しい。漢字とかなのバランスにも気が配られている。


いまだ見ぬ猫

2006-07-30 20:44:21 | つれづれ
おたくのが遊びにくるとほほゑまれいまだ見ぬ猫われにゐるらし

はつ夏の開襟シャツののどぼとけあまたの父と電車乗るなり

蜜豆のくろみつあふれ聞こえくる祖母のかもめの水兵さんが

(高澤志帆 いまだ見ぬ猫 短歌人8月号)

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短歌人20代・30代作品特集から。
高澤さんの歌は、若々しく好感がもてる。

ところで、近ごろまた、ネット上で言葉のやりとりに疲弊する感じがする。情報として歌人さんの日記やブログを見るが、そこを見てる人の特有の視線を感じる。プライベートなことを書く人は、強い人なのか、弱いから却ってそうするのか、人それぞれだろうが、わけがわからなくなる。私の場合、ほんの短い文を書くのにも、あれこれ考えてものすごく時間がかかる。時間をかけてもこの程度の文しか書けないのが情けない。この暑さに神経がまいっているのかな。

結社誌や歌集で、こんな素敵な歌を見つけましたよ、とだれかに言ってみたいだけなのだけど・・・。
次の週末は、夏季全国集会。みなさまに会えるのを楽しみにしています。

気弱

2006-07-28 21:56:08 | つれづれ
新聞を細く畳みて読むことの習ひとなりぬ狭き車中に

営業車のエンジン止めたり車外には幟はためく音のやまざり

親子連れも会社員我も呆然と夜の弁当屋に順番を待つ

駅に来てエスカレーターに乗るときは何もしなくていいから楽だ

ヘッドライトは背後から来る心弱き俺をこのまま轢いてはくれぬか

(宮野友和 バラッド)

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宮野さんの歌集には、会社員としての作者の弱気な心情が吐露されている。世の中を支えているのは、こういう真面目で真っ当な人だ。短歌を作ることで、負の感情を出して救われていることは、私自身もよく感じるところである。

さて、話かわって、
クロール中級のある金曜日もきょうが今月最後。楽な息継ぎが出来ないので、またまた「見学」してしまった。と言っても、となりの空いているコースで自主トレ。コーチの説明を聞いたあと、ほかの人たちがふうふう言って往復するのを見つつ、こちらはマイペースで片道だけを泳ぐ。クロールの息継ぎをする瞬間、サイドキックで足をしっかり打って前にすすむ、というポイントは聞き逃さなかった。廊下に立たされても授業を聞いている生徒。気弱なのか厚かましいのか。


バラッド 宮野友和歌集

2006-07-25 22:40:08 | つれづれ
抱きしのち君が黒髪打ち靡きぬばたまの闇に僕は見下ろす

朝髪の思ひ乱れてぬばたまの夜昼といはず恋ひし君はも

この猫は本当に猫かうなだれて通るわたしをぢつと見てゐる

行けど行けど短歌は終に抒情詩ゆゑひさかたの雨に濡れてゐるかも

床の辺のペットボトルにゆらゆらと光射しゐつ遅き寝覚めに

(宮野友和 バラッド ブックパーク)

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未来の加藤治郎さんのところの宮野友和さんの第一歌集。
若い男性の真直ぐな歌に圧倒される。なんの衒いもなく愛の歌を出しておられるように見える。この方の個性なのだろう。私は猫の歌にむしろほっとするのだ。
また気弱なサラリーマンの歌も、正直で面白い。これは次回に。 

今日の朝日歌壇

2006-07-24 21:19:06 | 朝日歌壇
ぬばたまの闇がさあっとかぶさりぬ線香花火の雫が落ちて
(調布市 水上芙季)

仲居さんが携帯するらしケイタイがずらり並べり朝の帳場に
(東京都 井上良子)

不機嫌の夫から遁げてゆくところリラの並木を隣り町まで
(横浜市 土屋美弥子)

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一首目。線香花火は小さい火の玉が垂れて落ちて終る。それを闇がさあっとかぶさると表現したのがうまい。
二首目。最初の漢字の「携帯」は、本来の使い方の動詞。つぎのカタカナの「ケイタイ」は、携帯電話のこと。ケイタイはもう人を操る糸として、欠かせないものになったようだ。旅館の仲居さんは、すこしも気を抜くことなく働かなければならない。だから私は持っていない。
三首目。にげてゆくとき通るのがリラの並木というのがおしゃれ。そして、隣り町というのがささやかで可愛らしい。

月曜はいつも朝日新聞の歌壇のところを切り取って、バスの中で読むことにしている。きょうはたまたま隣りに座った年配の女性が「ああ、短歌をやったはるのね。私もやってるのよ。60歳以上はタダだから」と話しかけてきた。「あなたも60歳を過ぎるとタダになるから」としきりにタダを強調なさる。自分では稼ぎがないのに、短歌に相当お金と時間を注ぎ込んでいる私は、申し訳ない気持ちになる。「どうせ短歌のセンセイになれるわけもないし、タダのところで・・・」と延々と彼女の話しは続くのであった。


イカ

2006-07-23 16:57:36 | おいしい歌
イカの一片つるつるとして挟み得ず歌つくるときのはじめに似たり
(小池光 某月某日 短歌研究8月号)

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短歌研究の巻頭の特別作品15首の中から、わりとあっさりした歌。
何か歌のアイデアを思いついたときは、こんな感覚なのだろう。
イカの一杯・・・摑み得ず・・・という歌を作ったとしたら、イカの刺身になるのか、小芋とイカの煮付けになるのか、もっと凄かったかもしれない。小池さんはご自分では料理はせず、そこに出てゐるごはんを食べる人だものね。

そろそろ8月の全国集会(神奈川県葉山町)に行く新幹線の切符を手配しようと思いつつ、こうすれば安いとか情報がいくつもあって、またわからなくなっている。これを見ていると、賢いやり方があるのに出来ない自分がダメな人間のように感じられる。まあ、無事に行くことさえ出来ればそれでいいんです。


濁流

2006-07-21 11:50:04 | つれづれ
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
(斎藤史 魚歌)

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ここ数日のものすごい雨で、各地に被害が出ている。鴨川、高野川も増水して土色の流れが激しい。これから斎藤史の歌を思い出した。
こういうとき岩波現代短歌辞典がとても便利。いろんな意味で手放せない本である。

このブログ、2004年8月からやっているので、もうすぐ丸二年になる。いままで作った自分の歌を載せることからはじまって、評判の歌集から良いと思った歌を引用したり、短歌へのつれづれの思いを書いてきた。現実の歌会や短歌関係の会で、見てますよ・・と声をかけていただくことも何回もあった。いままで知らなかった方から歌集を贈っていただけるようになった。ありがとうございます。
ほかの方の作品の引用→日記的ひとり言→自分の短歌、という三点セットをそろえるのは、なかなかしんどい。日記的に自分の日常をナマに書くのに抵抗があって、こういうスタイルになっている。とこどきどれかが欠けても勘弁してくださいませ。

鴨川のみづ増えてふえて土色の流れにかくるる飛び石の亀
(近藤かすみ)

あぢさゐ

2006-07-20 00:17:58 | つれづれ
「アジサイ」の木札の立ちてあぢさゐのそこに素枯るる遠き日の駅
(小池光 草の庭)

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『草の庭』を再読中だが、なかなか進まない。ひっそりと古風な歌と、おかしみのある歌が交差している。
木札には、カタカナで「アジサイ」の表記があり、つぎは旧かなのあぢさゐであるのが、味わい深い。この歌から、『廃駅』の「廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり」に連想がとぶ。


今日の朝日歌壇

2006-07-17 18:48:22 | 朝日歌壇
げつかすいもくきんどにちあさひるばん一ぜんのはしあらっています
(夕張市 美原凍子)

少年の殺人のニュース流れいてテーブルの蝿位置を変えたる
(山形県 小山田恒吉)

よく通る声が読みたる教科書のヒロシマは昔話のごとし
(京都府 角谷みゆき)

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今日は祇園祭の山鉾巡行の日だが、すごい雨だった。宵山や宵々山には何回か行ったが、人が多いのが苦手で山鉾巡行を見た記憶がない。頼りない京都人ですんません。祇園祭は、七月中いろいろ行事(儀式)があるようだ。あすは四条に行く用があるので、後の祭りを見て来よう。

一首目。いつも一人で食事をして、片づけている作者の暮らしぶりがわかる歌。一週間の曜日と朝昼晩を上句におさめているのがうまい。漢字が一だけで、あとはひらがなというのも面白い。シンプルなようで、工夫が満載だ。
二首目。少年事件が次々起こるので、この歌がどの事件をきっかけに作られたのか、もはやわからない。テーブルの蝿という意外で身近なものを持ってきたことで、景色になり歌が生きている。蝿が位置を変えたことが、気持ちの居座りの悪さを象徴しているようだ。
三首目。ヒロシマのカタカナ使いで、広島に投下された原爆のことだとわかる。昔話にしてはいけないが、時代の経過とともにだんだん昔話になっていくのが、教科書を読むよく通る声から感じられた。


夢のまたゆめ

2006-07-16 00:55:23 | おいしい歌
すきとほる汁のそこひにしろじろと夢のまたゆめ大阪うどん
(小池光 滴滴集)

壺的なうつはより箸にとりあげてほのぼのしろきうどんを啜る
(小池光 草の庭)

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土曜は千里の朝日カルチャーの日。
茂吉の虫の歌というテーマでのお話のあと、参加者の題詠「空き家」の添削があった。

その日のうちに帰られる小池さんと生徒数名で梅田に移動して、夕食。
冷しうどん、腰があって格別おいしかった。
そのとき、夢のまたゆめ大阪うどんの歌は、秀吉の辞世「露とおち露と消えにしわが身かな難波のことも夢のまた夢」から・・・と聞いた。この歌は、滴滴集の「新大阪」という三首の中にあるが、多田零さんの『茉莉花のために』の出版記念会のときにできた歌だと思う。あれから三年あまりかな。