団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

帰らんちゃよか

2020年09月02日 | Weblog

 我が家では、NHKの7時のニュースを観ながら、夕食をとる。コロナ禍が日本を襲って、この6カ月毎日、テレビのニュースに日本地図が示され、どこどこの都道府県で何人の新規感染者が出たと報告される。それを観て、妻は「しかし東北は少ないね。岩手は頑張ってる。あと山陰と四国と鹿児島かな。」 何かの競技や競争ではないのだから、このような全国高校野球甲子園選手権ではあるまいし、と私は思う。やはり日本は、共同社会の呪縛にとらわれているとしか思えない。

 岩手県が長い間、感染者が出ず、日本中の注目を集めていた。ネットのニュースに興味深い投稿が紹介された。岩手県出身のけいし(@pandafun20)さんが、岩手県に住む父親にLINEで「そろそろ帰っていいかな」と打った。父親から「絶対帰るな。岩手1号はニュースだけではすまされない」と返って来た。ずっと岩手県で感染者が出なかったことが、このようなやり取りになったのであろう。しかしこの事例は、日本が村社会であることを如実表している。親子なのだから、会いたい気持ちは強い。でも他人の目が気になる。私は、島津亜矢の「帰らんちゃよか」の歌詞を思い出した。

【帰らんちゃよか:https://www.uta-net.com/movie/19420/ 作詞作曲 関島秀樹

♪そらぁときどきゃ 俺たちも 寂しか夜ば過ごすこつもあるばってん……ぜいたく言うたらきりんなか……心配せんでよか 心配せんでよか……帰らんちゃよか 帰らんちゃよか……♪】

  熊本弁と東北弁との違いはあるが、親も気持ちに変わりはない。私たち団塊世代の多くは、苦しい生活の中、親が犠牲になって私たちに教育を受ける機会を与えてくれた。地元に残った人もいたが、多くは東京などの都会に出た。そして田舎に帰ることなく都会に留まった。時代は変わって、日本はずっと豊かになった。しかし東京への一極集中に変わりはない。その東京がコロナ禍、まるで閉鎖区域のようになってしまっている。私自身、来る日も来る日も、もう終息するだろうと思いながら、家にこもり暮らしている。東京に住む二人の子供の家族と、すでに半年以上行き来できていない。「うつしたくない、うつされたくない」がお互いの気持ちである。ただ感染して重篤な状態にならぬことを祈りあっている。

  7月29日、とうとう岩手県で初の感染者が出てしまった。やはり岩手県内は大騒ぎになった。県知事が過度に感染者への批判をしないよう異例の通達を出した。加えて報道機関も感染者への誹謗中傷を止めるよう訴えた。田舎は、都会と違って、どこに誰が住んでいるか、多くが知っている社会である。私もそういう田舎が好きでない。室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや … ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかえへらばや」に救いを求めてしまう。

 私の亡き父は、「もうここに帰ってこなくてもいい。お前の好きな道を行け」とカナダ留学に出発する前の晩、私に言ってくれた。私もコキゾウ(古稀+3歳)になった。今度は私が子供達に言う番が来た。伝えたいのは「コロナ禍、会いに来てくれなくもいいから、自分の家庭を大切にして」である。「俺たちも 寂しい夜を過ごすこともあるが、心配しなくていいから」

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