団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

方向音痴

2024年05月21日 | Weblog

ハワイから友人家族が訪日している。18日土曜日長女が予約した横浜のレストランで夕食を共にすることになった。長女がアメリカ留学していた時に大変お世話になった夫婦である。旦那さんはシアトルの保険会社に勤めていた。私の長女が交通事故に遭った時、彼のお陰ですべて処理することができた。現在は、ハワイで保険会社を経営している。ハワイで何回か会っていた。私は、あの時の事を今でも感謝している。事故のことばかりでなく長女は、大変いろいろお世話になっていた。私もすでに76歳、これが会える最後かもしれないと思い食事会に参加することにした。

 先日の検診で、右脚の血管の詰まりが悪化していると主治医に言われた。気持ちが沈んでいた。脚が不自由ではあるが、絶対に会うべきだ。会いたいと思って行くと決めた。長女も私の健康を気遣ってくれていて、無理をしないようにと言ってきていた。妻も最初、私の現状では無理しない方が良いと、横浜へ行くことに反対だった。お世話になった夫婦なので、最後のお礼の気持ちを伝えておきたいと妻に言った。妻は私の気持ちを理解してくれた。

 当日妻と電車で横浜へ向かった。あらかじめ長女から店への行き方をメールで受け取っていた。心配だったので、店のホームページで地図を印刷しておいた。午後6時の約束だったが、早めに出かけた。横浜駅で根岸線に乗り換えた。関内駅で降りた。関内駅の近くに横浜球場がある。横浜球場でベイスターズの試合があったらしく、駅界隈は、試合を観戦したファンでいっぱいだった。妻と二人で地図を頼りに、店に向かった。“弁天通り”を探した。ない。どの曲がり角をみても、弁天通りはない。妻は、いつも自分は方向音痴だと言っている。確かにそうだ。あてにならない。

 結局、諦めて妻が言う交番へ行くことにした。交番を見つけた。これで大丈夫と一安心した。妻が中に入った。だれもいない。机の上に「御用の方は、○○○○番に電話ください」とあると言う。電話すると言ったので、私は「やめた方が良い。だって結局電話は、本署へつながるよ。本署は緊急以外かけない方が良い。道案内などしてくれない」と言った。結局、妻は、地図をみて歩き始めた。私は、感でこれは違うと思った。ずいぶん歩いた後で、違うと分かった。それは地図の横浜球場の位置から判断できた。また反対方向へ歩いた。歩道で配達中のクロネコヤマトの女性社員を見た。私は、この人ならこの近辺に詳しいはずと思った。妻にあの人に聞いてみたらと言った。当たり!彼女は、口頭で即に説明はできなかったが、手に持った端末で住所を入力して調べてくれた。救いの神。「この道を真っすぐ行って、7つ目の交差点を左に曲がって、交差点を2つ越したら、右側にその店はあるはずです」私たちは、すでにヨロヨロヘロヘロだったが、見つけた。ありました。

 私たちが一番乗りだった。ハワイの夫婦と3人の子供たち、私の長女家族3人総計10人の食事会が始まった。今回の日本旅行は、ハワイの友人の長女の大学卒業祝いと長男の婚約祝いだという。友人夫妻に私の思いのたけを伝えることができた。しかし会話は、なかなか困難だった。私は、日本語においても言葉が出ない。ましてや英語は、なおひどい状態。何より問題なのは、耳が悪いので相手が言っていることを聞きとれない。日本語や英語という以前の問題である。体も目も耳も脳も、思うように働いてくれないが、お世話になった人々への感謝は、健全だ。そして今、その最後の感謝を伝える機会を与えられたことが嬉しい。

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