団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

築地 また廃業

2018年07月27日 | Weblog

   1通の手紙が届いた。「・・・さて このたび 諸般の事情により 平成30年6月28日(木)をもちまして当社業務を終了させていただくことになりました・・・」

 この手紙は、ナカトウ食品という魚の粕漬、味噌漬けなどを製造販売する会社からである。築地場外に販売店があった。畳一枚あるかないかの小さな店だった。

 2004年に13年にわたる海外生活を終えて帰国した。帰国して決めたことがあった。①美味い米を食べる。②うまい魚を食べる。③旬の食材を楽しむ。②を実行するために築地へ時々通うことになった。JR新橋駅のバス乗り場から「築地市場行き」のバスに乗る。終点から築地東通りへ歩き、築地横丁に入る。築地横丁の築地中通りと交わる手前に店はあった。そこにはいつも女性とその息子さんと思われる男性がいた。

 狭心症でバイパス手術を受けている私の血管は、詰まり易い。酒粕は血液をサラサラにすると聞いた。酒粕と言えば長野県では、塩丸イカを輪切りにしてキュウリと酒粕でもんだオカズが夏の定番だった。私は酒粕という名がまず嫌いだった。粕はカス、つまり残りかすのようで嫌だった。体のためならと、まずワサビの粕漬を朝納豆に混ぜて食べるようになった。もう10年以上食べ続けている。せっかく日本に住んでいるのだから、魚はできるだけ刺身で食べようと思った。しかし朝から刺身を食べたいとは思わない。朝は鮭の切り身の焼いたものが一番。鮭の粕漬、味噌漬けもデパ地下などで買って食べてみたが、イマイチ塩加減や魚の質で納得できなかった。ある日築地のナカトウで鮭の粕漬を買ってみた。美味かった。塩加減が私にぴったりだった。5,6年前から月1回鮭、目鯛、ギンダラ、ムツの粕漬と味噌漬けを代引きで定期的に送ってもらうようになった。我が家の朝の食卓にナカトウの魚の粕漬味噌漬はなくてはならないものとなった。2017年8月4日朝、築地場外のラーメン屋から火事が出た。ナカトウは寸でのところで類焼を免れた。火事見舞いを送った。その1年後まさか廃業の知らせを受け取ることなど想像だにしなかった。

 魚の粕漬でも味噌漬でもどこのものも同じだと思っていた。長い時間食べなれただけだと思った。ナカトウが廃業してからスーパーやデパ地下で粕漬や味噌漬の魚を買って食べた。違う。とても満足できない。やめよう。粕漬や味噌漬の魚を食べるのをやめることにした。

 築地市場の移転が延期されてすでに2年が経とうとしている。築地移転が決定して大好きだった築地市場の食堂「豊ちゃん」がまず廃業した。閉店する少し前に「豊ちゃん」へ“カキフライとカツの頭”を食べに行った。カキフライと豚のカツを卵でカツ丼の頭(ごはんの上にのっている部分)が皿に乗って出てくる。カツ丼の上にのるカツの卵とじだけが別盛で皿で供される。ライスは別盛である。これだけのことだが、こうして食べると美味さが増した。家では妻が貝アレルギーなのでカキは食べられない。簡単に食べられない物は、食いしん坊の私にはゴッソウである。

 「豊ちゃん」が消え、今度はナカトウが消えた。私の行きつけや贔屓の店が消えてゆく。諸行無常と言えばそれまでだ。訳が分からない凡人の私はただ取り残される。それでも時間は私をいまだに引きずり回す。私はクラクラしながらついてゆく。時間が許しても、私は豊洲の築地には行かない。

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