現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学におけるスポーツ物の書き方

2017-02-09 11:56:37 | 考察
 児童文学のスポーツ物において、その専門知識をどのくらい盛り込むかは難しい問題です。
 まったく基本知識なしに書くのもひどいですが、かといって調べた知識をすべて盛り込もうとすると、頭でっかちになって肝心のストーリーの方が後回しになってしまう危険性があります。
 エンターメントなのか純文学的作品なのかによっても、書き方は違ってきます。
 後者の例としては、皿海達哉は「リレー選手木村利一」(その記事を参照してください)において、徹底的な心理描写でリレー選手の姿を小説的に描いています。
 逆に、エンターテインメントで書くならば、主人公を初めとした登場人物のキャラクターをたたせなければなりません。
 また、スポーツの種目によって、選手の運動能力や練習方法、試合にのぞむ気もちなどが大きく異なります。
 例えば、スポーツの基本であるランニングにしても、短距離走と長距離走では、トレーニング法においても、選手のメンタリティにおいても、大きな違いがあります。
 たしかに小学生のころは短距離でも、長距離でもOKの万能選手がいるのは事実ですが、中学生になるとそれぞれの専門性に着目して書かなければなりません。
 また、主人公をスター選手にするか、逆に極端な例では補欠選手にするかによって、作品の雰囲気は相当変わってくるでしょう。
 エンターテインメントの場合、スター選手を主人公にした方が、ドラマチックな物語が書きやすいかもしれません。
 補欠を主人公にした場合には、競技を続けていく葛藤など、より内面的なドラマを書きやすいので、純文学的な作品にむいているでしょう。
 最近は、少年スポーツに対する社会の目が厳しくなっているので、過剰な練習、怪我や故障への対応、指導者によるハラスメントなどの問題にも、十分に注意を払う必要があります。

児童文学のなかにスポーツ文化を読む (スポーツ学選書)
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叢文社





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