現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

これからの<エンターテインメントの書き方(目指せ、ミリオン・セラー!)

2021-09-30 09:13:42 | 評論

 

以下に、これからのエンターテインメントの書き方を箇条書きしますが、そのすべてを守れということではないです。
言ってみれば、これは顧客(子ども)のニーズに合わせた書き方なのです。
一方で、書き手の方にはシーズ(本来は種という意味ですが、この場合は作者の資質)の限界があるわけですから、自分にそのシーズがなければそれには対応できません。残りの部分で勝負すべきです。
それでは、始めます。

・芸術家ではなく、職人として作品(商品)を書いてください。その作業は、自己表現ではなく、顧客(子ども)のニーズを満足させるための仕事です。

・文章を書き出す前に、作品(商品)の設計図を書きましょう。その設計図に、読者のニーズを十分に盛り込むとともに、起承転結のはっきりした構成を組み立てましょう。設計図の書き方はどんな形でもいいですが、一つの例としては前述した分析図を参照してください。

・描写はなるべく省いて、児童文学の書き方の王道である、アクション(行動)とダイアローグ(会話)で書きましょう。

・どうしてもアクションとダイアローグだけでは書ききれない場合も、できるだけ描写(主観)ではなく、必要最小限の説明文(客観)で書きましょう(文学的ではないですね。でも、今の読者は説明文を読むのに慣れていますので、状況が良く理解できるのです)。

・作品の世界観は、オリジナルでなくてもいいです(いや、むしろオリジナルじゃない方がいいのです。文学的ではないですね。でも、すでに確立された世界観の方が読者は読みやすいのです)。

・自然主義リアリズムではなく、マンガ的リアリズムあるいは児童文学的リアリズムで書きましょう(文学的ではないですね。でも、読者の内部にはそれらのデータベースがすでに構築されているので、そうした書き方の方がイメージしやすいのです)。
(お話内リアリズムと言った方が、分かりやすいかもしれません。ある世界観で書かれたお話の中でのルールに従って書くということです。これは、メルフェンやファンタジーに限ったことではなく、いわゆるリアリズム作品の中でも成立します)。

・個性的なキャラクターを、最低でも一つ(おしりたんていや紅子です)は用意しましょう(言うまでもありませんね。でも、キャラクターの重要性は、時代を追うごとにどんどん増しているのです)。

・どんなにご都合主義でもかまわないので、ダイナミックにストーリーを展開させましょう。

・女性読者を意識しましょう。多くの読者は女性です。そして、それは子どもだけとは限りません。

・初めから、シリーズ物として企画しましょう。かつてのあさのあつこ「バッテリー」のように、単独の本でミリオン・セラーを出すことは、現在のマーケット・サイズ(少子化、男の子は本を読まない(多くは、マンガやゲームなどの他の手段で、物語消費をしています))では不可能です。シリーズ化で、ミリオン・セラーをねらいましょう(「おしりたんてい」シリーズは900万部以上、「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズは350万部以上です)。

・シリーズ化のためには、一冊目ですべてを出し切るのではなく、次作以降のアイデアも作っておきましょう。読者が、第一作を読み終わった時に、この作品世界をもっと読みたいと思ったら第一段階の成功です。その時に、タイミングを逃さずに二作目、さらに三作目と出していけたら、シリーズ物として成功できます。それを、四か月ごとに五年も繰り返せれば、ミリオン・セラーも夢ではありません。

・また、一作目を読んでなくても、二作目が楽しめるように書くこと(書き方としては少しくどくなりますが、キャラクターや設定の情報が、一つの巻にすべて開示されていること)が大事です。そうすれば、二作目を読んでから一作目が売れるチャンスもあるのです。三作目以降も同様です(図書館などで読む場合、一作目から順に読めるのはまれです)。

・成長物語ではなく、遍歴物語で書きましょう。絶対に、物語の中で、主人公を成長させないでください(これは身体的だけでなく、精神的にもです)。お話が終わってしまいます。一作で終わらないまでも、長くシリーズを続けることは不可能です。
(成長物語と遍歴物語

石井直人のまとめによると、
「成長物語では、主人公は一つの人格という立体的な奥行きを持った個人である。主人公が経験したことは、その内面に蓄積していって、自己形成(ビルドウング)が行われる。いわばアイデンティティ論の成立する場である。こうした主人公の成長をモデルとした作品が、一般に近代小説といわれている。
遍歴物語は、対比的に、主人公はむしろある抽象的な観念(イデエ)であって、それが肉化したものとしての人物であるにすぎない。いわば、主人公そのものはどうだっていいというところがあり、重要なのは作品を通じて繰り返し試される観念の方である。」
 遍歴物語である近代童話を否定して成長物語を描こうとしたのが「現代児童文学」であって、それがある行き詰まり(読者である子どもたちからの遊離など)を見せた時に、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズを初めとしたエンターテインメントに登場する平面的な人物を主人公とした遍歴物語が復権したのでしょう。)

・子どもが好きな物を出しましょう。「おしりたんてい」シリーズではもちろんおしりですし、「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズに出てくる駄菓子も大好きです。

・絵(特に表紙)は非常に重要です。ライトノベルの世界ではジャケ買いもあるぐらいです。「おしりたんてい」シリーズのようなプロジェクト・チームや「かいけつゾロリ」シリーズのように自分で描ければベストですが、そうでない場合も、作品の視覚的イメージを明確にして、それに合った絵描さんを探してください(「ズッコケ三人組」シリーズの成功においても、前川かずおのマンガ的な絵の貢献は大きいです)。ターゲットの絵描さんが決まったら、編集者と粘り強く交渉しましょう(希望が通るほど作品世界に魅力があることは、言うまでもありません)。

・それと関連して、メディア・ミックスへの対応性も考慮すべきでしょう。本単体だけで売れる時代は終わっているので、ミリオン・セラーにするためにはアニメ、アプリ、ゲーム、コミックなどに展開する必要があります(「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズは、アニメ化されてから爆発的に売れたのですが、その表紙や挿絵はもともとアニメ絵でした)。

・そのためには、長編ではなく、連作短編で描く必要があります。一編を、5000字から8000字(原稿用紙で20枚から30枚)ぐらいにまとめて、子どもが15分から20分ぐらいで読めるようにするといいでしょう(現在の平均的な子どもたちの読解力や集中力では、それぐらいの時間が限界です。また、アニメに展開した場合に、10分程度で一話が終わる必要があります。本の世界でも、現在は、10分で読めるXXといったシリーズがすごく売れている時代なのです)。

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「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」の第一話「型ぬき人魚グミ」(43字x242行)の分析図

2021-09-28 18:00:49 | 評論

 

1.不思議な駄菓子屋(起、60行)
1-1.主人公の女の子は泳げないので、水泳の授業が憂鬱(14行)
1-2.学校帰りに、見たことのない駄菓子屋に出会う(19行)
1-3.ふしぎ駄菓子屋の様子(15行)
1-4.店主の紅子が登場(12行) 

2.「型ぬき人魚グミ」(承、52行)
2-1.泳げるようになりたいという望みをかなえるという「型抜き人魚グミ」(12行) 
2-2.持っていた昭和四十二年の十円で、「型抜き人魚グミ」を手に入れる(13行)
2-3.家に帰って、説明書通りに人魚グミを作る(15行)
2-4.人魚グミを食べると、すごくおいしかった(12行)

3.人魚に変身する(転、67行)
3-1.望み以上に泳げるようになる(16行)
3-2.うろこが生えてきたので、驚いて学校から逃げ出す(23行)
3-3.人魚グミのせい?(14行)
3-4.注意事項を守らなかったので人魚化している(14行)

4.「型ぬき人間グミ」で人間に戻る(結、63行)
4-1.元の人間に戻る(?)ための「型ぬき人間グミ」(11行)
4-2.「型ぬき人間グミ」を作る(13行)
4-3.おかあさんが帰ってきたので、完成を待ちきれずに食べてしまう(20行)
4-4.時間が足りなかったせいか、人間には戻ったが、水泳は得意になった(19行)

以上のように、起承転結のそれぞれが、さらに細かい単位で起承転結になっていて、読者の興味をつなぐような構造になっています。最小単位のそれぞれは、ほとんどが原稿用紙二枚以内で短くまとまっています。

 

 

 

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名探偵シャーロック・ホームズの冒険「青い紅玉」

2021-09-26 17:19:52 | テレビドラマ

 ホテルの伯爵夫人の部屋から盗まれた宝石の行方を、些細な手がかりからホームズが探り当てます。

 推理小説としての出来はイマイチですが、19世紀のロンドンの雰囲気を再現した映像は、いつみても素晴らしいです。

 

 

 

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現在のエンターテインメント

2021-09-24 16:45:19 | 評論

現在、読まれているエンターテインメントをピックアップするために、八王子市と相模原市の図書館における子どもの本の貸し出し実績と予約実績を調査しました。
その結果、絵本を除くと、以下の三つのシリーズが圧倒的に読まれていることがわかりました。しかも、それらはそろってミリオン・セラーなので、売れている本と考えてもよいでしょう。実際、大きな書店では、児童書のコーナーには、大きなスペースを取ってこれらの本が置かれています。

原ゆたか「かいけつゾロリ」シリーズ 3500万部以上

トロル「おしりたんてい」シリーズ 900万部以上(もともとは、スマホのアプリで、その後、絵本、児童書、アニメ、アニメコミックなどにメディア・ミックスされました)

廣嶋玲子「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」(挿絵はjyajya) 350万部以上

ただし、「かいけつゾロリ」と「おしりたんてい」は、文章中心のよみものというよりは絵物語といった雰囲気で、作品の中に迷路やパズルなどの遊びも取り入れたりしているので、拓のメンバーにとってはあまり参考にならないと思われます。

そこで、今回は、廣嶋玲子「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズを掘り下げていきたいと思います。こういった作品ならば、努力すれば(一番エネルギーがいるのは、作品から文学性をそぎ落とすことでしょう)、ほとんどのメンバーが同等の物を書けます。

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ポスト「現代児童文学」

2021-09-23 18:12:03 | 評論

 「現代児童文学」が終焉したと認識されたころ(2010年前後)には、その後の児童文学の方向性は、「子どもだけでなく大人にも共有される広義のエンターテインメントの1ジャンル」と目されていました。
 それは、「女性向け」という但し書きを付ければ、正しかったでしょう。
 なぜなら、「児童文学」の「L文学」(女性作者による女性を主人公にした女性読者のための文学)化が、1980年代ごろから同時に進行していたからです。
( これは、大人の文学でも同様の傾向にあるのですが、児童文学の場合は、さらに女性編集者、女性教師、女性司書、女性書店員、女性研究者なども加わったより強固なL文学化が進みました。)
 しかし、それから10年以上がたって、事態はより深刻化しています。
 児童文学の読者の、低年齢化が進んでいるのです。
 その背景には、スマホの普及とその低年齢化があげられます。
 いったんスマホを手に入れれば、ユーチューブ、インスタグラム、LINE、ゲーム、音楽などの魅力的なディジタル・コンテンツがいつでも自由に使えるようになるのです。
( また、そうした商品の消費の形態も、単体の購入からサブスクリプションに変化しています。)
 その動きに素早く対応したのが、マンガ業界です。今では売り上げの半分以上は、ディジタル・コンテンツから得ています。
 残念ながら、児童文学業界は、そうした流れから取り残されて、読者の低年齢化によってますます小さくなったマーケットの中で苦戦しています。
こうした状況において、低年齢層は、たんにスマホを持っていないだけでなく、(前述した)媒介者たちからの影響が強いので、児童文学の最後の砦と言えるでしょう。
しかし、ここでは絵本や絵物語という強力なライバルがいるために、文章中心の児童文学(よみもの)の出版は限定的にならざるを得ません。

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テルマエ・ロマエⅡ

2021-09-22 15:28:36 | 映画

 2014年の日本映画です。

 前作の大ヒットを受けて、スケールアップ(ブルガリアに巨大なセットを作り、現地の人を大量に出演させたので、ローマらしさは格段に上がりました)した続編です。

 しかし、肝心のお風呂に関する部分がネタ切れ気味で、無理に笑いをとろうとしています。

 また、それ以外のストーリーが長いので、かなりだれます。

 それでも、主演の阿部寛と、相手役の上戸彩は、相変わらず魅力的です。

 

 

 

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めぐり逢わせのお弁当

2021-09-20 15:47:05 | 映画

 2013年公開のインド映画です。

 偶然、違う人にお弁当が配達(インドのムンバイでは、家庭から職場へお弁当を配達人に届けさせるシステムがあるようです)されたことによる、初老の男と若い主婦の淡い恋愛(主に弁当箱に入れた手紙のやりとりによるものです)を描いています。

 男はかなり前に妻を亡くして孤独ですし、近々仕事も早期退職する予定です。

 主婦は、仕事人間の夫(どうやら浮気をしているようです)に相手にされずに孤独です。

 孤独な同士が引かれ会うのですが、初めて会う時に男が勇気がでずに見送ってしまいます。

 彼女が若くて綺麗なのに比較して、自分が老いていることを自覚してしまったからです。

 男に会えないことに絶望した主婦は、今の生活を捨てて娘とブータン(物価が安く幸福度が高いことはインドでも有名なようです)へ移住することを決意します。

 男は、ようやく勇気を振り絞って、弁当配達システムのルートを遡って彼女を探します。

 映画は、はっきりした結末を見せないままで、そこで終わります。

 現代の日本人の感覚ではなんとももどかしいラストなのですが、現在のインドで男女関係を描くのはこれが限界なのかも知れません。

 

 

 

 

 男は

 

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ニューヨーク東8番街の奇跡

2021-09-19 14:54:43 | 映画

 1987年に公開されたアメリカのファンタジー映画です。
 再開発のための地上げ屋に苦しめられている古いアパート(一階は食堂)の住人たちと、どこかから現れたUFO型の金属の生命体(電気エネルギーで動きます)との心温まる交流を描いています。
 ストーリー自体は典型的なハッピエンディングの他愛のないものなのですが、住人たちだけでなく地上げ屋までもが憎めないキャラですし、UFO型生命体がすごく愛らしいので。ファミリーで楽しめる作品に仕上がっています。
 特撮技術は非常に初歩的なものですが、そこがかえって手作り感満載で魅力的です。

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ロスト・ワールド

2021-09-17 16:15:17 | 映画

 1997年公開のアメリカ映画です。

 大ヒットした「ジュラシック・パーク」(その記事を参照してください)の続編で、監督も同じスピルバーグなのですが、信じられないような駄作です。

 マイケル・クライトンの同名の小説とは、まったく別個に作られたせいか、ストーリーは支離滅裂でむやみに長く、登場人物もまるで魅力がなく、馬鹿じゃないかと思える行動の連発なので、誰にも加担して見ることができません。

 スピルバーグでも、時々、この作品や「1941」のような失敗作を作ることがあるので、油断はできません。

 

 

 

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ジュラシック・パーク

2021-09-17 16:02:58 | 映画

 1993年公開のアメリカ映画です。

 当時の世界での興行収益の記録を作ったスピルバーグ監督の大ヒット作です。

 従来の特撮映画で使われていたアニマトロニクスと、実用化が始まっったばかりのCG技術をうまく融合して、太古の恐竜たちを現代のスクリーンに出現させました。

 マイケル・クライトンの原作は、最先端の科学技術やビジネスと、フィクションを合成したかなり複雑な小説(文庫本で二冊分)なのですが、そのエッセンスを活かしつつ、一級のエンターテインメントに仕上げています。

 ティラノザウルスやヴェロキラプトル(この映画で有名になりました)の登場シーンの迫力も素晴らしいのですが、「ジョーズ」でも発揮されたまだ恐竜が見えないシーンの描き方(コップや水たまりが震える、鼻息で窓が曇る、影が映るなど)が秀逸で、観客に恐怖感と期待感(怖いもの見たさ)を盛り上げます。

 

 

 

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ばんひろこ「もっかい」あける32号所収

2021-09-16 17:51:44 | 作品論

 小学校一年生ぐらいの男の子と、その弟を描いています。

「もっかい」というのは、「もう一回」がうまく言えない弟の口癖です。

 何か気に入ったことがあると、「もっかい」と言って、せがむのです。

 そんな弟をうっとうしくも思いながら、絵本(「三匹のやぎのがらがらどん」です)を読んでやったり、おかしな顔をしたりして、主人公は可愛がっています。

 幼い兄弟の愛情が、自然な形で描かれています。

 途中に挿入されているファンタジックなクモとの交流も、効果的に使われています。

 

 

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池井戸潤「下町ロケット ゴースト」

2021-09-16 04:19:45 | 参考文献

 直木賞も取った著者の人気シリーズ(関連する記事を参照してください)の一作です。

 これも完全な勧善懲悪ストーリー(かなり単純な法廷闘争によるものです)なので、著者のファンは安心して読めます。

 ただし、露骨な連作化の伏線(主人公の会社の経理部長が会社を辞めて農家を継ぐことになる、主人公が救済した会社の社長がかつて職を追われた大会社に復讐するなど)が最後まで回収されないので、著者のファン(出来不出来に関係なく本を買う人)以外の読者には、かなり興ざめです。

 

 

 

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続・夕陽のガンマン 地獄の決闘

2021-09-15 16:09:36 | 映画

 1966年公開のマカロニ・ウェスタンです。

 南北戦争中のアメリカを舞台に、横領された20万ドルの金貨の行方をめぐって、善玉、悪玉、無頼漢の三人のガンマンが、時にはくっついたり、また離れたりしながら冒険します。

 金貨探しやガンファイトだけでなく、南北戦争の悲惨さも描いていて、壮大なスケールの映画です。

 監督はマカロニ・ウェスタンの第一人者のセルジオ・レオーネで、おなじみのエンニオ・モリコーネの音楽も有名です。

 善玉役のクリント・イーストウッドはもちろんかっこいいのですが、悪玉役のリー・ウ゛ァン・クリーフと無頼漢役のイーライ・ウォラックもさすがの存在感を見せています。

 

 

 

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砂田弘「子どもの論理・変革の意志・理想主義について」1984年4月号所収

2021-09-14 18:43:19 | 参考文献

 「現代児童文学の方法」という特集の中の論文です。
 1950年代に始まった「現代児童文学(ここでは狭義の意味で使っています)」で、約二十年にわたって共通の理念として確立されてきた「子どもの論理・変革の意志・理想主義」が、1980年代に入って曲がり角を迎えたことを指摘しています。
 砂田の定義では、「子どもの論理・変革の意志・理想主義」は以下のようになります。
「”子どもの論理”については「トムソーヤーの冒険」や「ちびくろさんぼ」(留保つきでだが)や『くまの子ウーフ」を例に引くことで、”変革の意志”については「子どもの現実を正さなければならぬ」と主張することで、”理想主義”については「子どもは無限の可能性をひめる存在」と規定することで、ぼくらは証明ずみの公式を解き明かすように、それらを論じることができるし、事実、ぼく自身それをくり返してきた。ぼくらが獲得したその共通理解は、普遍性を持っており、その意味では、児童文学をつくりだす上においての原理・原則であるといってよい」
 砂田は、それぞれの理念の確立の過程を説明した上で、それらが1960年代半ばから次第に色あせたものになりはじめたとしています。
 そして、1980年代を迎えて、以下のように述べています。
「八〇年代のいま、ぼくらにとってこの三つの理念は、劁作方法の上で不可欠なものとなっている。だがぼく自身を含めて多くの書き手の場合、それらは六〇年代半ばまでに獲得されたものの踏襲か、変形ないし応用にとどまっている。
 辛辣な言い方をすれば、受験や崩壊家庭や環境破壊などの現実の問題に挑んだ作品に、“変革の意志”の残り火を見ることができる。もはや未来を確信することが困難な時代となったにもかかわらず、その問題との対決は避けて、子どもへの信頼にもとづく幻想のユートビアを現実に対置させ、階級対立のいわば変形である大人対子ども、管理・支配する者とされる者という図式の中で”変革”を描こうとするパターンがそれである。そして、耆き手が大人のひとりとして、管理・支配される側に組みこまれている事実に気づくことは稀である。
 いっぼう”子どもの論理”は、もっぱら『子どもと文学』が主張した子どもの特質にその根拠を求めるようになり、隔離された”子どもの時間”の中で、創作技術の追求に傾斜していく。ただし、それは『子どもと文学』の貴任ではない。ぼくらが”子どもの論理”そのものの追求を放棄したまま、児意文学の商品化の流れに身を任せたことの結果である。そしてここでも、大半の害き手たちは、”子どもの時間”が圧縮されつつあることに気づいていない。
 ”理想主義”に関しては、ぼく自身がまさにそうなのだが、ぼくらはいまなお、マーク・トーウェインに固執しつづけているといってよい。これからも固執しつづけたいのだが、しかし、ケストナーにシラけ、『トム・ソーヤーの冒険」でさえ、遠きよき日の物語としか感じない子どもの少なくない現実を前にするとき、ぼくらは深いため息をつくほかない。」
 以上のように、「子どもの論理・変革の意志・理想主義」が1980年代にはすでに完全に破たんしていることを砂田は認識しているにもかかわらず、以下のように新しい理念の創出に向わずに、モラトリアム(猶予期間)を続けることに甘んじています。
「こうして見ると、”変革の意志””子どもの論理””理想主義”の理念は、六十年代半ばを境に、長いモラトリアムにはいったような気がする。三つの理念がぼくらにとって不可欠なものであることを前提にするとき、今日の児童文学の混迷や停滞は、このモラトリアムに起因しているとぼくには思われる。
 さいごに、いまいちど先の設問にもどる。では、三つの理念をよみがえらせることは可能であろうか。
 三つの理念は孤立したものではなく、相互に深い関連を持っているとぼくは考える。その中核に”変革の意志”があり、”子どもの論理”と”理想主義”がそれを補完しているととらえたい。なぜなら、”変革の意志”はぼくらが作家である以前の、ひとりの人間としての主体性にもとづく理念だからである。”子どもの論理”と”理想主義”は、それを踏まえた上での理念でなくてはならないだろう。
 とすれば、ぼくらの”変革の意志”がなぜ挫折したかを検討することで、先の設問への答が見出せるということになる。その要因としては、六〇年代におけるいわゆる革新思想の四分五裂があげられるし、科学技術の進歩への信頼がゆらいだことも、ぼくらをたじろがせた。しかし、それらは要因の一つにすぎない。
 その最大の要因は、ぼくらの主体性にかかわるものである。多少の差はあれ、六〇年代半ばから高度成長を享受することになったぼくらに、”変革の意志”は、状況に応じながら持続したのかどうか。ぼくには、持続したと言い切る自信はない。二十年一日の如く、ぼくらは「子どもの現実を正さねばならぬ」とくり返すにとどまり、変革されるべき対象として、自分自身をも視野におさめることを拒みつづけている。うれうべきモラトリアムの時代はなおもつづくのであろうか。」
 このような八十年代の砂田の認識は、おそらく正しかったと思われます。
 しかし、それからさらに三十年以上が経過し、すでに「子どもの論理・変革の意志・理想主義」といった理念さえ、児童文学から失われて久しくなっています。
 その期間、「現代児童文学者」たちは古い理念に固執して、新しい理念を創造することを怠ってきました。
 それは、かつて既存の権威であった「近代童話」を攻撃した「現代児童文学者」たちが、それぞれ新しい権威(有名作家、大学教授、日本児童文学者協会や日本児童文学学会の幹部など)になり、その既得権益にしがみついたからだと思われます。
 また、他の記事に書きましたが、この論文が書かれたころ、現状を憂えてスタートした同人誌がいくつかありましたが、多くの書き手を輩出したものの、評論の弱さもあって、彼らも新しい理念を生み出すことができずに、商業主義の波に飲み込まれました。
 理念なき現代の(ここでは広義の意味で使っています)児童文学の世界に、新しい理念は生まれるのでしょうか?
 現状では、そういった議論は、日本児童文学者協会でも、日本児童文学学会でも、各同人誌でも、全く行われていませんし、これから生みだされることには私は懐疑的です。
 と言って、嘆いていても始まらないので、試みに以下に私論を述べたいと思います。
「子どもの論理・変革の意志・理想主義」にならって、三つ挙げてみると、「弱者の救済・若い世代への支持・現実主義」となります。
 まず、「弱者の救済」は、世代間格差、さらに同世代の中でも格差が広がりが固定化されている現状(朝井リョウの小説で描かれているような教室カースト制度など)では、かつて1980年代の森忠明の作品などで描かれていた「弱者への視線」や「弱者への共感」では不十分で、直接的に弱者が救済されるような文学の創出が望まれます。
 次に、「若い世代への支持」は、18、19世紀に庇護される存在として発見された「子ども(若者も含めて)」が、再び大人たちによって搾取されるようになった現状(政府により人為的につくられた世代間格差、若年層を食い物にするブラック企業、教育機関など)を打破するためには、若い世代の立場を代弁して彼らを強く支持する文学が生まれることが必要です。
 最後に、「現実主義」は、過酷な現実に目を逸らさずそれを糾弾する文学の確立を一歩一歩進めるためには、「理想主義」の名を借りた安易な現実逃避的な作品を廃し、現実に生きる子どもたち(若者も含め)の姿を描いた作品が求められています。
 また、このような文学は既存の児童文学の流通経路では子どもの手に届かないので、ネットを中心とした新しい媒体を開拓していかねばならないでしょう。

日本児童文学 2013年 04月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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砂田弘「変革の文学から自衛の文学へ」日本児童文学1975年11月号所収

2021-09-14 18:35:47 | 参考文献

 「現代児童文学論集4」にも再録されている評論です。
 児童文学の評論には珍しく、社会情勢の変化に伴う児童文学の変化を論じているので、その後のいろいろな評論や論文に引用されています。
 1953年6月に早大童話会が発表したいわゆる「少年文学宣言」(正しくは「少年文学の旗の下に」、その記事を参照してください)は、明確に「変革の文学」を志向していたとし、その影響下で1950年代から1960年代に発表された多くの作品はこの「変革の文学」の範疇に入るとしています。
 それら社会的視野に立つ作品として、、「少年文学宣言」のメンバーであった山中恒の「赤毛のポチ」を筆頭に、「もんぺの子」同人の共同執筆の「山が泣いている」、松谷みよ子の「龍の子太郎」、国分一太郎も「鉄の町の少年」、住井すゑの「夜あけ朝あけ」などをあげています。
 また、佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」、いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」、「ながいながいペンギンの話」、今江祥智の「山のむこうは青い海だった」、柴田道子の「谷間の底から」、神沢利子の「ちびっこカムのぼうけん」なども、「変革の論理」の路線に含まれているとしています。
 作者は、これらの作品の共通理念は「子どもを通しての人間の未来に対する限りない信頼感」だと述べています。
 そして、これらの作品の執筆時期は1950年代で、社会主義リアリズムが志向されていた背景があったことを指摘しています。
 つまり、その時代の「”敵”は、アメリカ帝国主義と復活しつつある日本独占資本主義であり、その”敵”に子どもを含む労働者・農民階級を対置させ、子どもの成長を描くことによって変革の必然性を語る」というのが、創作方法であったとしています。
 そのころに、「最終的にめざしたものがソビエト型社会主義であった」とも述べています。
 それが、1960年代になって変質を遂げた原因には、スターリン批判による社会主義神話の崩壊、六十年安保の挫折、日本の高度成長による中間階層の増大、児童文学がビジネスとして成り立つようになったことによる出版社や作家たちの資本主義化などを挙げています。
 そして、1970年代になると、「変革の意志」をもった作品は完全に姿をひそめ、現状を批判するだけだったり過去を回帰したりするなどの、「これ以上悪くなってはならぬ」という「自衛の思想」の作品が目立つようになっていると批判しています。
 そんな中で依然として「変革の論理」を持つ作品として、古田足日の「ぼくらは機関車太陽号」、後藤竜二の「算数病院事件」をあげて、肯定的に評価しています。
 1950年代から1970年代という二十年以上にわたる期間を短い紙数でまとめているので、駆け足になった感は否めませんが、作品や作家の姿勢の変化を社会情勢の変化を背景に概観していて非常に参考になりました。
 特に、1950年代から1960年代への変化の背景は、作者自身も当事者であるせいかリアリティがあり、うなずけるものが多かったです。
 それに比較すると、1960年代から1970年代への変化の背景については、七十年安保をめぐる学生運動や市民運動などの動きや挫折に触れておらず、それらの児童文学への影響について述べられていないので不満が残りました。
 また、作者は明確に当時の革新勢力側の立場にたって書いているので、研究論文としてみれば(もちろんこれは評論で研究論文ではないのですが)としては、客観性に欠けている部分もあります。
 しかし、この評論は、私が特に深く考察したいと思っている「狭義の現代児童文学(1950年代から1990年代初頭まで)と社会との関係」にアプローチが近く、良い点も悪い点も含めて多くの示唆が得られました。
 

多様化の時代に (現代児童文学論集)
クリエーター情報なし
日本図書センター

 

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