現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

英国王のスピーチ

2012-05-27 06:10:04 | 映画
 Wikipediaによるあらすじを、加筆訂正しました。
 1925年、大英帝国博覧会閉会式で、ヨーク公アルバート王子はエリザベス妃に見守られ、父王ジョージ5世の代理として演説を行いました。
 しかし、吃音症のためにさんざんな結果に終わり、聴衆も明らかに王子の演説に落胆してしまいました。
 アルバート王子は「専門家」による治療を試すものの、結果は思わしくありませんでした。
 1934年、エリザベス妃は言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグを紹介され、アルバート王子は仮名を使って、その療法を受けるため、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問しました。
 第一次世界大戦によって戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していましたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合うことを承知させて、くだけた環境を作り出して療法を始めようと提案します。
 これに対してアルバート王子は反発して、治療法そのものに納得しません。
 ローグは最新の録音機を使い、王子に大音量の音楽が流れるヘッドホンをつけることで自身の声を聞けない状態にしてシェイクスピアの『ハムレット』の台詞を朗読させ、その声をレコードに録音させました。
 王子はひどい録音になったと思い込み、また治療の見込みがなさそうなことに腹を立てて帰ろうとします。
 それならと、ローグは録音したばかりのレコードを王子に持って帰らせます。
 ジョージ5世のクリスマスのためのラジオ中継が行われた後、国王は王太子デイヴィッド王子とアルバート王子の将来について心配していることを告げます。
 国王はデイヴィッド王子について次期国王として不適格だと考えているようであり、弟であるアルバート王子が王族の責務をこなせるようにならねばならないことを強調して、きつく接します。
 帰邸後、落ち込んだアルバート王子は、いら立ちとともにローグから受け取ったレコードを聴きます。
 そこには、吃音の症候はまったくない『ハムレット』の台詞が録音されていました。
 王子はエリザベス妃ともども、自分の声を聞いて驚きます。
 そして、王子はローグの治療を受け続けることにして、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行います。
 1936年1月、ジョージ5世が崩御し、デイヴィッド王子が「エドワード8世」として国王に即位しました。
 しかし、新しい国王はアメリカ人で離婚歴があり、まだ2番目の夫と婚姻関係にあるウォリス・シンプソン夫人と結婚することを望んでいたので、王室に大きな問題が起こるのは明白でした。 このような状況下、アルバート王子は、吃音症の治療により一層真剣になり、またローグは問題の原因となっていると思われる、王子の幼少期の体験による心理的問題、肉体的問題による背景を知り、より適切な解決を図ろうと試みます。
 その年のクリスマス、ヨーク公夫妻はバルモラル城で行われたパーティで、国王とシンプソン夫人の下品な姿を目の当たりにします。
 見かねたアルバート王子が兄王に、離婚歴のある女性との結婚はできないことを指摘すると、王は吃音症治療は王位がほしいからなのかと責めて、兄弟の関係は険悪になります。
 さらに、アルバート王子が即位することを望むローグとの意見対立から、王子は治療を中断してローグの元から去ってしまいます。
 結局、エドワード8世は、即位して1年も満たぬうちに退位し、アルバート王子が国王として即位することを余儀なくされました。
 それまで、海軍軍人としてのみ公職を持っていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなります。
 しかし、ヨーロッパにおいては、ナチス党政権下のドイツやイタリアのファシズム、ソ連の共産主義が台頭して、一触即発の機運となっていました。
 英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすため、立派な国王を必要としていました。
 英国王として即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになりました。
 しかし、新国王の吃音症は依然として深刻な問題でした。
 同年12月12日の王位継承評議会での宣誓は散々なものとなりました。
 ジョージ6世は再びローグを訪ね、指導を仰ぐことになりました。
 1937年5月、ジョージ6世は戴冠式でローグが近くに臨席することを望みましたが、カンタベリー大主教コスモ・ラングをはじめとする政府の要人は、ローグは満足な公の資格を持たない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにと要求し、ローグを国王から遠ざけようとしました。
 しかし、ジョージ6世は、それまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一とし、また彼自身が吃音症を克服しつつあることを自覚して、ローグを手放すことをせず、彼の治療方法を信頼することにするのでした。
 戴冠式での宣誓はスムースに進行し、ジョージ6世はその様子をニュース映画で家族とともに観ます。
 さらに、そのニュース映画の一部として、アドルフ・ヒトラーが巧みな演説によってドイツ国民を魅了している姿に強い印象を受けます。
 チェンバレン首相の宥和政策は失敗し、1939年9月3日、イギリスはドイツのポーランド侵攻を受けてドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まりました。
 そして同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を、緊急にラジオの生放送で行うこととなります。
 ご存じのとおり、これは2011年のアカデミー作品賞を受賞した映画です。
 この作品の評価については、ネット上でもいろいろなところに書かれているのでここでは割愛します。
 この作品を見て、私が考えたことはリアリティと娯楽性のバランスということです。
 この映画では、国王の吃音症や歴史上有名な人物たち(シンプソン夫人、エドワード8世、チャーチルまど)のキャラクターがかなり誇張して描かれています。
 また、ラストのスピーチが成功するかどうか、観客を十分にハラハラさせてからのハッピーエンドなど、いかにもハリウッド好みの娯楽性を強調した演出が随所に見られます。
 その一方で、家族愛や身分を超えた友情などの普遍的なテーマも、うまく盛り込まれています。
 厳密に言えば、これはリアリズムを追求した作品ではなく娯楽作品なのですが、史実と脚色の微妙なバランスで一級のエンターテイメントになっています。
 当時の風俗を再現した精緻なセット(SFXも使われているでしょう)や衣装、重厚な俳優陣の演技も作品にリアリティをもたらしています。
 児童文学の世界でも、このような風俗や人物を緻密に書き込んだ骨太なエンターテイメント作品が、もっともっと書かれることが必要だと思います。
 
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

オストラコン3(4)

2012-05-26 05:38:38 | 創作
 和貴たちが、退職した亀山先生の家をたずねたのは、その週の日曜日だった。二年生になったみんなの様子を先生に見せようと思ったのだ。
 集合場所は、山手線の駒込駅の改札口だった。
 当日は、朝からあいにくの小雨だった。
(みんな、ちゃんと来るかなあ?)
 和貴はちょっと心配だった。
 でも、一年二組で前期と後期の学級委員をしていた人たちを中心に、十二、三人が集まった。今では、みんなは学年の六クラスにバラバラに別れている。
 先生の家は、駅から歩いて十分ほどの静かな住宅地にあった。
 先生は家の前に立って、出迎えてくれた。
「おーい」
 遠くから手を振っている
「先生っ!」
 みんなは大声を出して、亀山先生のまわりにかけよった。
先生の家は二階建てで、隣の家との間には小さな庭がある。そこには、いくつものプランターに色とりどりの花がうえてあった。なかなか良く世話が行き届いている。
 二年前に奥さんに先立たれた先生は、子どももいないので一人暮らしだった。
 先生は、あらかじめ用意しておいてくれたお菓子を山盛りにした菓子皿を出してくれ、みずからお茶も入れてくれた。はじめはみんなも遠慮していたが、しだいにリラックスしてお菓子に手を出すようになった。
「みんな、元気にやっているか?」
 先生は、ニコニコしながら近況をたずねた。
 みんなは、それぞれの新しいクラスの様子を、先生に話した。和貴も、二年四組のクラスメートや担任が浅井先生になったことなどをしゃべった。
 みんなに話を聞いた後で、亀山先生は退職後の生活について話してくれた。
先生は、好きなフランス語やフランス文学を、もう一度勉強しなおしているとのことだった。そういえば、先生は、大学時代はフランス文学を専攻していたという話を聞いたことがあった。
先生は、上野中学では国語を教えていた。
でも、それ以外に、英語の先生の資格も持っているという噂だった。和貴たちの担任だったころは最後の年だったのでもそうでもなかったが、若いころはきっとすごく優秀な先生だったのだろう。
 ひとしきり思い出話をした後で、
「ちょっとR公園に行ってみないか。すぐ近くなんだ」
と、亀山先生がいった。
話もひと段落したところだったので、みんなで公園に行ってみることになった。
家の外に出てみると、具合よく雨はあがっていた。
「さあ、行こうか」
「はい」
みんなは中一の時の遠足のような気分で、先に立って歩いていく亀山先生の後に続いた。
R公園は、先生がいったとおりに、歩いてほんの数分のところにあった。
入場料は大人が三百円。中高生は二百円だった。みんなは自分の財布を開こうとしたが、先生は当然のようにして全員分の料金を払ってくれた。
案内板によると、R公園は旧大名の別邸の跡で、本格的な日本庭園で有名なようだった。
雨が降っていたせいか、園内は人影がまばらだった。みんなは、ますます遠足気分になって大声でしゃべりながら、きれいに手入れされた園内を歩き回った。
 雨上がりの小道をひととおり散策した後、みんなで中央の小山に登った。小山の頂上からながめると、公園はふぞろいに建ち並んだマンションに、すっかり取り囲まれている。まるで、都会のコンクリートの山々に囲まれた緑のオアシスのようになっていた。
「昔はここからのながめがよくって、こっちの方向には富士山なんかも見えたんだけどなあ」
 先生は、弁解するように話していた。
 最後に、みんなは庭園の大きな池の前で、記念撮影をすることになった。後で送られてきた写真を見ると、亀山先生をまん中にしてみんなは思い思いのポーズをして写っていた。

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

大江健三郎「この惑星の棄て子」静かな生活所収

2012-05-25 07:22:00 | 作品論
 作家である父親は、精神的なピンチに陥り外国の大学へ一時避難することになりました。
 今回の夫のピンチが深刻だと判断した母親も、それに同行することになります。
 20才の女子大生マーちゃんは、四才年上で知的障害のある兄のイーヨーの世話をして留守宅を守ることを申し出ます。
 弟のオーちゃんは受験勉強が忙しいので、精神的にしかマーちゃんをバックアップできません。
 両親の不在のためか、イーヨーは体調を崩し、作曲を教えてもらっている先生宅でもてんかんの発作を起こします。
 また、イーヨーは「すてご」という名前の悲しい曲を作ります。
 マーちゃんや周囲の人たちは、両親がいなくなったので、イーヨーは自分が棄てられたと思ったのではないかと考えて心配します。
 父親の兄が亡くなり、マーちゃんとイーヨーは両親の代わりに、父親の故郷の山間の町での葬式に参列します。
 イーヨーと話した祖母から、新しい曲は「すてご」ではなく、本当は「棄て子を救ける」であることを聞き、マーちゃんはようやく気が晴れます。
 この作品を読んで一番感じるのは、「二重性」ということです。
 どこまでが実際に起こったことなのかは知りませんが、主人公のマーちゃんには常に父親の存在が背後に感じられます。
 また、その父親はこの作品の書き手の大江健三郎でもあるのです。
 一般に、主人公に作者の視点が現れることは否定的に評価されることが多いのですが、この作品の場合はマーちゃんと作者という二重の視点が作品に奥行きを与えています。
 また、「すてご」にも、両親に置き去りにされたマーちゃんとイーヨー、そして、この惑星に住むすべての人たちという二重の意味があります。
 このことは、この作品をたんなる家族の問題にとどめずに、人類全体の問題に広げています。
 それから、マーちゃんとイーヨーにとっては、「棄て子」になるのは、両親が不在な現在の状態(期間限定)と、両親が亡くなった後の期間が不定な状態の二重の意味があります。
 「この惑星にいる人たちはみな棄て子なのだ。それゆえお互いに救けあっていかねばならないと」いう作者のメッセージが、明るいエンディングで肯定的に伝わってきます。

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

オストラコン3(3)

2012-05-24 05:56:27 | 創作
 始業式の後、二年四組の教室で始めてのホームルームのとき、浅井先生はみんなにむかってこんなことを話し出した。
「私たちの上野中学も、かつては東京の下町随一の名門校だった。君たちの先輩たちは、難関をみごとに突破して、国立や有名私立へ多数進学していた」
「先生、有名私立って、例えばどんな学校ですか?」
 そんな質問をした生徒がいた。先ほど、投票で学級委員に選ばれたばかりの田口だった。
 浅井先生は、少しも表情を変えずに答えた。
「もちろん、東大合格者数第一位の開成。それから慶応や早稲田の付属だな」
「他の東京六大学の付属校はどうですか?」
 野球部の佐々木が質問した。
「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政のこと)はその下だな。有名私立とまではいえない」
 浅井先生はあっさりと切り捨てると、話を先に進めた。
「しかし、ここ数年の高校受験の結果はちょう落の一途だ。昔は全部で数十人も、さっきいったような有名私立や国立の付属に受かったのに、今年は、開成に一名、慶応と早稲田の付属が一名ずつで、あわせてたったの三名きりだ。国立なんか全滅だった。このままじゃ、君たちも再来年の三月には、みじめな思いをするだけだ。私は、君たちだけは、このクラスだけは、昔にも負けない優秀なクラスにしたいと思っている。私は全力で君たちを守るから、君たちも二年四組のプライドを持って、他のクラスに負けないようにしてもらいたい」
 和貴は、浅井先生の発言に少なからず当惑していた。一年の時の担任の亀山先生と、あまりに対照的だったからだ。
 亀山先生は、昨年いっぱいで定年退職された老先生だった。口が悪く、年寄りらしく少し説教じみていたが、生徒に対しては、よくいえばおっとりと、悪くいえば少しルーズに接していた。そのため、和貴のクラスは、成績はあまりパッとしなかった。
 でも、クラスのふんいきは、すごく明るくてよくまとまっていた。和貴は、そんなクラス、一年二組がとても好きだった。先生のおかげで、一年間のびのびと中学生活を送ることができた。
 和貴は、一年の後期の学級委員をつとめていた。そんなクラスのふんいきのおかげで、学級運営はすこぶる順調だった。しだいに、和貴はこの老先生に親しみを感じるようなっていた。それは、ほかのクラスメートも同じだっただろう。亀山先生のことは、「亀先」、「亀先」と、みんなが親しみをこめてよんでいた。
 最後の授業の時には、クラスのみんなでお金を出し合って先生に花束を贈った。亀山先生は、眼鏡の奥に涙を浮かべながら、和貴から花束を受け取った。
「先生、ありがとうございました。いつまでもお元気で」
 教室のうしろには、そんな言葉を書いた大きな横断幕がはってあった。
 先生が教室から去っていった時、クラスの大半の女の子たちが泣き出していた。和貴も、ジーンとしてきたことを今でも覚えている。
 今年の担任の浅井先生は、亀山先生とは対照的にまだ若い先生だった。
 でも、すごく優秀で教育熱心な先生として有名だった。上野中学で教えるだけでなく、出身大学でも教育学の講師をしていた。そのためもあって、昨年まではクラス担任はしていなかった。
 しかし、亀井先生が退職されたので、今度から担任を受け持つことになったのだ。
 浅井先生は、長身でやせている。シャープなりんかくの顔に、銀のメタルフレームの眼鏡がよくにあっていた。
いつも紺や灰色のスーツをきちんと着て、毎日違うネクタイをピシッとしめている。他の先生たちのように、替え上着やジャージ姿で教室へ来ることはなかった。
 一年の時も、和貴は浅井先生に担当である社会科を習っていた。
 授業中、浅井先生は、いつも話しながら要点をきちょうめんな字で黒板に書いた。そして、生徒たちにそれを写させていた。その内容は、他の先生たちのような教科書や教師用のアンチョコをそのまま引きうつしたような安易な物ではなかった。生徒たちが理解しやすいようにと、実によく工夫して整理されていた。
 しかし、アンダーラインをする個所や、重要語句のマークの仕方まで、いちいち細かく指示されるのには、和貴はいささか閉口させられた。
 浅井先生の授業の成果は、中間テストや期末テストの時に明らかになった。学年で統一問題だったのだが、他の先生が担当しているクラスよりも明らかに平均点が高かった。とうぜん、通信簿で5や4を取る生徒の数も多くなったので、教科の先生としての浅井先生の評価は高かった。

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

オストラコン3(2)

2012-05-23 07:16:57 | 創作
 体育館で行われる始業式で、和貴は、自分のクラスである二年四組の列に並んだ。
「よお」
「またいっしょだな」
 一年のときに同じクラスだった男子生徒に声をかけられて、和貴は笑顔を見せた。
 まわりのほかの生徒たちも同じようにおしゃべりをしていて、式が始まるまで体育館の中はかなり騒がしかった。
「それでは、平成XX年度始業式を開催します」
 司会の先生のあいさつで、始業式が始まった。
 校長先生が壇上に現れた。うしろの壁に掲げられている国旗に一礼すると、中央のマイクに向かった。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます」
 生徒たちが、ふぞろいに返事をして頭を下げた。
「いよいよ今日から新年度が始まります。……」
 校長先生の話が始まった。
と、その時だ。
(あっ)
開け放してあった体育館の高いところにある窓から、ひとひら、またひとひらと、桜の花びらが吹き込んできている。薄いピンクの花びらは、みんなの頭上からくるくるとまわりながら落ちてきた。
コメント (0) |  トラックバック (0) |