現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

谷真介「沖縄少年漂流記」

2016-09-29 07:17:52 | 作品論
 この本では、対馬丸の撃沈自体は全体の五分の一でしかありません。
 物語の主眼は、国レベル、個人レベル両方での沖縄差別を明らかにすることのようです。
 この作品を、題名通りにアメリカの潜水艦に撃沈された対馬丸で遭難した少年たちの漂流記だけだと思って読むと、読者は拍子抜けがするかもしれません。
 救難されてからの本土や沖縄での暮らしも含めて、少年たちが安住の地を求めて漂流しているのだという意識で読まないと作者のねらいとずれてしまうでしょう。
 今まで戦争を語るときに、沖縄の問題が抜け落ちてしまっていたのではないかという問題点を、この作品は捉えていると思われます
 谷は、ノンフィクション作家からエンターテインメントに移行した作家で、職業意識の高い作家だったようです。
 ストーリー運びなどに、エンタメ的なうまさが感じられます。
 その後の谷の関心は、戦争から離れて、沖縄問題を描くようになりました。
 このお話が終わっても、実際の沖縄少年の漂流は終わっていないのではないかという疑問が残ります。
 そういう意味では、現代において戦争児童文学をどう読むかも考える必要があるようです。
 また、東日本大震災や福島第一原発事故などによって、避難生活(一種の漂流と考えられます)を余儀なくされている人々との関連をふまえてどのように読んでいくかも重要だと思われます。 

沖縄少年漂流記 (現代・創作児童文学)
クリエーター情報なし
金の星社
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綿矢りさ「かわいそうだね?」かわいそうだね?所収

2016-09-26 07:31:12 | 参考文献
 2012年の大江健三郎賞を受賞した作品です。
 彼の部屋に行き場をなくした元カノが転がり込んだことから起こる、奇妙な三角関係の話です。
 彼と元カノがアメリカ暮らしが長かったという設定が、日本人には不条理な話を日米間の文化や人間関係の違いから発生しているのかと思わせるようになって、うまくいかされています。
 また、途中で主人公が英会話の教師に日米の文化や人間関係の違いについて相談するところで、主人公が英語が理解できなくて誤解する(女性教師には、日米の文化の違いはあるが、男女問題は日米でも共通でそれより優先されると言われたのに、主人公は理解できなかった)ところもいきています。
 元カノとは男女関係ではなく受け入れたのは人道的な理由だと言い張る(自分も信じたがっている)彼、表面的にはほかに選択肢がないふりをして裏では徐々に彼に復縁を迫っている元カノ、そんな二人の関係をアメリカ的なのだろう理解しようとする主人公、三人全員が実は欺瞞に満ちています。
 とうとう最後に爆発して、素を見せる主人公の大阪弁の啖呵が圧巻です。
 京都生まれの上品なイメージのある綿矢が、一皮むけたようなぶっちゃけ方です。
 作品中の主人公に対して書いているのと同じく、きっと子どものころ吉本新喜劇をテレビで見て、この関西風のキレ方が綿矢の内部にも搭載されていたのでしょう。
 一皮むけたといえば、デパートに務める主人公の職場の様子にも、体験または取材の成果が感じられて、綿矢の作品における今までの観念的な会社の描写から一歩前進です。
 本当のデパートの職場は、非正規従業員だの、メーカーからの派遣だの、もっとドロドロしているとは思いますが、まあ実社会経験の乏しい綿矢としては、かなり頑張ったのではないでしょうか。
 そういえば選者の大江もかつては学生作家でしたから、同じように実社会体験がないのでこの程度で納得していたかもしれません。
 この点でも綿矢のメインの読者である同年代の(特に働く)女性たちには、十分シンパシーを感じてもらえたと思います。
 前半部分はいつもの綿矢らしいエキセントリックな部分が内容的にも文章的にも薄かったのですが、元カノの本性を主人公が知ったところで文体も主人公のキャラもガラリと変貌して綿矢本来のエキセントリックな魅力が爆発していて爽快でした。
 欺瞞に満ちた現実への暴力的な爆発は、今の児童文学の世界でももっともっと書かれてもいいものだと思いました。

かわいそうだね?
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文藝春秋
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マリー・ホール・エッツ「もりのなか」

2016-09-24 10:51:05 | 作品論
 物語絵本の古典です。
 主人公の少年は、ラッパを吹きながら森の中へ入っていきます。
 そこで、ライオン、ゾウ、クマ、カンガルー、コウノトリ、サル、ウサギと、次々に出会います。
 みんなで、いろいろな音を出しながら行列を作って行進したり、いろいろなものを食べたり、いろいろな遊びをします。
 子どもたちの大好きな繰り返しの手法を使って、楽しい「もりのなか」を描いています。
 いろいろなことをする動物たちの中で、何もしないウサギがアクセントになっています。
 おとうさんが迎えに来るラストはやや平凡な感じもしますが、主人公が動物たちとのまたの日の出会いを約束するのが効果的です(読者もこの絵本を読めば、また動物たちに出会えます)。
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神沢利子「青葉茂れる」いないいないばあや所収

2016-09-24 09:17:06 | 作品論
 小さくなって着られなくなった服、だんだんつけるようになっていく毬、そして、植物や虫だってだんだんに成長していきます。
 幼い主人公が初めて気がついた成長すること、それは少しさびしい別れの気分も伴っています。
 誰にでもあるそういった日々を、神沢は詩人の目で鮮やかにすくいあげます。

いないいないばあや (岩波少年少女の本)
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岩波書店
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マンロー・リーフおはなし ロバート・ローソンえ「はなのすきなうし」

2016-09-23 09:28:03 | 作品論
 物語絵本の古典です。
 仔牛のころから、花のにおいをかぐの大好きで、他の仔牛のように角突きあったりしないフルジナンドの話です。
 フェルジナンドは、ひょんなことから大闘牛に出場する牛に選ばれてしまいます。
 でも、生来の花好きが幸いして、闘牛士たちと闘わずに、無事に元の牧場へ戻ることができました。
 ややあっけない展開ですが、読者の子どもたちは、それぞれの個性を大事にすることを感じ取れることでしょう。

はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))
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岩波書店
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津村記久子「十二月の窓辺」ポトスライムの舟所収

2016-09-23 08:44:33 | 参考文献
 上司や周囲の同僚からの激しいモラルハラスメントにあった新卒の女性社員が、精神的なバランスを崩しそうになりながらも、何とか耐えながら辞表を提出するまでを描いています。
 この作品でも、かなりの部分が津村自身の体験を下敷きにしているのでしょうか、非常に生々しく現代の働きづらい会社環境が描かれています。
 バブル崩壊、男女雇用機会均等法、非正規労働の規制緩和などによって、労働者(特に若年層)が職場でバラバラにされて孤立化を深めています。
 こういった状態を作り出したのは、政府に後押しされた経営者側の責任であるとともに、形骸化されて自分たちの既得権を守るだけに汲々としている労働組合側の問題でもあります。
 このままでは、若者たちは、安心して働ける職場を求めて、いつまでもジョブホッピングを続けなければなりません。

ポトスライムの舟 (講談社文庫)
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講談社
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蔡 宣静、安 智史、岡村民夫「パネルディスカッション・質疑応答」

2016-09-22 08:45:25 | 参考情報
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で、それぞれの講演後に行われたパネルディスカッション・質疑応答です。
 各発表者が他の講演に対して発言し、最後に会場からの質問に答えました。
 「映画が発明された時期の文学者への影響はどうなのか。」という発言がありましたが、これに関しては安が発表以外に資料にまとめていて、萩原朔太郎、室生犀星、谷崎潤一郎などについて述べられています。
「映画では、失われたものを引きずる者が、賢治を引用することが多い。」という点では、全員が合意していました。
 岡本によると、90年代の日本のインディペンデント系の作品には喪失した物(者)を描くことが多いとのことです。
 これは、バブル崩壊後の社会の動向の影響が表れているのでしょう。
 賢治の作品では、童話よりも詩の方がモンタージュしやすいので、映画に反映することが多いようです。
 会場からの「賢治は日本の映画は見たか?」の質問に対しては、女優が出ない1918年までの日本映画は馬鹿にしていたようだが、その後の作品は見ていたでしょうとのことでした。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
クリエーター情報なし
朝文社
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大塚勇三再話/赤羽末吉画「モンゴル民話 スーホの白い馬」

2016-09-21 09:35:26 | 作品論
 物語絵本の古典です。
 大塚が語る、馬頭琴というモンゴルの楽器の由来となる、スーホと彼の白い馬の悲しい物語が胸を打ちます。
 横長の紙面を生かした赤羽の絵が、モンゴルの大平原を鮮やかに浮かび上がらせてくれます。
 文と絵の調和、絵本にとって一番大切なものがここにはあります。

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店
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西村賢太「蠕動で渉れ、汚泥の川を」

2016-09-20 10:52:56 | 参考文献
 芥川賞作家の自伝的な作品です。
 擬古的で偽悪的な一人称の文章が、自分の人生をどうしようもできなくてもがいている主人公に奇妙にマッチしています。
 主人公は中卒の17歳の少年ですが、とてもいわゆるヤングアダルトの枠に収まるものではありません。
 定職につかずに日雇い暮らしをしていた少年が、安洋食屋の住込み店員の座をなんとか獲得し、やがてすべてを失うまでを描いています。
 全編、自己嫌悪とそれの裏返しの自己憐憫にあふれていて、性欲、食欲、自己顕示欲などの欲望をむき出しにしています。
 かといって、いわゆるピカレスクロマン(これを読んですぐに連想したのは、アラン・シリトーの「華麗なる門出」でした)のような一種のカッコよさはみじんもなく、徹底的にみじめな青春です。
 時代設定は昭和58年で、いわゆる高校全入の時代なので、出身中学では唯一の中卒であることへの主人公の劣等感とその裏返しの奇妙な優越感が彼の行動の背景にはあります。
 主人公は時代の典型的な人物像ではないかもしれませんが、現在でもたくさんいる高校をドロップアウトした類似の少年たちの思いは代弁しているようです。

蠕動で渉れ、汚泥の川を (集英社文芸単行本)
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集英社
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平澤信一「『風の又三郎』の新しい課題」

2016-09-20 08:21:52 | 参考情報
 四季派学会・宮沢賢治学会イーハトーブセンター合同研究会 ―宮沢賢治から「四季」派へ―で行われた研究発表です。
 研究発表要旨は以下の通りです。
「宮沢賢治が晩年に執筆し、未完成のまま遺された少年小説『風の又三郎』には、よく知られた「三年生」の問題というのがある。草稿冒頭の分教場の記述に、作者は推敲時に「三年生がないだけで」という加筆をしているが、そのあとの部分では、三年生が何人もいることになっているという問題である。この問題については、最初の子供向け刊本である羽田書店版の坪田譲治編『風の又三郎』や、いまも書店に並ぶ岩波文庫版の谷川徹三編『風の又三郎』では、「三年生」を「一二年生」と読みかえたり「四年生」に直すなどのつじつま合わせをしようとして、かえって一部に新たな矛盾を生じていた。未来の『風の又三郎』本文では、これをどのように処置すべきか?
また『風野又三郎』「九月一日」の後期下書稿(賢治自筆)と「九月二日」以降の行間筆写稿(教え子の松田浩一筆写)は、これまで別の時期に書かれたものと推定されていたが、『新校本宮沢賢治全集』刊行後に、共通の綴じ穴が、天沢退二郎氏によって発見された。これは何を意味するのか?
『風の又三郎』をめぐる様々な未解決の問題について、考えてみたい。」
 宮沢賢治の「風の又三郎」の流布本において、「三年生問題」及び「登場人物の誤記問題」がどのように処理されているかを詳細に検討しています。
 宮沢賢治の本は、著作権が切れた関係で各社から様々な形で流布本が出版されていますが、ここでは三種の文庫本を取り上げています。
 結果として、岩波文庫は筑摩書房の校本が出る以前の研究に基づいており、ちくま文庫は校本に準拠していて、角川文庫は新校本を新かな表記にしたものを採用しています。
 発表は書誌学によるもので、使われた原稿用紙の違いや、その使い方(行間に文字を書いた場合もあります)や、さらには綴じ穴の位置まで、詳細に検討しています。
 一般の方にとっては非常にニッチに思える世界ですが、そのマニアックに検討する世界には惹かれるところもありました。
 また、有名な「風の又三郎」と最近注目されている初期形の「風野又三郎」との関係など、興味深い内容でした。
 発表が今回のテーマである「宮沢賢治から四季派へ」とは無関係だったせいか、質疑の時にだれも質問しなかったので、私が聞いてみました。
「「三年生問題」と「登場人物の誤記問題」を、流布本ではどのようにすべきとお考えですか?」
 平澤の回答は、「「登場人物の誤記問題」は結論が出ていると思いますが、「三年生問題」はまだ検討を続ける必要があります」とのことでした。
 宮沢賢治の多くの作品は未発表なので決定稿がなく、これからもこういった研究が続けられていくのでしょう。
 正直言って今すぐにはこういった深いが狭い世界へは進みたくないのですが、「現代児童文学」の研究に区切りがついたら、学生時代に、退職したら(その時は定年後(当時は55歳でした)の自分をもっと老成しているものと想像していました)やりたいと思っていた、「宮沢賢治」、「エーリヒ・ケストナー」、「プロレタリア児童文学」のいずれかのテーマに、どっぷり浸るのも悪くないなと思っています。

新編 風の又三郎 (新潮文庫)
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新潮社
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小熊英二「「ムラ」の瓦解は早い」この国はどこで間違えたのか所収

2016-09-19 09:04:33 | 参考文献
 沖縄タイムスの渡辺豪がまとめた「沖縄と福島から見えた日本」についてのインタビュー集に収められています。
 小熊は本来は歴史社会学者なのですが、東日本大震災と福島第一原発事故以来、現在や未来の事柄についても積極的に発言するようになっています。
 また、本来は膨大な文献を読みこなして、そこから小熊ならではの見解を導き出すことを得意にしているのですが、今はその立場を捨てて現場へ飛び出し、反原発のデモにも参加しています。
 これは、「1968(その記事を参照してください)」を出した時に、現代を語るときに文献に頼りすぎて実地に人と会ってウラを取ることを怠っていると、ネット上などで批判を浴びたことと関係しているかもしれません。
 しかし、こういった方法は小熊にはあまり向いていないようで、特定の政治勢力との関係に偏りすぎていることもあり、そういった運動の中で埋没しているような気がします。
 このインタビューでも、「かつての日本の崩壊」、「利権政治の機能不全」、「原発のコストは(事故の補償などを入れれば)青天井(に高い)」、「安保(は)(利権政治にとって)残る最後の聖域」、「(安保や原子力問題で政府側への)対抗的専門家(を)育てよ」、「紙一重の(利権政治に対する)依存と自立(が生まれつつある)」「(東日本大震災以降は、日本では「無駄」「危険」は(国民の合意事項として)通る」、「さよなら原発10万人集会にて(自由参加の人たちが多いことに可能性を感じている)」などと、発言していますが、どれも目新しさはなく、インタビュアーのリードの中にとどまっている印象を受けました。
 かねてから小熊は市民運動(「1968」ではベ平連)に対して過度の期待を持ち、それに自分自身も参画したいという気持ちが強いのですが、それによって検討対象が狭く偏ってしまい、彼の最大の魅力である全体を俯瞰する視点が損なわれているようです。

この国はどこで間違えたのか ~沖縄と福島から見えた日本~
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徳間書店
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怒り

2016-09-17 15:09:21 | 映画
 吉田修一の同名のベストセラー(その記事を参照してください)の映画化です。
 周囲に猟奇的な殺人事件の犯人と思われている三人の若者、それに犯人を追う刑事たちといった、四つの独立したストーリーが並列して書かれている原作を、どのように映像化するのか興味があったので見に行きました。
 結論から言うと、危惧していたようにどのストーリーも未消化なまま終わってしまいました。
 おそらく、原作を読んでいない人にはよくわからなかったでしょう。
 小説の分量と映画の限られた時間といった制約からすると、これはやむを得ない点もあるのですが、その割には扇情的なシーン(殺人現場、ゲイ同士のからみシーン、レイプ(未遂)シーンなど)に必要以上に時間を割いていて、登場人物のドラマを描く時間とのバランスの悪さが目立ちました。

怒り(上) (中公文庫)
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中央公論新社
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児童文学における動物記について

2016-09-17 08:34:25 | 考察
 かつて児童文学においては、動物記は重要なジャンルでした。
 有名な「ファーブル昆虫記」と「シートン動物記」の、子供向けにリライトされた本はベストセラーでしたし、スカラベの不思議な生態や「オオカミ王ロボ」の活躍は子どもたちにとってのコモンセンスでした。
 この両巨頭以外にも、日本には椋鳩十や戸川幸夫といった優れた動物記の書き手がいましたし、海外にも「野生の呼び声」や「白い牙」で知られるジャック・ロンドンの作品などが日本の子どもたちにも読まれていました。
 しかし、今ではこの分野はすっかり廃れてしまって、あったとしてもペットや盲導犬などの話に限られてしまっています。
 この衰退の大きな原因としては、児童文学におけるファンタジー作品の流行があると思われます。
 かつての動物記は、未知なものを知るといった部分がありましたし、動物記自体も「ファーブル」(これも厳密な意味ではノンフィクションとは言えません)を除くとフィクションであり、時には動物たちが擬人化されている場合もありました。
 また、動物記を書くには、きちんとした動物の知識が求められるため、調査なり取材を必要として、現在の児童文学の出版状況では経済的に成り立たないのかもしれません。
 さらに、動物記の読者は主に男の子たちだったのですが、現在は女の子よりも男の子の方が読書離れが進んでいるので(現在の男の子たちの「物語消費欲求」は、主としてスポーツ、携帯やカードゲームで満たされています)、出版社にとって魅力のある分野ではありません。
 また、現在の児童文学の書き手の大半は女性なので、動物記を書く人材が見当たらないことも原因の一つかもしれません。

野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫)
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光文社
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津村記久子「ポトスライムの舟」ポトスライムの舟所収

2016-09-16 08:31:30 | 参考文献
 2008年下半期の芥川賞を受賞した作品です。
 新卒で入社した会社を上司のモラルハラスメントによって退社し、現在は手取り13万8千円の契約社員として工場に勤めていて、それ以外に友だちのカフェの手伝いやお年寄り相手のパソコン教室の講師などをして、懸命に働いている29歳の女性が主人公です。
 彼女を中心に、様々な境遇の大学時代の女友達などの周囲の女性たちが描かれています。
 工場に貼られていたポスターの世界一周旅行の料金163万円が、彼女の工場の年収とほぼ同じだということに気づきます。
 彼女は、一年間の生活費(実家なので家賃はかかりません)を他の収入で賄って、工場の賃金はすべて貯金しようと決意します。
 働きすぎと倹約のせいか、彼女は体調を崩しますが、かろうじて貯金の目標を達成します。
 現代の非正規労働で働く若い女性の姿を、鮮やかに描き出しています。
 津村の一連の作品は、同様のワーキングストーリーが多いのですが、かなりの部分で実体験(モラルハラスメントや両親が離婚しているなど)に近いので、この作品が一番リアルに読者に迫ってきます。
 児童文学の世界でも、実体験に基づいた作品はリアリティが保証されているので、優れた作品が多いようです。

ポトスライムの舟 (講談社文庫)
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講談社
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黒川博行「悪果」

2016-09-15 09:22:49 | 参考文献
 2007年下半期の直木賞の候補になった作品です。
 大阪府警の悪徳刑事コンビが、地上げ屋や極道とすったもんだしたあげく、大金を手に入れるのと引き換えに警察を追われるまでを描いています。
 ここでも、博打や汚職や極道と言った裏社会に対する豊富な知識を駆使して、リアリティのあるエンターテインメントになっています。
 しかし、主人公の二人が、所詮はちんけな悪徳警官にすぎないので、読者が共感できません。
 その点、直木賞を受賞した「疫病神」シリーズは、主人公は一応カタギですし、相棒の極道も暴力はふるいますが憎めないところがあって魅力がありました。
 児童文学の世界でもそうですが、コモンリーダーと呼ばれる一般読者の多くは、主人公に肩入れして物語を読むので、そういった意味では、「疫病神」シリーズの方が、直木賞受賞にふさわしかったでしょう。

悪果 (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)
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