現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

円堂都司昭「ディストピア・フィクション論」

2021-07-25 11:21:34 | 参考文献

 「悪夢の現実と対峙する想像力」という副題のついた評論です。
 アカデミックな論文の体裁は一切無視して、自分の興味のあるフィクション(小説、映画、アニメ、コミックスなど)をアトランダムにあげてそれに対する私見を列挙しているだけなので、ディストピア・フィクションに対するまとまった論考を求めている読者は肩透かしを食うことになります。
 あとがきでは大半は描き下ろしと称していますが、実際はいろいろな媒体に書き散らした文章をまとめたものにすぎず、再構成する上での工夫もほとんど見られません。
 だいたいディストピア(ユートピアの反対語で、社会的な問題を抱えた未来世界や仮想世界をSFやファンタジーの手法で描かれることが多い)に対する筆者なりの定義もしていないので、「これが、ディストピア・フィクション」と疑問を感じさせられる作品も多数含まれています。
 これを読んでも、読者の方もまとまった論考はできないので、この本に出てくる私が興味を持っている作品をリストアップするだけにしておきます。
 小説:トーマス・M・ディッシュ「プリズナー」、ジョージ・オーウェル「1984年」「動物農場」「華氏451度」、伊坂幸太郎の小説群、ゴールディング「蠅の王」、木村裕一「あらしのよるに」、スティーブン・キング「キャリー」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、多和田葉子「献灯使」、村田彩也香「コンビニ人間」(その記事を参照してください)、村上春樹「1Q84」
 映画:「シンゴジラ」(その記事を参照してください)、「キングコング」、「ブレードランナー」(その記事を参照してください)、「ブレードランナー2049」(その記事を参照してください)、「ゴジラ」、「地獄の黙示録」
 アニメ:「ズートピア」(その記事を参照してください)、「風の谷のナウシカ」、「進撃の巨人」(その記事を参照してください)、「鉄腕アトム」
 コミックス:「進撃の巨人」、「鉄腕アトム」
 テレビ:「プリズナーNo.6」、「あまちゃん」


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アンディ・ウィアー「火星の人」

2021-07-23 18:10:01 | 参考文献

 映画「オデッセイ」(その記事を参照してください)の原作です。
 ただし、映画のような後日談も含めたヒューマン・ドラマ(実は映画もこの点はかなり弱いのですが)やアクション・シーンを期待して読むと、おそらくがっかりすると思われます。
 けっこう長い作品の大半を、火星に取り残された宇宙飛行士がいかにサバイバルしたか、NASAの科学者たちがハードワークしていかに彼を救出するプランを作り出したか、そのプランにそって彼の救出のために再び火星に向かう同僚の宇宙飛行士たちがいかに彼を救出したか、といったことが、科学的に(私はこれらを評価する知識を持ち合わせていないので、実際にどのくらい正しいのかわかりませんが)説明している文章が占めています。
 個人的にはこういったディテールにこだわった作品は好きなのですが、少しやりすぎの感はあります。
 おそらくこの作品の読者の大半は男性(それも理系の)なのでしょうが、児童文学の世界でもこうした科学的なリアリティにこだわった作品を男の子たちは大好きです。
 ただし、現在の女性読者に偏った児童文学業界では、図鑑や伝記を除いては、このような作品を出版するのは難しいでしょう。

火星の人
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早川書房
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オデッセイ

2021-07-23 18:08:54 | 映画

 宇宙時代のロビンソン・クルーソーといった趣の作品です。
 火星に取り残された宇宙飛行士が科学的知識を使ってサバイバルしていく様子は面白いし、もちろんCGもすごいのですが、最近のほとんどの大作映画と同様にヒューマンドラマがすごく弱いです。
 火星に取り残されても、ほとんど孤独や絶望感を感じないメンタリティは、アメリカ人らしいといえばそうなのかもしれませんが、あまりにも楽観的で日本人には理解しがたいところもあります。
 また、娯楽映画なのであまりめくじらは立てたくないのですが、あまりにもご都合主義な部分(立派な避難所でディスコミュージックは好きなだけ流せるのに地球との交信設備はまったくない、宇宙飛行士がたまたま植物学者だったので火星でジャガイモを植えることができる、まったく政治的な動きが描かれていないのに中国が救出に協力する、最終的な救出方法は若い黒人が個人的に考え出す)には、苦笑を禁じえません。
 女性にも(宇宙船の船長は女性です)、ヨーロッパ人にも、黒人にも、アジア人にも配慮するのは、世界的にビジネスを展開しなければならないハリウッドの宿命なのでしょうが、あまりにも八方美人的ではないでしょうか。

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佐藤勝治「「どんぐりと山猫」について」「注文の多い料理店」研究Ⅱ所収

2021-07-20 17:13:21 | 参考文献

 「農民芸術・宮澤賢治特輯」七号(昭和23年8月)に掲載された論文です。

 賢治の作品世界が、いかに法華経信仰を実践したものであるかを、論理的に分析していて、説得力があります。

 特に、「どんぐりと山猫」が「注文の多い料理店」の、「屈折率」が「春と修羅」の、それぞれ巻頭作になったことと、相互の関連性に関する指摘は重要でしょう。

 

 

 

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ロブスター

2021-07-20 17:01:08 | 映画

 2015年公開のギリシャ、フランス、アイルランド、オランダ、イギリス合作映画です。

 パートナーがいることが義務づけられている、近未来の世界の話です。

 パートナーのいない男女が、新しい相手を見つけるためのホテルに送られてきます。

 そこで、45日の間にパートナーを見つけられないと、本人が希望する動物に変えられてしまいます。

 「ロブスター」は、主人公の男が希望した動物です。

 主人公は、期間中にパートナーを見つけられずに、ホテルを脱出して独身者たちが暮らす森に逃げ込みます。

 そこでは、逆に恋愛が禁止されています。

 主人公は、そこでも禁を破って女性と恋愛関係に陥り、そこを逐われます。

 全体にシュールな雰囲気で、作品世界においては恋愛やセックスも形式化されていて無機質です。

 初めのうちはなかなかおもしろかったのですが、シュールな度合いが加速度的に強くなって、残酷なシーンもあり、ついていけなくなりました(ラストでは、独身者たちのリーダーによって失明させられたパートナーに合わせて、主人公も自分で目をつぶすことが暗示されています)。

 

 

 

 

 

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マッドマックス2

2021-07-20 16:01:07 | 映画

 1981年公開の人気シリーズの第2作です。

 前作よりも近未来感は強くなっています。

 石油を掘り当てたコミューンの人たちと、凶悪な暴走族たちとのガソリンを巡る攻防戦に、マックスと途中で連れになった軽量プレーンの奇妙な男が参画します。

 まあ、ストーリーはどうだっていいのです。

 前作の大ヒットで手に入れた制作費のおかげで、カーアクションもスタントも爆破シーンも格段にスケールアップしていて、観客を十分に楽しませてくれます。

 

 

 

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マッドマックス

2021-07-20 16:00:28 | 映画

 1979年公開のオーストラリア映画です。

 低予算で作られたB級映画なのですが、迫力あるカーチェイスやスタントシーンで、世界的にヒットしました。

 暴走族と、それと似たりよったりの雰囲気の警察官たちによる復讐の応酬で、観客を飽きさせません。

 かなり残酷なシーンや無謀とも思えるスタントシーンの連続で、撮影中にスタントマンが二人死亡したという噂も信じられる気がします。

 低予算のせいで、セットも車もかなり荒い作りなのですが、なんでもありのCGに慣れた目で見直すと、むしろこちらの方がリアリティがあるように感じられるのが不思議です。

 この作品で、監督のジョージ・ミラーと主演のメル・ギブソンは、一躍売れっ子になりました。

 

 

 

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恩田逸夫「『童話集』作品の制作年次」「注文の多い料理店」研究1所収

2021-07-16 17:23:40 | 参考文献

 1960年11月に、「四次元」121号に掲載された論文です。
 「注文の多い料理店」の目次には、作品の制作年月日が以下のように記載されています。

どんぐりと山猫    1921年9月19日
狼森と笊森、盗森   1921年11月
注文の多い料理店   1921年11月10日
烏の北斗七星     1921年12月21日
水仙月の四日     1922年1月19日
山男の四月      1922年4月7日
かしはばやしの夜   1921年8月25日
月夜のでんしんばしら 1921年9月14日
鹿踊のはじまり    1921年9月15日

 しかし、この論文が書かれたころは、最後の3作品の制作年月日は誤植だとして、1921年ではなく1922年であるとするのが一般的で、その頃までの全集の年譜にもこの3作品は1922年に創作されたことになっていました。
 その理由としては、先行して出版された詩集「春と修羅」が制作年月日順に掲載されており、「注文の多い料理店」も最後の3作品を1922年作とすると制作年月日順になることがあげられていました。
 著者は、当時の賢治の生活、特に1921年に東京に8ヶ月滞在していた時期の生活や創作意欲、特に「春と修羅」の詩作との関連を丹念に調査して、これらは誤植ではなく、掲載された制作年月日が正しいことを証明しました。
 そして、そのことを、賢治の全集の編集で中心的な役割を果たしていた実弟の清六氏に知らせて、本人の了承を得たことも記しています。
 当時の賢治研究者の熱意を感じるとともに、事実を再確認して自分の誤りを潔く認めて訂正した清六氏にも、共に賢治研究を推し進めていこうとする姿勢が感じられて感銘を受けました。
 清六氏の言葉通りに、その後賢治の年譜は改められ、私の持っている筑摩書房の校本「宮澤賢治全集」第十四巻(1977年10月30日発行)の年譜でも、この3作品は1921年作になっています。
 それにしても、かしわばやしの夜(1921年8月25日)から「どんぐりと山猫」(1921年9月19日)までの、怒涛のような創作意欲の高まり(3週間に4作。特に、最後は6日間で3作)はどうでしょうか。
 著者は、これらの4作が東京滞在中に書かれた作品で、8ヶ月の滞在の成果として、一般に言われているような敗北(当時の童話の世界で作品が認められなかった)ではなく、彼の文学の再出発点(都会の退廃を見限って、郷土の自然に理想郷を構築する)としていますが、全く同感です。
 特に、巻頭に「どんぐりと山猫]を持ってきたことは、ここに賢治の重要な人間観である「でくのぼう」が明示されて、それ以降の賢治の創作の方向性を指し示していて非常に重要です。






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フィフス・エレメント

2021-07-14 16:26:21 | 映画

 1997年に公開されたリュック・ベンソン監督のSFコメディです。
 ブルース・ウィルスの髪の毛がまだ残っていて、ミラ・ジョコヴィッチもあまり怖くなくてかわいらしかった時代です。
 SFX全盛の現在から見ると、宇宙の映像などはかなりチャチイのですが、コメディとしては結構よくできていて観客を飽きさせません。
 最近のSF映画はまず映像ありきで、テーマパークのアトラクションのような楽しさはあっても、肝心のストーリーの方がいまいちなことが多いのですが、このころの作品はまだまだストーリーの方が主体なので、私のようなオールドファンでも楽しめます。
 

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古田足日「今日的課題をめぐって=児童文学時評‘59」児童文学の旗所収

2021-07-12 14:52:41 | 参考文献

 「近代文学」1959年7月号から12月号に掲載された児童文学時評です。
 1959年は、一般的には「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)がスタートした記念すべき年と言われていますが、この時評を読む限りでは児童文学を取り巻く状況はいまだに混乱状態のようです。

7月号(児童文学及び児童文学者の変質)
 再話、読物ばかりで創作児童文学を書かない既成の児童文学作家、生け花でも習う感覚で「童話」を書き始めるしろうと(主婦)作家とそれを是として推進しようとしている日本児童文学者協会を批判しています。

8月号(通俗児童文学の底に)
 当時の通俗児童文学(今で言えばエンターテインメントにあたります)は古臭くて、同じ通俗でも少年マンガの方に新しさがあると批判しています。

9月号(安保条約と児童文学)
 児童文学者協会の総会に政治的な課題を持ち込もうとした筆者たちを批判した、雑誌「新潮」8月号に反論しています。
 雑誌や同人誌などに発表された作品の問題点を指摘しつつも、そこに新しい児童文学の可能性があることを示唆しています。

10月号(戦中戦後の体験と児童文学)
 「現代児童文学」の出発点の一つとされている佐藤さとる(当時は暁)「だれも知らない小さな国」を、その優れた散文性、戦争体験の象徴性、物語作りの方法の新しさなどを評価しつつも、その思想の脆弱性(実感にとどまっていて理論化されていない)を批判しています(ちなみに、「現代児童文学」のもうひとつの出発点とされるいぬいとみこ「木かげの家の小人たち」は、この時評を通して触れられていません)。
 やっと戦中戦後の体験の意味を考える作品が登場してきたとして、そのことを推進してこなかった児童文学者協会を批判しています。

11月号(作品中の自分)
 「だれも知らない小さな国」の評価(石井桃子、いぬいとみこ、鳥越信)を紹介しつつ、疎開児童文学の代表作と言われている柴田道子「谷間の底から」と比較して、作品の中に「自分」がいると評価しています。

12月号(『荒野の魂』と民族問題)
 アイヌ民族を描いた斉藤了一「荒野の魂」を、問題点を指摘しつつも、民族の課題に真正面から取り組んだ作品の登場を評価しています。

 全体的に、新しい児童文学の方向性についての論争や模索、児童文学者協会などを舞台にした従来の価値観を持った既成の児童文学者との主導権争いなどで、依然として混迷した状態が続いていることを示しています。
 そういった意味では、「現代児童文学」の方向性が定まったのは60年代に入ってからなのでしょう。
 私は、こうした混迷期まで含めて「現代児童文学」の時代だと考えているので、この論争が始まった1953年を「現代児童文学」のスタートとする立場です(その記事を参照してください)。

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ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月

2021-07-11 18:42:18 | 映画

 2004年公開の人気ロマンティック・コメディ・シリーズの第2作です。

 こうしたシリーズ物の常套手段として、前作で受けた要素をさらにデフォルメして見せます。

 この作品の場合は、三角関係の男女のそれぞれの関係の浮き沈みを誇張し、主演のレネー・ゼルウィガーをさらに太らせて下品にして、ドタバタ喜劇の要素を強調して見せます。

 また、舞台を、イギリス国内だけでなく、ドイツやタイへスケールアップしました。

 たぶん、前作が世界中で当たったので、制作費がたくさん使えたのでしょう(主演の三人のギャラもきっと高くなったと思います)。

 そして、続編映画らしく前作の成功を超えることはなく、残念ながらシリーズは打ち切りになりました。

 ところが、なんと12年後に第3作が作られました!(ただし、敵役のヒュー・グラントは出演していません)。

 こういう例は、かなり稀だと思います。

 よっぽど、関係者の作品のアイデアが枯渇していたのでしょう。

 そう言えば、日本のテレビドラマでも、「半沢直樹」や「結婚しない男」など、ずいぶん時間が経ってから、過去のヒット作の続編を無理矢理作る例もあるようです。

 一般的には、こうしたシリーズ物が長続きするためには、第2作が非常に重要です。

 「ロッキー」も、「エイリアン」も、「ターミネーター」も、「ダイハード」も、「マッドマックス」も、第2作がそこそこ成功したために長続きしました。

 そういう意味では、この作品は微妙な成功だったのでしょう。

 

 

 

 

 

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ジュディ 虹の彼方に

2021-07-11 18:39:29 | 映画

 2019年公開のイギリス・アメリカ合作映画です。

 「オズの魔法使い(その記事を参照してください)」の大ヒットで一躍人気者になった、ジュディ・ガーランドの最晩年(といっても、47歳で亡くなっているのですが)の姿を描いています。

 主演のレネー・ゼルウィガーが、かなりのダイエットとメイクで(ブリジット・ジョーンズ(その記事を参照してください)とは別人のようです)、憔悴したジュディを熱演し、アカデミー賞主演女優賞を獲得しました。

 特に、吹き替えなしで歌ったステージのシーンは圧巻で、ラストで歌った「オズの魔法使い」の主題歌の「虹の彼方に」には、感動させられました。

 子供のころにスターになった人にはよくある話ですが、ジュディ・ガーランドもまた、大人たちに搾取されて身を持ち崩し、アルコールや薬物の中毒でボロボロになってしまったようです。

 

 

 

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老人と海

2021-07-11 16:08:35 | 映画

 1958年のアメリカ映画です。
 1952年に書かれたアーネスト・ヘミングウェーの小説(1954年にノーベル文学賞を受賞した時に、この作品が寄与したそうです)を、ジョン・スタージェスが監督して映画化しました。
 原作がそれほど長くない作品なので、ほぼ忠実に描かれています(ナレーションで原文と思われる文章が語られる箇所もあります)。
 老優スペンサー・トレイシーの一人芝居と言ってもいい映画で、彼の名演技なくしてはこの映画は成立しません。
 労働とは何か、人生とは何か、そしてそのころのジェンダー観で言えば、男とは何かを、この老人の格闘(初めは巨大なカジキマグロを釣り上げるため、後にはそれを狙ってきたサメの大群との戦いのため)と、彼を慕う少年との会話で語り尽くします。
 ディミトリ・ティオムキンが、アカデミー作曲賞を受賞しています。
 文豪の傑作を、名匠が監督をして、名優が演技をして、巨匠の音楽がそれを彩った、まさに古典的な名画です。



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「「どんぐりと山猫」の研究座談会」「注文の多い料理店」研究Ⅱ所収

2021-07-08 16:42:02 | 参考文献

 「農民芸術・宮澤賢治特輯」(農民芸術社)四号(昭和22年9月)に発表された座談会の記録です。

 国定教科書に掲載されたことを受けて、盛岡の宮澤賢治の会で行われたもので、現場で指導している教師たちも参加しています。

 発表誌も賢治のゆかりの人が花巻で出していたもので、賢治の存在が彼の郷里でいかに大きなものであったかがうかがえます。

 授業対象に合わせた何者かによる改訂に、子供たちが否定的であることが紹介されていて興味深いです。

 また、この作品を、作品集の巻頭に持ってきた意義に関する指摘も重要でしょう。

 

 

 

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恩田逸夫「『童話集』の原型 ー振替用紙裏の広告文ー」「注文の多い料理店」研究1所収

2021-07-08 14:36:02 | 参考文献

 1962年2月の「四次元」134号に掲載された論文です。
 古書店で偶然手に入れた本「蝿と蚊と蚤」から出てきた一枚の振替用紙(当時は出版社で本の注文を直接受けるために挿入されていました)の裏に、著者は「注文の多い料理店]の未知の広告文を発見します。
 著者自身も興奮気味に書いていますが、編者の続橋達夫もあとがきでこの論文を読んだ時の驚きを綴っています。
 先ほど偶然手に入れたと書きましたが、この本が「注文の多い料理店」を出した出版社で先行して出版された(さらに言えば、この本などの売り上げがあったので「注文の多い料理店」が出版できたと言っても過言ではありません。関連する記事を参照してください)のは研究者には周知のことだったので、前から探していたのかも知れません。
 当時の賢治文学の研究者たちの熱意と、新しい発見の喜びがうかがいしれます。
 この広告文では、童話集の書名は「山男の四月になっていました。
 また、例文はかしわばやしの夜の冒頭の文章です。
 つまり、制作年月日の一番最初の作品から例文を、最後の作品から題名を持ってきたことになりますので、このことからも、「童話集」作品の制作年月日が裏付けされます(その記事を参照してください)。
 この短い資料からも、賢治の生前唯一の童話集である「注文の多い料理店」の成立の経緯がいろいろと推察されて興味深いです。


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