現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

現代日本児童文学の終焉

2023-09-28 13:13:40 | 考察

 2010年に現代日本児童文学が終焉したという発言が、何人かの研究者からされました。
 例えば、佐藤宗子は、2012年1月の日本児童文学者協会評論研究会の特別例会のレポートの中で、現代児童文学の終焉を象徴する現象として、後藤竜二の死、伊藤英治の死、理論社の「倒産」、大阪府立国際児童文学館の廃館をあげています。
 また、現在の児童文学の傾向として、「作家」主体意識の薄れ、「変革の意志」の変質・変容、「書籍」に対する期待の変化を指摘しています。
 宮川健郎も、「日本児童文学」2011年1・2月号の「追悼・後藤竜二」に、「後藤竜二、あるいは現代児童文学のうしろ姿」という作品論を寄せて、その中で、「後藤竜二の文学は現代児童文学の理想形だったのではないか」と述べています。
「後藤竜二の作品は、子どもの視点で、子どもの言葉で描かれる(注:「子ども」への関心(児童文学が描き、読者とする「子ども」を生き生きとしたものとして、つかまえ直す))。そして、独自の魅力あふれる散文によって(注:「散文性」の獲得(童話の詩的性格を克服する))、歴史や現在の状況のなかで、「変革」の可能性をさぐろうとしつづけた(注:「変革」への意思(社会変革につながる児童文学をめざす))。それなら、私たちが見送ろうとしているのは、現代児童文学のうしろ姿なのではないか。」
 引用が長くなりましたが、宮川もまた2010年を現代日本児童文学の完全な終焉ととらえているようです。
 両者に共通しているのは、「現代児童文学」というタームを、「現代日本児童文学」という意味で使っていることです。
 海外ではどうなのでしょうか。それについては何も述べられていません。
 両者に限らず、現在の日本児童文学には、グローバルな視点が欠けているように思えてなりません(「ハリー・ポッター」のような売れ筋の作品は、商品として盛んに出版されていますが)。
 かつての石井桃子や安藤美紀夫のような、研究者で翻訳家で実作者(石井の場合はさらに編集者で児童文庫運動の活動家でもありましたし、安藤は後進の児童文学者たちの教育者でもありました)といった複眼的に児童文学をながめることのできる人材は、仕事の専門性が細分化されだ現代に求めるのは無理なのでしょうか。
 「現代日本児童文学の終焉」というテーマは、私の大きな関心事のひとつです。
 ただ、皮膚感覚としては、1973年4月から1976年9月ごろまで、集中的に内外の現代児童文学や児童文学論を読んでいた時期には、まったく終焉の予感はありませんでした。
 それが、就職、結婚を経て、1984年2月の日本児童文学者協会の合宿研究会に参加して児童文学活動を再開するために、課題図書として提示された80年代前半の数十冊の日本児童文学の作品群を、1984年の1月から集中的に読んだ時にはかなり違和感を感じたことを覚えています。
 合宿研究会で再会した児童文学評論家の大岡秀明に「7年のブランクがありますが何か変わりましたか?」とたずねたら、彼は「何も変わらないよ」と言っていましたが、実際にはその間に大きな変曲点があったのでしょう。
 合宿でたまたま同室だった安藤美紀夫と古田足日に相談して、当面は児童文学の研究ではなく創作と作品評をすることに決めて、安藤に紹介してもらった同人誌に参加するようになってからも、その違和感は続いていました。
 それは、自分の作品を、同人誌だけでなく、「日本児童文学」に発表したり、単行本で出版するようになって、編集者などと話すようになってからますます大きくなっていきました。
 この違和感(現代児童文学の変質あるいはすでに終焉していた)は、たぶん日本社会のバブル化や「現代日本児童文学」の商品化と関係があるように今は考えています。
 小熊英二編の「平成史」によると、戦後の日本における大きな変曲点は1955年(55年度体制の始まりと高度成長の始まり)と1991年(バブルの崩壊と55年体制の終焉)とのことです。
 間の1973年からオイルショックやドルショックなどの小さな変曲点がいくつかありましたが、日本経済はそれらを克服し80年代のバブル期を迎えます。
 狭義の現代児童文学(広義の意味はもちろん「今現在の児童文学」ですが、以下では狭義の意味で使っています)は、別の記事に書いたように1953年ごろからそれまでの近代童話を批判する形で議論が進められ、1959年に佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」やいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」といった長編ファンタジーに結実しました。
 そして、1970年代の終わりごろに変曲点があって、今までの定義(散文性の獲得、子ども(読者でもあり登場人物でもある)の獲得、変革の意志(いわゆる成長物語も含めて)、おもしろくはっきりわかりやすいなど)に当てはまらない現代児童文学が登場します。
 それらを経済的に支えたのが1980年代には児童文学でも迎えた出版バブルで、実に多様な作品群を生みだしました。
 しかし、これも一般社会と同様に1991年のバブル崩壊とともに、終焉を迎えます。
 私は、バブル期の終わりごろの1989年と1990年に単行本を出版していますが、それらのような普通の男の子を主人公にしたマイナーな作品は、バブル崩壊後であったならばとても出版されなかったでしょう。
 現に、私の属していた同人誌の同人の一人が、バブル崩壊後の1992年に発表した少年小説は非常に優れていましたが、中学生の剣道部の少年群像を描いたもの(今出版されているようなお手軽スポーツものではありません)だったので、いくつかの出版社から引き合いがあったものの、結局出版されませんでした。
 これがバブル崩壊以前だった二年前だったら確実に出版されていたであろうことは、自分の本との出来の比較からいって、確実だったと思います。
 今後も1959年から1991年ごろの日本の社会状況をもっと検討することによって、児童文学を取り巻く経済状況などを視野に入れて、現代児童文学の、誕生、繁栄、衰退について、考察を重ねていきたいと思っています。
 

日本児童文学 2011年 02月号 [雑誌]
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小峰書店









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山本麻里耶「「たのしい川べ」に登場するカエル君の役割」

2023-09-09 10:27:47 | 参考情報

 2017年7月29日に、日本児童文学学会7月例会で行われた発表です。
 動物ファンタジーの古典である、ケネス・グレアムの「たのしい川べ」について考察しています。
 従来、イギリス紳士を模したと思われるアナグマ、ネズミ(正確には川ネズミ)、モグラに対して、地主階級のとんでもない道楽息子として位置づけられていたカエル(正確にはヒキガエル)が、物語ではたしているユニークな役割に着目した興味深い発表でした。
 発表者は、その後の代表的なファンタジーである、バリーの「ピーター・パンとウェンディ」(その記事を参照してください)やミルンの「クマのプーさん」「プー横丁にたった家」では、作品世界があまりにアルカディア(理想郷)であったために、最後には主人公であるウェンディやクリストファー・ロビンが、立ち去らなければならないとしています。
 それは、これらの作品において、アルカディアが子ども時代の比喩であり、成長する存在である子どもたちは、いつかはそこを去らなければならないのでしょう。
 他の記事にも書きましたが、「子ども時代にさよならする」ことは、ファンタジーに限らず児童文学においては重要なモチーフであり、モルナールの「パール街の少年たち」、皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)、那須正幹の「ぼくらの海へ」(その記事を参照してください)などのラストシーンで、鮮やかに描かれています。
 発表者は、そのような終わり方を物悲しいと表現していましたが、まさに児童文学あるいは文学の本質は、そこ(子ども時代はいつか終わるものですし、人間自体いつかは死ぬ宿命にあります)にあるのだと思います。
 それらと比較して、ヒキガエルのユニークな点は、最後に改心して立派な地主階級の人間になる(子どもから大人になる)ように見せかけて、実は本心は違うのではないかと思われる点(発表者が紹介したように、このことを指摘した先行研究があります)にあるとしています。
 そして、ヒキガエルのおかげで作品世界がたんなるアルカディアにならなくてすみ、沈滞した状況からやがてディストピアになる危険性を回避しているとしています。
 発表者は、地中(おそらく地方や労働者階級の比喩だと思われます)から川べ(おそらく紳士社会(特に引退後)の比喩だと思われます)に出てきて、友情に熱いネズミや頼りになる先輩のアナグマの助けを得て、立派な紳士になっていくモグラとの対比に注目しています。
 発表者は、彼らがどのような収入を得ているかが不明だと話していましたが、紳士たちのハッピーリタイアメント(生涯困らない財産をできるだけ早く築いて一線から退き、あとは好きなことをして暮らすことで、今でも欧米のビジネスマンにはそれを望んでいる人たちが多いですし、かつては日本でも隠居制度(伊能忠敬も隠居後に日本中を測量して地図を作りあげました)がありました)後の生活だと思えば不思議はありません。
 児童文学論的な観点で眺めると、モグラは典型的な成長物語の主人公であり、ヒキガエルはアンチ成長物語の主人公ということになります。
 そのために、一般的には「たのしい川べ」はオーソドックスな成長物語(いつかはお話が終わる)としても読めるのですが、一方で主人公が成長しない(おかげでお話も終わらない)遍歴物語として読めることになり、「たのしい川べ」が長い間子どもたちに読み継がれている大きな理由のひとつになっているかもしれません(成長物語と遍歴物語の詳しい定義については、児童文学研究者の石井直人の論文を紹介した記事を参照してください)。
 それでは、ケネス・グレアムは、なぜこのような作品を書いたのでしょうか?
 「たのしい川べ」の訳者の石井桃子のあとがきによると、ケネス・グレアムは弁護士の子どもとして生まれたのですが、父親が酒におぼれたり母親が早くに亡くなったりして、厳しい少年時代をおくったようです。
 苦学した後に銀行に就職して、地位や財産を得てから遅くに家庭を持ったので、男の子(アラステア)が生まれたのは彼が42歳の時でした。
 そして、そのアラステアに語る(のちに手紙にも書きました)形で、「たのしい川べ」はできあがったのです。
 ケネス・グレアムは、バリーやミルンのような職業作家ではありません。
 私自身にも経験がありますが、そのような少年時代をおくった父親が自分と比較して幸せそうに見える息子に語る物語には、子どもの今の幸せがいつまでも続くことと将来の成長に対する願いの両方がこめられていたことでしょう。
 それは、モグラ(ケネス・グレアム自身でしょう)のように社会に適合していく(大人になる)ことと、その一方でヒキガエルのようにいつまでも楽しい少年時代をおくっている子どものままでいてほしい(大人にならない)という、相矛盾するものが含まれているものなのかもしれません。
 

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
クリエーター情報なし
岩波書店
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恐怖の報酬

2023-09-07 09:54:02 | 映画

 1977年公開のアメリカ映画です。

 1953年公開のフランス映画の名作を、巨匠ウィリアム・フリードキンがリメイクしました。

 おんぼろトラックでニトログリセリンを運ぶというオリジナルのアイデアに、いろいろな味付けをしてスケールアップしています。

 南米のどこかにある、世界中で行き場をなくした男たちが集まっているたまり場で、油田の火事を爆風で消すためのニトログリセリン運びの仕事が大金をかけて募集されます。

 応募に合格した四人の男たちは、二台のおんぼろトラックに分乗します。

 彼らの行く手には、大嵐、ぼろぼろの吊橋、細い崖の道、大嵐で倒れて道をふさぐ大木、山賊などの障害が次々と現れます。

 けっきょく、たどり着いて大金を手に入れたのは一人だけで、残りの三人は命をおとします。

 そして、ロイ・シャイダー演じる最後の男にも、アメリカから彼を追ってきた殺し屋たちが到着するところで映画は終わります。

 それが、恐怖の報酬だったのです。

 

 

 

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テルマエ・ロマエ

2023-09-05 12:08:33 | 映画

 ヤマザキマリの人気コミックスを、2012年に実写映画化しました。
 主役の阿部寛を初めとした彫りの深い、いわゆる濃い顔の俳優たち(市村正親、北村一輝、宍戸開など)を主要なローマ人役に採用し、平たい顔族(日本人)と対比させるという画期的なアイデアで大ヒットしました。
 特に、阿部寛と愛し合う女性として、平たい顔族の代表的な美人である上戸彩を選んだのは秀逸でしょう。
 ストーリー自体は他愛のない物なのですが、ここで紹介されるいろいろなお風呂用品や温泉を改めて見ると、やはり日本のお風呂文化は異常なまでに発達しているのだなあと感心させられます。


テルマエ・ロマエ
武藤将吾,稲葉直人,菊地美世志,松崎薫,亀山千広,市川南,寺田篤,浜村弘一
メーカー情報なし
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ゴジラ

2023-09-03 17:21:52 | 映画

 1954年公開の日本映画です。

 元祖怪獣映画であるこの作品は、記念碑的な映画として、その後ハリウッドでも、そして日本でも繰り返しリメイクされることになります。

 原水爆実験(そのころは、平気で大気圏や海洋で、核実験が行われていました)によって生み出された、怪獣ゴジラが日本を襲います。

 東京も壊滅状態になりますが、最後は片眼の科学者芹沢博士が発明したオキシジェン・デストロイヤーによって、ゴジラは東京湾で滅ぼされます。

 核兵器や核実験への批判、ラストでの芹沢博士の自己犠牲など、たんなる娯楽映画の範疇を超えて訴えかけるものがあったので、その後の怪獣映画の隆盛に繋がったのでしょう。

 スーツアクターとミニチュアという懐かしい特撮ですが、今のCG全盛の映画とは違った手作り感満載のそれゆえ迫力ある映画に仕上がっています。

 宝田明、河内桃子、平田昭彦らの俳優陣も、若々しい演技で魅力的です。

 

 

 

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ひまわり

2023-09-01 11:18:23 | 映画

 1970年公開のイタリア・フランス・ソ連の合作映画です。
 戦争によって引き裂かれた若い夫婦の数奇な運命を、名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督が哀感を込めて描いています。
 全編に流れるヘンリー・マンシーニの哀切な主題曲と、ラストに一面に広がるひまわり畑のシーンがあまりにも有名です。
 結婚による十二日の特別休暇(あるいは男はこれが目当てだったかもしれません)だけを過ごして、離れ離れ(兵役を逃れるために狂人の真似をした狂言のせいで、皮肉にもアフリカ戦線でなく極寒のロシア戦線におくられてしまいます)になった夫婦を、イタリアの名優、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが演じています。
 戦争が終わっても、夫はなかなか帰らず、生死さえも不明です。
 こういう状況は、敗戦国の日本やドイツでも同様で、日本映画では思い出せませんが、ドイツ映画では「マリア・ブラウンの結婚」が有名です。
 あきらめきれない妻は、わずかな情報を頼りにソ連まで探しに行きます。
 しかし、皮肉なことに、夫はその地で命を救ってくれたロシア娘と結婚して、今では子どもまでいます。
 妻は、夫と再会を果たした駅で、言葉も交わさずに彼が乗ってきた列車に飛び乗り、あたりもはばからずに号泣します。
 取り残された夫は、やはり今でも妻を愛していたことに気づき、しだいに元気をなくしていきます。
 そんな男を、優しい新しい妻は、かつての妻と再会するために、イタリアへ送り出してくれます。
 二人はイタリアで再会を果たしますが、その時には女性の方も再婚していて、子どももいました。
 二人でどこかへ行ってやり直そうと言う男に、彼女は子どもをおいては行かれないと拒みます。
 しかし、列車で去っていく男を見送って、彼女はまた泣き崩れます。
 この映画では、もちろん主演のソフィア・ローレンの魅力(若いときの奔放なセックスアピールに溢れた女性、行方不明の夫をさがす鉄の意志を持ったたくましい女性、再婚後の優しい母の魅力を持った女性を、鮮やかに演じ分けて見せます)に溢れているのですが、ソ連での新しい妻を演じたリュドミア・サベーリエワの可憐でけなげな女性も、対照的な魅力を持っています。
 また、彼女たち、イタリアとソ連の代表的な美人女優に挟まれて、ハンサムだけど優柔不断なイタリア男を演じるのには、やはりマルチェロ・マストロヤンニしかいないでしょう。
 ロケ地のソ連をやや美化しすぎていることは気になりましたが、彼方まで続くイタリア兵の墓標やあたり一面のひまわり畑(その下には、無数のロシア兵、ドイツ兵、イタリア兵、そして幼い子どもたちや年寄りまで含めたロシアの民間人の亡骸が埋められています)のシーンは、戦争のむごさ、残酷さを雄弁に語っています。
 この映画は、舞台がウクライナだということもあって、2022年になって再評価がなされています。

 ロシアのウクライナ侵攻が、この映画で描かれた場所でも行われているであろうことを考えると、同じような悲劇がウクライナだけでなくロシアでも繰り返されているわけで、人類はなんと進歩をしない生き物だということを思い知らされます。

 

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