現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

シング

2017-03-31 14:06:10 | 映画
 オーディションを題材にした動物アニメです。
 他の記事にも書きましたが、実写映画の場合はCGを使った場面は嘘っぽく見えるのですが、アニメの場合は逆にCGがまるで実写のように感じられて作品のリアリティを向上させる効果があります。
 動物の特性を生かしつつ、登場人物(?)のキャラがそれぞれたっていて、物語を楽しめました。
 日本と違って、アメリカではアメリカンアイドルなどのオーディション番組が盛んで、この物語のようにすごい歌唱力を持った素人が、ルックスとは関係なくメジャーデビューできるので、作品のリアリティを保証しています。
 「モアナと不思議な海」でも書きましたが、この映画でも日本語吹き替えのメンバーが歌でも健闘しているので、吹き替え版でも十分に楽しめました。

シング-オリジナル・サウンドトラック
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Universal Music =music=
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3月30日(木)のつぶやき

2017-03-31 05:00:47 | ツイッター
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四元康裕「ゴールデンアワー」

2017-03-30 15:49:53 | 作品
 1960年代から70年代にかけてのテレビアニメ(「巨人の星」、「鉄腕アトム」、「あしたのジョー」など)やテレビ番組(「タイムトンネル」、「宇宙家族ロビンソン」など)やテレビ出演者(クレイジーキャッツ、コント55号など)、映画(「ミクロの決死圏」、「夕陽のガンマン」など)などを題材にした連作詩集です。
 児童文学研究者の石井直人が、「児童文学補完計画1」(その記事を参照してください)で述べた「架空へのノスタルジアを自覚した試み」という評価は、前半部分にはあてはまりますが、全体としてはそれだけでなく少年時代全体へのノスタルジアを18歳の時の母の死の予感を通奏低音にして描いた詩集でした。
 ここでいう「架空へのノスタルジア」というのは、いわゆるマンガ的リアリズムと同様に、ある世代に共通したエンターテインメント作品の理解を前提とした作品世界のことです。
 私は、作者や石井よりやや上の世代にあたるので、彼らの強い共感を少しだけ客観的に眺められる立場にいます。
 ビデオゲームがなかったそのころのテレビを中心にした架空世界は、そのころ少年時代を過ごした人々にとっては、実生活と切っても切れない関係にありました。
 それらをバネにして、子ども時代を描くような児童文学作品が、もっとあってもいいかなと思います。

ゴールデンアワー
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新潮社
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ドリームガールズ

2017-03-30 14:19:44 | 映画
 2006年公開のミュージカル映画です。
 1960年代から70年代にかけて圧倒的な人気を誇った黒人女性コーラスグループ、シュープリームスをモデルとしたと思われるドリームガールズを中心に、モータウン・レコードをもとにしたと思われる新興のレーンボー・レコードの経営者(ジェイミー・フォックスが演じています)の栄光と挫折を描きます。
 1960年代の公民権運動や黒人暴動を背景に、黒人だけの音楽だったソウルミュージックを、白人にもうけるよりポップなディスコミュージックに変えて、それまで黒人にしかレコードが売れなかった黒人ミュージシャンたちを全米ナンバーワンを連発する大スターに育てていきます。
 その過程で、ビジネス至上主義になっていくレコード会社の経営者から、かつてはファミリーとして団結していたメンバーが次第に離れていきます。
 もちろんミュージカルなので、ストーリー自体は単純なハッピーエンドなのですが、一級のエンターテインメントに仕上がっています。
 もう一人の主役のドリームガールズのリードボーカル(ダイアナ・ロスがモデルでしょう)を演じたビヨンセや、先輩R&B歌手役のエディーマーフィーをはじめとした出演者たちの歌とダンスが素晴らしいです。
 特に、アカデミー賞助演女優賞を獲得したジェニファー・ハドソンの歌声は、圧倒的な迫力でした。
 また、それと思われる当時の黒人ミュージシャンたち(子ども時代のマイケル・ジャクソンがリード・ボーカルをしているジャクソン・ファイブなど)が、名前を変えて登場するのも楽しいです。
 それにしても、主要な出演者がすべて黒人のミュージカル映画が成功するなんて、舞台になった1960年代のアメリカでは想像もできなかったでしょう。

ドリームガールズ (字幕版)
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春見朔子「そういう生き物」

2017-03-30 09:51:05 | 作品
 LGBTの男女(男性の方はすでに女性として生きていますが、女性の方は潜在的)の同棲生活を描いています。
 性的少数者をどのように描いているのかと思って読んでみたのですが、そのことを除くとすこぶる低調な作品でした。
 二人の視点で交互に描いているのですが技術的な問題があって読みにくく、文章や描写も児童文学の同人誌レベルでした。
 作者は薬剤師(登場人物の女性も薬剤師なので、作者自身が投影されているかもしれません)なので、まあアマチュアの作品なのでしょう。
 他の記事にも書きましたが、現代では純文学では児童文学と同様に食べていけないので、すっかりアマチュアの世界になっています。
 そうなると、どうしても身近な世界を描いた小さな物語になってしまうのですが、そうした場合、よほど優れた感性のきらめきがあるか、文章芸術して技巧的に優れていないと、読むに値しません。

そういう生き物
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集英社
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3月28日(火)のつぶやき

2017-03-29 04:56:11 | ツイッター
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ジャイアント馬場「王道十六文」

2017-03-28 18:41:17 | 参考文献
 私が少年時代にテレビでプロレスを見ていたころに、アントニオ猪木とともにスーパースターであったプロレスラーが昭和62年に書いた自伝(おそらく本人が口述したものを、あとがきで謝辞を述べている菊池孝氏が文章化したのでしょう)です。
 少年時代や高校野球時代(二年で中退して史上最年少の16才でプロ野球選手になったのは初めて知りました。もっともそのころすでに身長は2メートル以上あったようですが)、それに巨人(二軍では最優秀投手だったのですが、本人いわくチーム内の派閥のせいで一軍で登板する機会はあまり与えられなかったようです)の投手時代、アメリカ武者修行時代などの前半は、すでにマンガ(「ジャイアント旋風」)で概要は知っていたものの、本人の口で語られると細部がクリアで興味深かったです。 
 また、アントニオ猪木とタッグを組んで「BI砲」として活躍した時代は、祖父の部屋で一緒に見た懐かしい試合が次々に出てきて感慨深かったです。
 その後の日本プロレスが崩壊し、全日本プロレスを立ち上げて、アントニオ猪木の新日本プロレスなどといろいろな抗争(興業の争いや選手の引き抜きあいなど)を社長として戦った話が、当事者の片側から一方的に書かれているのであまり読み味はよくなかったです(本人も書きにくいと言っていますし、私自身もそのころはプロレスを見なくなっていたせいもありますが)。
 ご存知のように、プロレスは、相撲や総合格闘技やボクシングとは違って、本当の真剣勝負ではない(シリーズ中は毎日のように試合があるのでいちいち真剣勝負をやっていては体が持ちません。レスラー同士の因縁などでセメントマッチと言って真剣勝負をやる場合もあります)のですが、この本ではあたかも真剣勝負であるかのような記述で統一されています。
 その一方で、本人は全日本プロレスのプロモーター(興行を主宰します)であるとともに、ブッカーであったとも明言しています。
 この本では、ブッカーを選手契約者と訳していますが、実は、ブッカーとはブック(すなわち試合のシナリオないし、そのシリーズ全体の筋書き)を書く人のことで、つまり演劇でいう脚本家なのです。
 そういった意味では、ジャイアント馬場は、偉大なプロレスラーであるとともに、優れた経営者(全日本プロレスの社長で、アメリカのプロレス組織のNWAの副会長)、凄腕のプロモーター(外人レスラーの招聘や各シリーズの地方巡業の運営など)、そしてブッカーとしての名脚本家といった、マルチの才能を持った人物だということができます。
 こうした興味深い人物たちを子どもたちに紹介するのも、かつては児童文学の重要な役割りだったのですが、最近は低調なようです。


ジャイアント馬場―王道十六文 (人間の記録)
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日本図書センター
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3月21日(火)のつぶやき

2017-03-22 04:58:22 | ツイッター
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尾崎秀樹「色川武大「離婚」」文春文庫版解説

2017-03-21 11:50:55 | 作品
 文芸評論家の筆者が、当時のこの作品の位置づけを解説していて興味深いです。
 戦前は、作家も発表雑誌もはっきりと区別されていた純文学(新小説、つまり既成の小説にないものを書く文学)とエンターテインメント(ロマンを志向する大衆小説)が、戦後は次第にあいまいになってきたとしています。
 そうした、純文学的資質をもっていながら大衆文学畑の中で仕事をしている当時の作家として、山口瞳(「血族」の記事を参照してください)、田中小実昌、向田邦子、村松友視などともに色川武大をあげています。
 彼らの小説の特長としては、「身辺のできごとや何気ない時代の風俗をうつしながら、そこに自己をつよく投影させ、人間心理の微妙なニュアンスを、きめこまかな文体で描き出す」とし、「一方で私小説の発想ともつながるものをはらみながら、瑣末な身辺小説の隘路にはまりこむことなく、不安定で不条理な人間存在の表裏をするどく凝視し、味わいふかい作品に仕上げたものが少なくなかった」と評しています。
 そして、この短編集に含まれた作品を、「一風変った男女の風俗小説として読んでもさしつかえないが、色川武大の文学的資質が、そこに顔をのぞかせていることもたしかなのだ」としています。
 この作品と同様に、1970年代から1980年代に書かれた「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください)においても、同様の味わいを持った作品が多く出版されました。
 それらの代表的な作家としては、森忠明、皿海達哉、梨木果歩、湯本香樹実、江國香織、丘修三、最上一平などがあげられるでしょう。
 そして、尾崎流の書き方でいえば、「彼らの作品を、一風変った児童文学として読んでもさしつかえないが、彼らの文学的資質が、そこに顔をのぞかせていることもたしかなのだ」といえます。
 そして、エンターテインメント全盛の現在では、すでに終焉した「現代児童文学」と同様に、一般文学でもこのような味わいを持った作品は死滅しようとしています。

離婚 (文春文庫)
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文藝春秋
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色川武大「少女たち」離婚所収

2017-03-21 11:06:46 | 参考文献
 「離婚」(その記事を参照してください)の前篇にあたる作品です。
 主人公が、匿名で娯楽小説(主人公を作者と考えると阿佐田哲也名義の麻雀小説)を書きはじめ、次第に売れっ子になるころです。
 先輩の事務所に居候していた主人公が、初めて独り立ちして事務所兼住処を得ます。
 そこに、秘書やアルバイトなどの名目で出入りするようになった少女たち(年齢的には二十代が大半ですが精神的には非常に幼く危うい)との不思議な関係(主人公は遊園地と呼んでいます)を描いています。
 四十近い主人公は、彼女たちの保護者気取りです(彼女たちと個人的な関係は一切なく、昼ごろから夕食まで、みんなで雑談したり、ご飯を作って食べたりしているだけです。主人公は、夜から朝方までは、一人で飲みに行ったりギャンブルに行ったりして不在です)。
 こうした関係も、主人公が売れっ子作家でお金も暇もあって、しかも家族がいない気楽な立場だからこそできることで(実際、「離婚」などの作品に登場する妻になる少女が現れて、「遊園地」は閉鎖されます)、普通の男性にとっては羨ましい話ではあります。
 現代では、こうした若い女性たちは、当時よりもはるかに自由な立場にあるように思われがちですが、実際には経済的には非常に厳しい状況が続いていて、今でも同様に危うい状況(悪い男や風俗関係の仕事にからめ捕られる)なのかもしれません。

離婚 (文春文庫)
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文藝春秋
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色川武大「妻の嫁入り」離婚所収

2017-03-21 09:55:33 | 参考文献
 「離婚」(その記事を参照してください)と「四人」(その記事を参照してください)の後日談です。
 今度は、元妻は主人公からの自立を模索します。
 まず、彼女は、仕事を始めようと、ブティックに勤めはじめます。
 主人公から見ても、彼女が仕事をするとしたら、ブティックぐらいしかむいている場所はないのですが、これも長続きしません。
 次に、年下の男を好きになって、彼と結婚しようと主人公のもとを離れて同棲を始めます。
 相手の男は主人公の知人で堅気のサラリーマンなので、主人公も応援しています(これで厄介払いができるという気持ちもあります)。
 しかし、これもすぐに破たんして、元妻は主人公の元へ舞い戻ります。
「出戻りという場合は、実家へ帰るというのがきまり相場なのに、此奴は元亭主のところへ帰ってくるんだなァ。」とぼやきつつも、主人公はまんざら悪い気分ではありません。
 こうして、二人の奇妙な関係は、また復活しました。
 こうしたつかず離れずの男女関係は、普通の婚姻関係をしているのが大半だった当時の男性たちにとっては、ある意味羨ましいものでした。
 非婚化が進んだ現代では、このような関係の男女は増えているかもしれません。

離婚 (文春文庫)
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文藝春秋
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3月16日(木)のつぶやき

2017-03-17 04:55:32 | ツイッター
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チア☆ダン

2017-03-16 18:04:14 | 映画
 広瀬すず主演のアイドル映画です。
 映画の系列でいえば、「スウィングガール」や「フラガール」の流れをくむものですが、出来は遠く及びません。
 映画のストーリーそのものよりも、広瀬すずをいかに魅力的に見せるかに主眼が置かれているようです。
 チアダンス部のメンバーや顧問の教師(天海祐季が演じています)それぞれに、チアダンス部に関わる動機のようものを与えているのですが、描き方が非常に表面的で浅く、「フラガール」の登場人物たちのような内的必然性はまるで感じられません。
 また、メンバーたちが上達していく過程の描き方も、「スウィングガール」や「ウォーターボーイズ」のようなユーモアや工夫がまるでなく、なんで彼女たちがそんなにうまくなったのかまるでわかりません。
 一応ダンス映画なので、本来ならばダンスシーンが迫力を持って描かれなければいけないのですが、国内大会は、初出場のまるで駄目だった時を除くと、出演前の掛け声(「元気に素直に美しく」で、明らかに宝塚の「清く正しく美しく」のパクリです)のシーンと結果発表のみで、踊るシーンはまったく省かれていて、ラストの全米大会だけはさすがに省けないので主要メンバー以外に踊れる人たちを入れて、なんとか描いていました。
 勘ぐるに、低予算短期間撮影の映画なので、主要登場メンバーのダンスのトレーニングに時間を十分に取れない(特に主役の広瀬すずは非常に多忙なので、この映画のためにそんなに時間はさけないでしょう)ために、ボロが出ないようにうまくごまかしたのでしょう。

小説 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 (角川つばさ文庫)
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KADOKAWA
 
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モアナと伝説の海

2017-03-16 09:08:02 | 映画
 子ども向けのアニメですが、完成度は高いです。
 映像(特に海のシーン)が繊細で美しく、実写かと思わせるような場面もたくさんありました。
 CGは、実写映画よりもこういったアニメーションの方が、生かされているようです。
 実写映画では、アクションシーンなどでもどうせCGだと思うとあまり楽しめないのですが、アニメだと最初から割り切れて映像の美しさや迫力を素直に楽しめます。
 また、この作品はミュージカルでもあるのですが、評判の高い「ラ・ラ・ランド」よりも歌うシーンの質が高いようです。
 吹き替え版で見たのですが、日本語の声の出演者の歌のレベルもかなりのものがありました。
 エンターテインメントなので当然のことなのですが、広範な年代の観客をいかに楽しませるかの工夫がなされています。
 児童文学のエンターテインメント作品も、ディジタルおよびモバイル時代にどのように顧客にアピールするかをマーケティングしないと、どんどん取り残されてしまいます。

モアナと伝説の海 オリジナル・サウンドトラック <日本語版>
クリエーター情報なし
WALT DISNEY RECORDS
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3月11日(土)のつぶやき

2017-03-12 05:00:44 | ツイッター
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