現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

2月26日(日)のつぶやき

2017-02-27 04:57:46 | ツイッター
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レイモンド・ブリッグス「風が吹くとき」

2017-02-26 11:19:08 | 作品論
 1982年に出版された、核戦争が過去の物でなく現在でも起こり得ることに警鐘を鳴らした絵本(漫画)です(アニメにもなっています)。
 国家が喧伝する「戦争や核」が、実際に個人(名もなき庶民)が直面する「戦争や核」といかに乖離しているかを糾弾しています。
 1976年にイギリス情報局が出した「防護して生き残れ」という「核シェルターを自分で作って生き残ろう」というパンフレットどおりに行動して、国家の救援をむなしく待ちながら死んでいく老夫婦の姿を、ブラックユーモアも使いながら淡々と描いています。
 この作品が出版されたときに、日本では「原爆の恐ろしさを伝えていない」と批難されたそうですが、このような書き方の方が放射能汚染の恐ろしさをじわじわと伝えてより迫真性があります。
 日本の漫画を読みなれた目にはこまわりが細かくセリフを多いので、子どもたちには読みにくいかもしれませんが、ぜひ読んでほしい作品です。
 今後、広島や長崎の悲惨な実態をいかに克明に描いても、「過去の事」として受け取られてしまう恐れがありますが、このように近未来に起こり得る核戦争(あるいは原発事故)による放射能汚染の恐ろしさを描けば、今日の問題として受け取ってもらえると思います。
 また、福島第一原発事故で東京電力や国家がいかに事実を隠蔽していたかを経験した我々にとっては、自分で正しく判断するための情報収集の必要性が重要だということもわかります。

風が吹くとき
クリエーター情報なし
あすなろ書房
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丘修三「歯型」ぼくのお姉さん所収

2017-02-26 11:16:27 | 作品論
 主人公とその二人の友人は、公園のそばを通る奇妙な歩き方をする障害のある子どもに、足をかけてころばせる「遊び」を始めます。
 毎日繰り返しているうちに、その子はそこを通る時間を変えるようになりました。
 それでも、主人公たちは執拗にその子を探し回って「遊び」をし、やっているうちにエスカレートしていって、ついには三人がかりで暴力をふるいます。
 必死になったその子は、三人のうちの一人のふくらはぎに噛みつきます。
 三人がいくら離そうとしても噛み続けるので、まわりの大人たちまでが集まって大騒ぎになります。
 その子が会話ができないことをいいことに、三人は一方的にその子を悪者に仕立て上げます。
 後日、噛まれた子の父親に抗議を受けた養護学校の教師が、反論のために主人公の学校の校長を訪ねます。
 校長室に呼ばれた主人公たちは、問い詰められて真実を告白したでしょうか?
 いいえ、作者はそんなことで主人公に安易な救いを与えたりはしません。
 彼らは、最後まで嘘をつき続けて、とうとうその場を逃れてしまいます。
 その代わりに、主人公の心には、一生消えない良心の呵責という「歯型」が残ったのです。
 自分より弱い者へのいじめ、自分と違う者への差別。
 ここでは、主人公たちのような子どもたちだけでなく、彼らの親や周囲の大人たちまでがそうした面を持っていることを鋭く告発しています。
 彼らが、いわゆる普通の子ども、普通の大人であるだけに、より深刻な問題です。
 そういう私自身も、こうした優越意識や差別意識を、少なからず持っていることを告白しなければなりません。
 「歯型」のような作品は、読者のおそらく全員が持つであろうこういった問題点を常に再点検するためにも、繰り返し読み続けられ、そして書き続けられなければなりません。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社
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神沢利子「ちびっこカムのぼうけん」

2017-02-26 11:13:45 | 作品論
 出版は1961年ですが、後半の「北の海のまき」は1960年に「母の友」に発表されています。
 石井桃子たちが「子どもと文学」で提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」を体現した最初の作品と言われていますが、神沢は石井たちのグループとは直接的には関係なく、独自にこの世界を作り出したものと思われます。
 1975年に出た「現代児童文学作家案内」によると、神沢はもともとは詩人であったので、このような叙事詩的な趣を持った作品を作り上げられたのかもしれません。
 「児童文学宣言」や「子どもと文学」で否定された近代童話の大御所、小川未明も、かつて自分の童話を「わが特異な詩形」といっていましたが、そちらは典型的な抒情詩でしょう。
 この作品のような散文性を持った叙事詩的な物語は、他の同時期に発表された児童文学の作品とは異なり、スケールの大きな新しい児童文学の可能性を拓くものでした。
 私が読んだ「新・名作の愛蔵版」の「あとがき」で神沢自身が述べているように、サハリンや北海道での幼少期の体験と、ステンベルクマンの「カムチャッカ探検記」を読んだことが、このカムチャッカを舞台にしたこの冒険物語を生み出したのでしょう。
 この作品は、カムがかあさんの病気を治すためにイノチノクサを探し出すために、クジラをつまみあげてあぶって食べているという大男ガムリイから金のユビワを奪いに行く「火の山のまき」と、ガムリイにシロクジラに変えられてしまったとうさんを救いに行く「北のまき」の二部に分かれています。
 とにかく冒頭から、冒険に次ぐ冒険で、読者に息つく暇を与えません。
 また、人間だけでなく、クマ、トナカイ、ジネズミ、ヤギ、シロタカ、オオワシ、サケ、アザラシ、クジラ、イルカ、タポルケ、シャチといった北方の動物たち、さらには、オニや岩の怪物などの超自然的なものまでが縦横無尽に活躍します。
 お話の型としては「桃太郎型」で、動物などの仲間をだんだんに増やしていって、最後には敵(この物語では大男ガムリイやシャチ)を成敗して、めでたしめでたし(この物語では病気のかあさんを元気にして、シロクジラになっていたとうさんをもとの姿に戻します)といった単純なものです。
 しかし、その過程で、子どもたちの大好きな繰り返しの手法を駆使して、たっぷりとハラハラドキドキさせて楽しませてくれます。
 また、山田三郎のスケールの大きなしかも緻密な挿絵が、物語世界の魅力を余すところなく伝えてくれます。
 そう、この本は、現代日本児童文学で最初に大成功をおさめたエンターテインメント作品なのです。
 私が読んだ本は、新・名作の愛蔵版の2001年1月の三刷ですが、1961年に出た最初の本は1968年までに22刷、1967年に出た名作の愛蔵版では1999年までになんと115刷、それ以外に文庫本も出ています。
 同じころに書かれた「現代児童文学」としてより評価が高かった作品(特に社会主義リアリズムの作品)は、とうに歴史に淘汰されて読まれなくなっているものが多い中で、この本は五十年以上にわたって読み継がれ売り続けられているロングセラーです。
 本の評価というものは本当に難しいものだと、つくづく考えさせられてしまいます。
 児童文学研究者の本田和子は、1975年に出版された「現代児童文学作品論」の中で、北欧神話の世界を舞台にしたリンドグレーンの「ミオよ、わたしのミオ」と比較して、以下のように否定的な評価を下しています。
「作者の提供した「神話的世界」とは、「その面白さ」が、ファクターアナライズ的に分析され、とり出された要因が合理的に組み合わされたもの。即ち「神話の要因と神話的形象を借りた『子どもの文学的』世界」だったのである。そして、この「子どもの文学的世界」が、余りにも公式的・モノレール的でありすぎたのであった。
 ここに、この作品の限界をみることが出来る。即ち、一九六一年という作品成立の時代は、「子どもと文学」による創作理論が、新鮮に、児童文学界を魅了した時代なのだった。」
 まず、この本のようなエンターテインメント作品を、リンドグレーンの作品群の中でも最も純文学的な「ミオ」と比較して否定的な評価を下すのは、フェアなやり方ではないと思います。
 おそらく当時の本田には(実は私自身もかつてそうだったのですが)、エンターテインメント作品を正当に評価する批評理論がなかったのだと思われます。
 また、引用文中の「子どもの文学的」といのは、前述した石井桃子たちの「子どもと文学」の創作理論に基づいて書かれた作品という意味で使われていると思われますが、先ほども述べたようにこの本の初出が「子どもと文学」が出版されたのと同じ1960年であることを考えると、本田の論には無理があるように思えます。
 本田に限らず実作経験のない児童文学の研究者や評論家は、新しい児童文学理論が出るとただちにそれが創作に反映されると考えがちですが、それは完全な誤解です。
 まず、児童文学論や評論を自分でやっていない純粋な創作者は、評論家や研究家が思っているほど児童文学理論や評論の影響は受けていません(だいいち読んですらいないことが、圧倒的に多いです)。
 また、仮に創作者が自分でも児童文学理論を考えていたり、同人誌などで研究者や評論家と一緒に活動している場合でも、その理論を創作に反映するには試行錯誤を経てある程度の時間がかかります。
 例えば、1953年の「児童文学宣言」で示された「少年小説」が初めてまとまった形になった山中恒の「赤毛のポチ」が発表されたのは、1955年前後でした(出版されたのはさらに遅く1960年です。)。
 また、先ほど述べたように、「子どもと文学」が出版されたのは1960年ですが、そのための議論は1955年ごろから始められていて、その成果としてメンバーのいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」が出版されたのは1959年です。
 このように、創作者が新しい創作理論を自分のものとして消化し、作品に反映するのには数年はかかるものなのです。
 松田司郎は、1979年の「日本児童文学100選」で、この作品の「おもしろさ」と幼年の読者(読解力などの違いにより、現在では当時よりも年長の読者が中心になっていることでしょう)に着目して、ガネットの「エルマーのぼうけん」などを引き合いに出して、以下のように「子ども読者」の立場に寄り添った批評をしています。
「この作品の意図は小さな読者に冒険そのもの(冒険を支える魔法の世界)をスピーディに展開してみせることにあり、冒険後の目的成就もまさにハッピーエンド(物語完結の均衡)として徹底させている。」
 本田と松田の批評が出てからでも、すでに四十年が経過しています。
 先ほど述べたように、この本が今でも版を重ねているということは、少なくとも「子ども読者」の評価はこの作品を古典として認めていることになります。


ちびっこカムのぼうけん (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社


 
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戌井昭人「すっぽん心中」すっぽん心中所収

2017-02-26 11:07:36 | 参考文献
 追突事故でリハビリ中の27歳の男が、社会の底辺をきわどく歩いてきたような19歳の女の子と繰り広げた珍道中を描いた作品です。
 土浦でのすっぽん捕りをクライマックスに、いきあたりばったりの猥雑な二人の関係がこれでもかと描かれているのですが、女の子に奇妙なバイタリティがあって、不思議と二人の場当たり的な生き方に共感できます。
 社会の底辺で閉塞した現状を生き抜くには、こんな風な生き方もありなのかと思いました。
 児童文学の世界でも、今問題になっている教室カースト制度の底辺の子どもたちにエールを送る、このようなたくましい作品があってもいいかもしれません。

すっぽん心中
クリエーター情報なし
新潮社
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本田和子「境界にたって その3 「自己」の文学 ―― 無意識と意識のはざまに生まれるもの」

2017-02-26 10:59:14 | 参考文献
 「子どもの館」18号(1974年11月)に発表された論文です。
 ユング理論に基づいて、意識と無意識を含む心の全体として、「自己(self)」という概念を以下のように使っています。
「意識野の中心として意識の世界を統括するのが「自我(ego)」であるのに対し、「自己」は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものではなく、大きい円が小さい円を含むように自我を縫合するのである。」
 本田は、1963年に刊行されたモーリス・センダックの「Where the Wild Things Are」(文中の邦題は「いるいるおばけがすんでいる」になっていますが、現在は「かいじゅうたちのいるところ」として日本でも有名になっています)を詳細に分析することによって、意識と無意識の両方にまたがる「自己」の文学について説明しています。
「この物語は、一人の少年の無意識への退行と、新たな統合を成就した上での意識への回帰を、あまりにも典型的に描き出していて説明の要もなく思えるほどである。」
と、本田は「かいじゅうたちのいるところ」を評しています。
 ご存知のように、その後「かいじゅうたちのいるところ」は、世界中で2000万部以上も売れたベストセラーになりました。
 本田が指摘しているように、意識と無意識が大人より不分明である子どもたちにとっては、両方の世界を象徴的に描いた「かいじゅうたちのいるところ」はすんなり受け入れられる作品なのでしょう。

 
かいじゅうたちのいるところ
クリエーター情報なし
冨山房
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高岡 健「はしがき うつ病論の現在と双極Ⅱ型―働くことの卑怯なとき」うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺所収

2017-02-26 10:56:01 | 参考文献
 2009年2月に発行された「うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺」のはしがきです。
 現在のうつ病が「双極Ⅱ型」(軽躁とうつを反復する気分障害)が主流になっていることと、「この障害の発症が単なる自己責任ではなく、組織や共同性と個の生き方の間で発生する、公害である」ことを明記しています。
 そして、1992年のバブル崩壊や2008年のリーマンショックなどによる新自由主義経済の崩壊との関係についても触れています。
 児童文学者として特に興味を引いたのは、宮沢賢治の「もうはたらくな」という詩の以下のような一節を引いていることです。
「もう働くな、レーキを投げろ」、「働くことの卑怯なときが、工場ばかりにあるのではない」
 そうです。
 「双極Ⅱ型」を初めとする「うつ病」は、個人やその家庭といった狭い領域に責任があるのではなく、それらと組織(学校や会社など)や共同社会(国や地方自治体)との関係性において発生するのです。
 別の記事(内海 健「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」)でも書きましたが、今の子どもたちや若い世代を取り巻くいろいろな問題(いじめ、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ネグレクト、虐待、ひきこもり、登校拒否、拒食、過食、自傷、自殺、薬物依存、犯罪など)も、この障害と同様に、自己責任(被害者および加害者)が問われることが多いのですが、実際は社会全体の問題として捉えなければなりません。
 そして、賢治が80年以上も前に書いたように、児童文学者は本来そういった視点を持っていたはずです。
 しかし、最近では、個人の自己責任ばかりに言及して、体制や社会におもねった作品(例えば、中脇初枝の「きみはいい子」)が児童文学者にも評価されているのを見ると、児童文学の世界も明らかに「逆コース」を歩んでいるようで、おおいな危機感を持っています。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
クリエーター情報なし
批評社
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岩本敏男「赤い風船」

2017-02-26 10:52:26 | 作品論
 1971年出版の短編集ですが、どこにでもあるような単線的な短編集ではありません。
 児童文学作家の森忠明は「児童文学の魅力 いま読む100冊ー日本編」の中で、この短編集のことを、「リアリズムあり、アフォリズム風あり、カフカ流ありの「赤い風船」は一見放縦な、何でもぶっこんだゾウスイ的短編集であるが、各篇は最後に置かれた絶品「夜の汽車」を深く旅するための、正負のフィードバック効果のようであり、そうみなすと連作短編集とも長編物語とも思えるのである。作者の不可見の念力のようなものが独特の隠し味となって全篇をつないでいる。」と定義しています。
 前半の「あいうえお」は、戦前、戦争中の作者の原体験をもとに描かれた私小説的な連作短編ですが、単なる生活童話ではなく、岩本敏男という現代詩人の眼が、貧乏、家族愛、戦争などを鮮やかに切り取っています。
 後半は中編の「赤い風船」、「ゆうれいのオマル」、「夜の汽車」が並んでいます。
 一見いわゆる無国籍童話風ですが、ナンセンス・ファンタジーあり、実存的作品あり、詩的な作品ありで、どれも一筋縄ではいかない作品です。
 この本は出版当時に、「全体に暗すぎる」、「子どもには難しぎる」、「これからを生きる子どもたちに、こんなネガティブなものを与える必要ない」などの批判を浴びました。
 しかし、一部の読者(特に大人の女性)からは熱狂的な支持を得ました。
 私の属していた大学の児童文学研究会にも、この本の全文をノートに書き写すほどのファンだった同学年の女性がいました。
 彼女は中島みゆき似の理知的な女性でしたが、その字も本人に似てきちんと整っていて美しく、彼女が写した「赤い風船」は本物の本よりも魅力的に見えました。
 私は悪筆で有名で、サークル内では「あいつだけにはガリを切らせるな」と言われていて、いつも私の汚い字で書かれた原稿は、彼女の美しい字でガリ版印刷(パソコンはもちろんワープロもコピー機もない時代だったので、皆に読んでもらうためにはガリ版用紙に一文字一文字書きうつして謄写版印刷するしかなかったのです)してもらっていたので、彼女には頭が上がりませんでした。
 そのため、ガチガチの「現代児童文学論者」だった私は、内心この作品に否定的だったものの、彼女の手前サークル内では批判しないでいました。
 再読しても、これはいわゆる「現代児童文学」ではないと思います。
 文章は「散文的」でなく優れて「詩的」です。
 読者としての「子ども」もほとんど(あとがきでは作者は子どもを意識していると言っているのですが)意識されていません。
 「社会変革」の意思も感じられず、強いぺシミズムの雰囲気に満ちています。
 しいていえば、「大人の童話」といった雰囲気です。
 1970年代にも、劇作家の別役実の「淋しいおさかな」のような「大人の童話」の本(もっとも別役はこれらの童話をNHKの幼児番組のために書いたのですが、本は大人向けの装丁で出されていました)も存在したのですが、児童文学界にはほとんど無視されていたようです。
 現在ではこのような「大人の童話」のジャンルの本は、一定の読者(おそらく大人の女性が中心でしょう)を獲得しています。
 ただ、「赤い風船」は、今の読者には毒が強すぎるかもしれません。


ゆうれいがいなかったころ (偕成社の創作文学 23)
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偕成社
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北川透「〈異界〉からの声をめぐって ―宮沢賢治と「四季」派の詩」

2017-02-26 10:37:56 | 参考情報
 四季派学会・宮沢賢治学会イーハトーブセンター合同研究会 ―宮沢賢治から「四季」派へ―で行われた講演です。
 講演要旨は以下の通りです。
「賢治の詩と「四季」派の詩の関係についてという、わたしにとって思いがけないテーマをいただきました。まだ、いまの段階で、どんなことがお話できるか、あらましの輪郭もできていない状態です。このテーマや周辺に、これまでどんな研究や分析があるのか、ということもわたしにはよく分かっていません。
「四季」派の詩という漠然とした領域で、賢治の詩を比較しやすいのは、たぶん、自然観とか、自然認識についてでしょう。でも、それには賢治はともかく、「四季」派の詩の感性を最大公約数的に、浅く掬いあげてしまうような危うさがあります。本当はそこに大事な問題が潜んでいるような気もしますが、そこへいきなり接近するのは安易かな、という気もしました。「四季」派という括り方をすると、いいアイディアが浮かんでこないので、個々の同人と賢治との関係ではどうか、と考えてみました。たとえば同人の一人中原中也を取りあげれば、これは影響ということを中心に、沢山の接点があります。しかし、中也は存在としても、ことばの質や詩の傾向としても、「四季」派とは異質というか、傍系に位置する詩人です。それにわたしは、賢治と中也の関係では、これまでに公的な場で喋ったり、書いたりしていますので、今回触れるとしても、主要な対象にすることは避けたい、と思います。
そうすると、「四季」派の要の位置にいた同人、三好達治をここへ、やはり持ってくる他ありません。そう思った時、戦後詩人・田村隆一に、短いエッセー「鳥語――達治礼讃」があることに気づきました。「荒地」派の詩人は、鮎川信夫、黒田三郎、吉本隆明など、いずれも三好達治に(「四季」派の他の詩人も含めて)、とてもからい点数をつけています。その中で、ほとんど唯一の例外が田村隆一です。このエッセーでも、サブタイトルは、「達治礼讃」でした。これの詳しい紹介は止めますが、田村は達治のよく知られた詩「雪」のニ行《太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。》を引いて、こんな風に言っています。

《この有名な詩を、もう一度、声に出して読んでみたまえ、きみ自身の声が、すでに鳥の声になっている。太郎や次郎をねむらせる声は、人間の声ではないからだ。/鴎(かもめ)、鶫(つぐみ)、燕(つばめ)、鴉(からす)、雉(きじ)、雲雀(ひばり)、鶸(ひわ)、鶲(ひたき)、鵜(う)、鵯(ひよ)どり、鵲(かささぎ)、鳶(とび)、……》。

「雪」の解釈の是非を超えて、ここには田村のユニークな「雪」の読み方が出ているばかりでなく、田村の三好達治観までもが凝縮しているような印象があります。それを一口で言えば、自然や社会のなかから、異界の声を聞いている人、ということです。田村自身が、鳥語の詩人でした。
もとより、宮沢賢治ほど異界の声を聞いた詩人はいないでしょう。近代で言えば、北村透谷は『蓬莱曲』のなかで、魑魅魍魎の声を聞いていました。山村暮鳥や萩原朔太郎然りです。中原中也も丸山薫も異界の方に、耳を欹てていました。異界というより、他界、彼岸、虚界、凶(狂)域等、別の言い方をした方がいい場合もありますが、ともあれ、人間の現実世界、日常の界域以外からの声が、わたしたちの詩の世界にひびいていること、語りかけられていることをどう考えたらよいのか、ということです。それを賢治と三好達治の詩の接点、境界において、これから考えてみようかな、というのがわたしのいまの段階のモティーフです。まだ、講演当日まで八週間ほどありますが、それに集中できるほど余裕のある生活をしていません。どこまで考えを詰められるか覚束ない限りですが、とりあえず、講演要旨とは似て非なるメモを提出して、務めだけは果たさせていただきます。」
 冒頭で「賢治は嫌いだ」と明言し、一時間半を超える講演の中でも賢治に触れたのは最後の十分だけというおざなりな取扱いでした。
 講演の内容は、鳥をキーワードにして、四季派の代表的な詩人である三好達治を中心に、戦後の荒地派の詩人の田村隆一なども含めて紹介し、それを、賢治の「銀河鉄道の夜」の「鳥を捕る人」や詩の「白い鳥」と結びつけようとするものでした。
 そして、「鳥」が、「異界」と現世を結びつける象徴であることを述べようとしたもので、それ自体は興味深い内容です。
 しかし、話し方がだらだらと長く、結局尻切れトンボに終わってしまいました。
 現代詩の実作と詩論では若いころからならした方のようですが、ご高齢のせいか話が堂々めぐりしていてくどく、レジュメも本のコピーの切り貼りにすぎず、何が言いたいのか理解するのに苦労しました。
 前に述べた賢治に対する取扱いも含めて、今回の研究会(四季派学会と宮沢賢治学会の合同主催)の講演者としては、明らかにミスキャストだったように思います。

わがブーメラン乱帰線
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思潮社



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2月25日(土)のつぶやき

2017-02-26 04:55:40 | ツイッター
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生きていくこと

2017-02-25 09:19:00 | キンドル本
 主人公は、夜中につい死ぬことを考えてしまい、怖くて眠れなくなりました。
 どうしても眠れないので、両親の寝室へいって、おとうさんの布団へ入れてもらいました。
 おとうさんのそばにいると、主人公はようやく少しだけホッとできました
 布団の中でおとうさんがしてくれた話は?

(下のバナーをクリックすると、3月1日まで無料で、スマホやタブレット端末やパソコンやキンドルで読めます。Kindle Unlimitedでは、いつでも無料で読めます。)

生きていくこと
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メーカー情報なし


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2月24日(金)のつぶやき

2017-02-25 05:02:56 | ツイッター
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高橋健二「体験的ケストナー紹介」子どもと子どもの本のために所収

2017-02-24 18:14:42 | 参考文献
 この本の編訳者による、ケストナーの紹介文です。
 ケストナーとほぼ同年代(三歳年下)のドイツ文学者は、ケストナーが日本で広く読まれるようになったことの最大の貢献者です。
 私自身は、子どものころは、講談社版少年少女世界文学全集に入っていた小松太郎氏の訳による「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」、「エーミールと三人のふたご(「エーミールと軽業師」という題名でした)」しか読んでいませんでした。
 大学に入って初めて買った本が、著者による「ケストナー少年文学全集全八巻・別巻一」でした。
 理工学部の生協で買ったので、5%引きだったのがうれしかったことを今でも覚えています。
 それ以来、ケストナーの本と言えば、著者の訳文でずっと読んできました。
 私にとっては、ケストナーと高橋健二は、ケストナーとトリヤー(ケストナーの作品の挿絵画家)と同様に、切っても切り離せない関係です。
 それは、多くの日本のケストナーファンも同様でしょう。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
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ルイーゼロッテ・エンダーレ「四つのステーション 付、病人のステーション(ルガーノ)」子どもと子どもの本のために所収

2017-02-24 17:09:41 | 参考文献
 ケストナーの簡単な伝記です。
 といっても、生前に発表されたもので、付録の「病人のステーション」のルガーノはケストナーが静養していたサナトリウムのあった場所ですが、この時は無事に回復しています。
 「四つのステーション」とは、ドイツのドレースデン、ライプチヒ、ベルリン、ミュンヘンのことです。
 ケストナーは、ドレースデンで生まれ、ライプチヒの大学で学んで作家としてデビューし、ベルリンでナチスに焚書(他の記事を参照してください)と執筆禁止(他の記事を参照してください)をされるまで活動(彼の代表作のほとんどはこの時期に書かれました)し、ミュンヘンで戦後の活動を再開します。
 ドレースデンの部分を読むと、「エーミールと探偵たち」のエーミール・ティッシュバインや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーの中にケストナー自身がいることがよくわかります。
 母親思いの優等生で、貧しいけれど明るく生きている少年像が、彼自身でありまた彼の理想なのでしょう。
 そのあたりは、彼自身が書いた「わたしが子どもだったころ」に、より詳細に描かれています。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
 
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沢木耕太郎「迷子」あなたがいる場所所収

2017-02-24 11:55:32 | 作品論
 五年生のユウスケは、おかあさんと二人暮らしです。
 おかあさんは、おとうさんが嘘をついたのが許せずに離婚したのだそうです。
 そのため、ユウスケは、おかあさんに家から追い出されるのを恐れて、嘘をつくことができません。
 おかあさんの帰りが遅いので、ユウスケはよくおつかいを頼まれます。
 ある日、おつかいの帰りに公園で小さな女の子を見かけます。
 小学校低学年の子のようです。
 迷子かと思ったユウスケは、その子を交番に連れて行こうとします。
 その子は、名前はサチコでおかあさんは死んでしまったと言います。
 ユウスケは、その子の肩に、大きなあざがあることに気がつきました。
 その子の言われるままに連れて歩いていると、その子のおかあさんに出会ってしまいます。
 おかあさんから「その子を勝手に連れまわした」と非難されますが、「それなら交番に行こう」とユウスケが言うと、その子のおかあさんはひるみます。
 どうやら、おかあさんが日常的にその子を虐待しているために、その子は家出をしたようです。
 最後に、おかあさんに連れ去られながら、その子は「カリナ」という本当の名前をユウスケに告げます。
 ユウスケも自分の名前も叫びながら、生きるために必要ならば嘘をついてもいいんだと思います。
 私ノンフィクションの第一人者である沢木の、初めての短編小説集という触れ込みで出版された本です。
 沢木は、あとがきで「どんな幼い子でも読んでわかるものが書けたら」と思っていたと書いていますが、確かに平易な文章で書かれていますが、九編の中には大人が主人公で子どもには難しい内容のものも含まれています。
 沢木は、この短編集が九編であることから、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」になぞらえていますが、出来はほど遠いものです。
 正直言って、平均した作品のレベルは児童文学の同人誌並みで、「沢木耕太郎」というブランドがなかったら、とても本にはならないでしょう。
 そういう私も、「沢木耕太郎」ブランドにひかれてこの本を読んだのですが。
 最近、沢木は、小説、翻訳、エッセイ、ノンフィクション(私ノンフィクションではない普通の)、編著など、様々な本を出していますが、どれも期待を裏切られるものばかりです。
 それでもつい手にしてしまうのは、「一瞬の夏」、「深夜特急」などの沢木の私ノンフィクションに熱中したころが忘れられないからでしょう。
 全く無名でただ情熱と時間だけは有り余るほど持っていたころの沢木の作品群は、きらきらと輝いていました。
 それが富も名声も手に入れるとすっかり色あせてしまい、安易な仕事ばかりやるようになったような気がしてなりません。
 また、沢木の周辺の人たちも金持ちや有名人ばかりになり、対談などでそんな成功譚ばかり書かれても(例えば沢木耕太郎が飛行機のファーストクラスに乗った話など、読者は読みたくもありません)がっかりするだけです。
 これは、椎名誠なども同様かもしれません。
 この作品では、子どもの虐待という今日的な素材を扱いながら、表面的で情緒的な書き方で突っ込みも浅いです。
 もっとじっくりと子どもの虐待の問題に取材して、沢木が若いころに書いていたような魅力のある私ノンフィクションを書いてもらいたいというのが正直な感想です。

あなたがいる場所
クリエーター情報なし
新潮社
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